scherzo ―諧謔曲―

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 ほづみがカリダと共に買い物に出かけていた昨日の出来事だ。
 城では半日ほど仕事をさぼったアスランとキラが同僚の厭味を聞き飛ばしながら、始末書を眺めてうんざりと顔を潜めていた。ちなみにその同僚は延々と厭味文句を言い連ねた後、二人が全く聞く耳を持たないことを知ると整った面立ちを怒りにゆがめ、立ち去っていった。そもそも二人とも初めから同僚の厭味など聞いていなかったのだ。最後の最後になるまでそれに気付かない彼もいかがなものかと思う。
 樫の机の上。頬杖を着いたキラの片手、羽ペンを握った手は既に止まっている。幸いにもインクは乾いているため始末書に無残な黒い染みが出来上がることは無いが、明らかにやる気は遙かかなたへと行ってしまっている様子の幼馴染にアスランは苦笑を禁じえない。
「終わらせないと帰れないぞ」
「分かってるけどさぁ。危うい女の人を助けて保護したのだって、立派な仕事だと思うんだよね、僕。なのになんで始末書書かされなくちゃなんないの?」
「気持ちは分かるが、彼女を助けて保護するのはそもそも騎士の仕事じゃないと思うぞ」
「自警団?」
「どちらかといえばそっちだろうな」
「でもさー」
 なおも文句を募らせるキラは今度こそやってられないとばかりにペンを放り出した。羊皮紙の上に投げされたペンはころりと一度転がり動きを止める。
 椅子の背に凭れて天上を仰ぐキラ。アスランはやれやれと肩をすくめてペンを走らせた。
 外には雪が降り積もっていて、暖炉に火を点していて尚部屋の気温は肌寒いほどだ。肌をなぜる冷気にちらりと窓際に視線をやれば、ほんの僅かな隙間から風と共に白い欠片が入り込んでくるのが見えた。どうりで寒いわけだ。一度ペンを止めたアスランは立ち上がって、今度こそしっかりと窓を閉め切る。そのとき何気なく見た城下は白一面に覆われていた。一晩で随分と積もったものだ。
 振り返り様幼馴染を見やると、彼は早々に始末書を机の隅に押しやって突っ伏していた。
「キラ」
「アスラン僕の分もやっといてよ」
「はぁ? 自分の分は自分でやれ。俺だって手一杯だ」
「これ今日中に終らないよ絶対」
 終らないのではなく終らせる気がないのではないか。どうもにもキラの意識は目の前の始末書ではなく、別のところへ飛んでいるらしい。単にやりたくないというのももちろんあるのだろうが。キラが気にしているのは自宅に昨日保護した娘のことだろうか。ふとそんなことを思って再びアスランが席に着くと、重い木枠の扉が音を立てて開いた。僅かな風圧で羊皮紙がふわりと浮く。
「ようキラ、アスラン。はかどってるか?」
 姿を見せたのはキラとアスランが所属する騎士団の上司だった。二人に始末書を書くよう言いつけたのも彼だ。アンドリュー・バルトフェルド。それが彼の名前。騎士団に支給される簡素な鎧を身に着けた彼は部屋に入り込むと空いている席に腰を降ろした。
「バルトフェルド隊長…」
「始末書書くのにはかどってるも何もないと思いますけど」
「ま、そう言うなって」
「大体この始末書書いたところで誰が読むわけでもないんでしょう?」
「それはそうなんだがな。一応決まりごとだから仕方ないだろう。文句言ってないでさっさと終らせてくれよ」
「ていうかさぁ、僕たちもう軍属じゃないのに、なんで始末書?」
 キラの疑問ももっともだ。軍隊には厳しい規則があり、それを破ったものに罰が処せられるのは仕方が無いことといえよう。だが軍隊とは違って騎士団には明確な決まりごとというものは存在しない、はずだ。騎士になる際示されたのは、八つの道。「忠誠」「公正」「勇気」「武芸」「慈愛」「寛容」「礼節」「奉仕」騎士道と呼ばれるソレだ。しかしこれも決まりごと、規則の類ではなく心に留め置くものである。キラもアスランも騎士になる前は軍属であったが、今は脱隊しているので関係ない。もしや、これは…この始末書の類はただの嫌がらせなのでは。
 目を眇めるキラに、だがバルトフェルドは決まりごとだとだけ言い、その文句を一蹴した。


「そういえば、昨日お前さんたちが保護した娘…」
 侍女が運んできた温かなローズティーを口に運びながらバルトフェルドがふと思い出したように言い、始末書に意識を向けていたアスランが顔を上げた。キラと違って真面目に取り組んでいた彼の方はもうじき終りそうだ。
「何ですか?」
「キラの家にいるんだったな」
「そうですよ。それが、何か?」
 何故突然彼女の話が出てくるのだろう。上司である彼には一応ほづみのことを報告してある。彼女がどのようないきさつで彼らに保護されたのか、彼女の身の上も幾許か偽りも交えて少し。流石に異世界から来た、ということは公に出来ないだろうとキラと話し合ってそれは伏せてある。身寄りも無く行くあても無いほづみを気の毒に思ったキラの母親の厚意で現在ヤマト家で保護しているという形になっているのだ。バルトフェルドが気にするほどの人物でもないだろうに。訝るような視線を送りながら聞き返すと、彼はアスランを見て口の端を吊り上げた。その何かたくらんでいそうな様子にアスランはますます首をかしげる。
 どちらかといえば荒っぽい外見とは裏腹に優雅な動作でティーカップをソーサーに戻すと、彼は両手を組んでそれこそアスランとキラが予想もしなかったことを口にした。
「彼女を城で保護しようと思っているんだが」
「城で? わざわざどうして…」
 聞き返したアスランに、にやりと笑みを見せたバルトフェルドは話しはじめる。語られた内容の奇異さにアスランとキラの二人は驚愕に目を丸くしたまましばし固まることとなった。