五月晴れ 三話







 に連れられやってきたのは、確かに彼女が言うようにボロ屋と表現するのが相応しいと思わず思ってしまうような小さな庵だった。
 今にも崩れてしまいそうなたたずまいのそれは、野分でも来ようものなら一発で崩壊してしまうに違いない。もし自分がここにすんでいたらということを想像して、玄武はわずかに頬を引きつらせた。
「あはは、吃驚した? 吃驚したでしょ? ボロくてごめんねぇ」
 ついでに中も狭いよ。笑いながら言い、庵の入り口と思われるすだれを持ち上げた。
「ただいまー」
 他にも住人がいるのだろうか。明るく帰宅を告げるに、後ろに続いていた玄武はそんなことを思う。玄武よりの方が背丈が高いため、視界がふさがれて前が見えないのだ。
 玄武の推測どおり、中にはの他に誰か居たようだ。
「おかえり…って、どうしたの! その格好!?」
 甲高い声が聞こえる。ずぶぬれのを見て驚いたに違いない。
 無理もあるまいと一人考えていた玄武の耳に突き刺さったのは、ものすごい剣幕の少女の怒鳴り声だった。
「あなた! お姉ちゃんに何をしたのっ!?」
「…は?」
 どうやら自分に向けられているらしい怒りの矛先に、予期していなかったこととは言え思わず間抜けな声をあげてしまったのは仕方の無いことといえよう。
 ぽかんと呆気にとられる玄武をかばうよう、怒鳴るもう一人の少女を慌てては止めに入った。
「ちょっと待って! 違う違う。雪、玄武は私を助けてくれたんだよ。間違えないで」
 ごめんね玄武と振りかえるに構わないと首を振る。
 その言葉に偽りは無い。別にぬれ衣を着せられようと、それにたいし怒りなど浮かぶはずも無い。
 玄武とのやりとりをみて、庵の奥に居た少女は顔を真っ赤にさせると勢いよく玄武に頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 私ったら勘違いして。本当にごめんなさい」
 ぺこぺこと謝りつづける少女に気にしていないということを告げると、少女はと玄武を見比べてゆっくり笑顔を作った。際ほどの怒鳴り声からは想像できないが、にこにこと笑うとくらべるとこちらの少女は大人し目の印象を受ける。が動ならばこの少女は静だろうか。のことを姉と呼んでいたことから妹なのだろう。確かに目元や全体的な顔立ちはよく似ている。
「あ、あの座ってください。たいしたもてなしは出来ませんけど」
「うん。その辺適当に座ってて? 私着替えてくるから。あ、玄武は着替え…」
 言いかけて玄武の姿をまじまじと眺めたは不思議そうに首をかしげた。
 べったりと体にまとわりつくほどに水分を含んだの着物とは正反対に、玄武の着物…まとう衣は少しも水気を帯びていない。二度も川に飛び込んだというのにおかしい。
 やっと気づいたのだろう。は玄武の方へ近づいていくと目を合わせるように腰を折った。
「もしかして、本当に神様だったりする?」
「……」
 別に隠す必要はない。だが素直にそうだと頷いてしまうのもどうかと考えあぐねる玄武に、無言は肯定ととったのか。果たして真意は分からぬがにっこりというよりはにやりと笑みを浮かべ、はそうかそうかと一人納得するように頷き着替えをするために簡単な板で区切られた、部屋と呼ぶにはあまり相応しくない空間へ姿を消した。
「たいしたものは出せませんがどうぞ」
 の消えた方角をぼぅと眺めていた玄武に、の妹が控えめに声をかけ小さな湯のみを差し出す。湯気の立ったそれをみて、身体が冷えているわけでものどが乾いているわけでもなかったが出されたものはとりあえずもらっておくべきかと、一言礼を言って受け取った。
 戻ってきたは先ほどまでの藍の小袖ではなく、朱の小袖を纏っていた。縛られないまま流された黒髪はまだ水分を含んでいるためか、しっとりと重い。
 懐から取り出した紐で器用に髪を束ねると玄武の隣に腰を下ろした。
「あ、そうだ。紹介してなかったね。妹の雪。で、彼は玄武」
 助けられた経緯を簡単に雪に説明すると、はきょろきょろと視線を動かした。
「犀は?」
 まだ誰かいるのか。視線だけで玄武の疑問に気づいたのだろう。弟だよ、と言っては視線を雪に向けた。
「まだ帰ってきてないよ」
「そっか。で、あんたは寝てなくて大丈夫なの?」
「うん。今日は調子がいいの」
「そ。無理しちゃ駄目だからね」
「わかってるよ。でもお姉ちゃんに心配かけちゃうからね。横になってる」
 ごゆっくり、と玄武に一言告げて雪は部屋の奥に入っていった。
「どこか悪いのか?」
「うん。どこが、っていうわけじゃないんだけどね。昔から体が弱いんだ」
「そうか…」
「そ。両親も居ないし、私が働いて弟と妹養っていかないといけないでしょ? だからさっきは商売道具が川に落ちてあせちゃったってわけ」
「兄弟を大切にするのも悪いことではないが……は自分も大切にするべきだと思うぞ」
 玄武に言われ、はそんなことは初めて言われたとばかりに目を丸くした。
 ぱちくりと瞬きを繰り返して、それもうっかとうわごとのように呟く。
「そうだよね。私が倒れちゃったら雪と犀の面倒見る人いなくなっちゃうし。そうかそうか」
「そういう意味で言ったのではないが……」
「うん。ありがと、玄武」
 多少取り違えはしているが自分の身を案じての言葉だとは気づいたらしい。
 これを機にあんな無茶は控えてくれるといいのだが、と玄武は内心ため息をこぼしつつそんなことを思う自分に不思議な思いを抱いていた。
 今日初めてあったばかりの少女を何故これほど気にかけるのか。
「……」
 突然思案顔になってしまった玄武を覗きこみ、が大丈夫? と首をかしげる。
 笑顔を見せていたと思えば今度は相手を気遣い、不安げな表情を見せる少女。
 ああ、このせいだ。
 ころころとよく変わるこの表情にひかれて気になるからだ。
 玄武は口元を緩める。その表情は子供らしくなく、大人びていた。外見で言えばの方が年上に見えるが、実際玄武のほうが比べ物にならないくらい長く生きている。
「そろそろ我は帰る」
「そっか。引き止めちゃってごめんね? よかったらまた来て」
 また来て。
 また来ることなどありえるのだろうか。玄武は晴明に使えていて、彼の命じるままに動く。自分の意思で彼の元を勝手に離れ、邸から近くは無いこの場所へ赴くことなど…あるのだろうか。
「気が向けば」
 確実な約束など出来ないから、それだけを言うと玄武は庵を出、晴明の元へ帰るため足を進めた。












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