五月晴れ 四話
翌日玄武は晴明の傍に隠行しながら昨日のことを考えていた。
また来てと言われてもなかなかそうもいかない。このまま行かなければそれまでの縁と断ち切ることも出来るだろうが、あれだけ期待されたまなざしで言われると行かないことに対して罪悪感が残る。
かといってやはり自分の勝手な都合で主たる晴明の傍を離れるわけにもいかない。
さてどうするべきか。
部屋の隅に座り込み、腕を組んでうんうん唸っていると風将太陰が傍に移動してきたのがわかった。
「何よ、玄武。昨日から様子が変よ? 何かあったの?」
「いや…大したことはなかった。が、気になることが…」
歯切れの悪い返事をする玄部に苛立ったように太陰が眉根を寄せる。愛らしい容姿をしていながらなかなか過激な性格を持つ彼女だ。言葉を濁す玄武に、はっきりいいなさいよと詰め寄った。
「昨日帰りが遅かったわよね? 何かあったんでしょ? さぁ、白状なさい」
眼前に迫った太陰から逃れるべく、玄部は僅かに後ろに身を引く。あいにくと部屋の隅に座り込んでいたため、すぐ後ろは壁だ。退路を断たれた玄武はあきらめたように息を一つこぼした。
「晴明の使いに出た帰りにだな。人間の娘が川で溺れていたのを助けた」
「へぇ、珍しいことするのね」
「うむ。我もそう思う」
「それで?」
「その娘の庵に案内されまた来てほしいと言われたのだ」
「……で、玄武は何に対してそんなに悩んでるわけ?」
「娘に言われたとおり、行くべきか否か」
太陰の予想通りの玄武の答えに、太陰は大きな瞳をじっとりと眇めあからさまにため息をこぼした。
「…馬鹿?」
語尾が疑問系にはなっているが、その響きには馬鹿と断定するものがある。
長年の付き合いの彼女に馬鹿呼ばわりされ、玄武は僅かに不愉快そうに眉を寄せた。外見は子供だが、その様子はどこか年寄りくさい。
「深刻そうな顔をして何を悩んでるのかと思えばそんなこと。なんで悩む必要があるのか、そっちの方を知りたいわ。行けば良いじゃない。来てって言われたんなら行きなさいよ」
「しかし我らは晴明の…」
「それが気になるならはじめに晴明の了承を取れば良いんじゃない? 簡単なことじゃない」
「……その手があったか」
すっかり失念していた玄武はいつもと逆の立場で諭してくる太陰に感謝の言葉を述べつつ、同じ部屋の中にいる晴明の傍へよった。ちなみに今までの二人の会話は晴明には届いていないがなんとなく気配で察しているだろう。
「晴明」
呼びかけると晴明は皺の刻まれた顔を玄武に向けた。
「なんじゃ玄武…ずいぶんと難しい顔をしておるな」
眉間に皺を寄せて小難しい表情を見せる玄武に苦笑する。容姿が幼いだけに、その表情は不釣合いでどことなく笑いを誘った。
「晴明、勝手なこととは思うのだが……少しばかり、邸を離れても構わないか?」
「ん? ああ、構わんよ。して、どこへ行くのじゃ?」
「む…」
さてなんと答えるべきか。玄武は眉間に皺を刻んだまま考える。
素直に答えれば絶対にこの主の事だ。からかうに決まっている。その様子がありありと脳裏に浮かんで、玄武は口元を僅かに引きつらせた。
ここは適当に答えるに限る。
「都の外れに……少しばかり用がある」
「ふむ。そうか。遅くならんうちに戻るようにな」
まるで孫に対する祖父の言い方だが、外見は当てはまる二人だ。孫と祖父。年齢的には玄武が祖父で孫が晴命になるのだろうが、端からみればまったくの逆。微妙な気分を抱きつつ玄武は一つ頷いて、晴明の傍を離れた。
「…春かの」
「春ね」
玄武の去った方角をニコニコと眺めながら呟いた晴明の言葉に、太陰は一瞬なんのことだと首を傾げたがすぐに言わんとしていることを察し、そのとおりだと言わんばかりに同じ言葉を返して頷いた。
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