どさり、とすぐ傍らに落ちた雪の塊を一瞥することもなくほづみは目の前でニコニコ笑う青年を見つめた。
姫になる? 誰が? …私が? なんで?
疑問符ばかりが頭に浮かぶ。
「ま、ままま待って待って。何がどうしてそんな話になったの? え、姫っ?」
「そう。姫。悪い話じゃないと思うんだけど…」
「いや、いやいや悪いよ。ていうか私姫ってガラじゃないもん。無理、絶対に無理。ていうかそもそも意味が分からない」
全く持って分からない。昨日今日突然現れた人間である自分が、どうして姫になれなどと言われなくてはならないのだろうか。
「うーん。どうしようか、アスラン」
「無理にでも連れて行くしかないだろうな」
一日立って、がらりと意識を入れ替えたアスランである。やはりほづみを女王に、ということに思うところがあるアスランだが、仕事は仕事だ。最後まできっちりやりとおす。それが彼の信条もである。ほづみには申し訳ないが、この際諦めてもらうしかない。
「は? ちょっと何をいっちゃってるのかなぁ? アスラン」
君がそんなことをいう人だとは思わなかった。と付き合いも短いのにノリで言ってみる。いやしかしこの二人を見ている限り、無茶を言い出すのがキラでそれを止めるがアスランだとなんとなく思っていた。よもやアスランまでもがむちゃくちゃを言う人だったのだろうか? 二人とも無茶を言う人だったら一体誰が止める役なのだろう。少しばかり現実逃避を試みるほづみである。誰かお願い嘘だといって。
背後の扉にじりじりと後退りながら、詰め寄ってくるキラと距離を置こうとするが、悲しいことに扉は締め切られている。逃げ道は既にたたれた。ほづみの細い腕をキラががっちりと掴む。ひ、と声を上げて顔を引きつらせるほづみにキラはなおも笑顔を見せた。その笑顔のなんと、可愛らしいことか。まったく憎たらしいことである。
「大丈夫悪いようにはしないからさ」
「いや、でもうんホント無理だから。ほか当たって? お姫様ってしとやかで上品で綺麗で、優雅な感じに振る舞わないといけないんでしょ? 私と全く正反対だし、無理」
「そんなことないよ。それに公に姿を出すことなんて滅多に無いから、その変は大丈夫じゃないかなぁ?」
「どうして疑問系なの。大丈夫って言い切ってよ、せめて」
余計に不安ではないか。
「残念だがな、ほづみ。決定事項だ」
慰めるように肩に手を置くアスランの翡翠の瞳が諦めろ、といっている。
「…マジで?」
「マジだ」
その顔でマジとか言わないで下さい。
がっくりうな垂れたほづみにキラは嬉しそうに笑い、ことの次第を母に説明するべく家の扉を開けた。
「つまり、ほづみさんを城で保護する代わりにお姫様になれ、とそういうことなの?」
「簡単に言っちゃうとね」
「でもどうして? お城にはラクス様がいらっしゃるのに、お姫様が必要なの?」
カリダの素直な疑問に内心ぎくりとするキラとアスランだが、間違ってもそれを顔に出すことはしない。カリダは知らないのだ。現在ラクスが行方不明であることを。
「ほら、ラクスも同じ年頃の友達が欲しいみたいでさ。城に同年代の女の子っていないから」
「そうなの?」
「そうそう」
そんなやりとりをするヤマト親子の傍ら、ほづみは沈んだ顔をして自分の膝に視線を落としたままだった。横目で見たアスランは流石にかわいそうだったか、と同情する。王家となんのかかわりも無く、極一般的な平凡極まりない家庭で育ってきた少女が突然姫になれといわれて動揺しないほうが可笑しい。しばらくは自分たちが面倒見てやることになるだろうな、とそんなことを考えながらそれもいいかもしれないと思うアスランだった。なんだかこの少女は今までアスランが見てきたどんな子よりも、表情が良く変わるからみていて面白いのだ。
「まあそういうわけだから。今日の夕方にまた迎えに来るね」
「……え、今日!?」
「そうだよ。早い方がいいでしょ?」
「よくない、よくない、よくないってば!」
「うーん。でももう馬車の手配もしちゃったから、諦めて?」
何を言っても聞く耳持たないキラに、ほづみはまたもうな垂れて今度こそいじけ始めた。いろんなことが一気に身の上に降りかかって、そろそろ臨界点突破らしい。ぶつぶつ文句ような愚痴のようなものを小声で漏らすほづみは、はっきりいって不気味だった。が、そんなことに構うキラでもなかった。酷い。
「そうね…お城に行くなら、身なりを綺麗に整えないといけないわね」
息子の嘘に騙されてすっかり乗り気のカリダにほづみは泣きたい気分だ。
「じゃああと任せるね、母さん」
「ええ任せて頂戴」
前にどこかで聞いたやりとりだ。そんなことをぼんやりと思うほづみを置いて、キラとアスランの二人は帰っていった。
夕方になって本当に迎えの馬車がやってきた。カリだの手によってすっかり小奇麗にされたほづみは、キラとアスランからそれぞれ賞賛の声を貰った。が、気分はどん底だった。
雪の道、ガタゴトと半ば強制的に城へ向かう(連れて行かれる)馬車の中、先のことを思いながら顔を青くするほづみの向かいに座ったキラがそうだと声を上げた。
「一つ訂正しておくとね」
「…何?」
「城についたらちゃんと説明するつもりだったんだけど…本当はお姫様になるんじゃなくて、女王様になるんだ」
「………………はぁ? 女王ぉ!?」
寝耳に水だ、といわんばかりのほづみの悲鳴が狭い馬車の中悲しく響いた。
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