気がつけば夜が更けていた。
ぬくぬくとした暖かな布団につつまって惰眠を貪っていたほづみは、ゆるゆると覚醒する意識の中でいくつかの疑問が浮かび上がってきた。ここは、どこだ。
暖かいベッド。羽毛だろうか。体が沈むほど柔らかなそれはとても心地いけれど、ほづみの部屋の布団はありきたりな安っぽちいものだ。可笑しい。何が可笑しい? 瞬間怒涛のように押し寄せてきた昨日の出来事。ばっととき起きたほづみは咄嗟に辺りを見渡した。自分は、何を。そうだ。記憶を辿る。キラが部屋を出て行った後、睡魔に襲われたほづみは眠気と戦っていた。けれどアスランに眠って良いといわれて、ほんの少し仮眠を取る程度のつもりだったのにどうやらそのまますっかり寝入ってしまったらしい。もちろんここまで自分の足で歩いてきた記憶はないから、二人のどちらかが運んでくれたのだろう。
また迷惑をかけてしまったことに申し訳なく思いながらほづみはのそのそとベッドから這い出し、締め切られていたカーテンを開けた。
窓の外はまだほの暗かった。日は完全に上がりきっていないが、部屋の外から物音がするから多分カリダは起きているだろう。もしかしたら物音の招待は使用人であるかもしれないという考えはほづみの中にはない。使用人なんてほづみからしてみればあまりにも遠い次元の話であって、身近ではない存在の為そこまで頭が回っていないのだ。
多少服に皺がついてしまっているのはしかたがない。部屋の隅に置かれた姿見に自分を映して身なりを整えると、外へ出た。長い廊下を音のするほうへ歩いていった先、おそらく台所だろう場所で動き回っていたのはほづみの予想通りカリダだった。
「おはようございます。カリダさん」
ほづみの声に振り向いたカリダは、ふわふわとした青みの強い黒髪を首の後ろで束ね、白いエプロンをつけていいた。朝食の準備だろうか。
「まあ、おはよう。ほづみさん。もう起きたの? まだ眠っていていいのよ」
魅力的な言葉であったが、さすがにそれは申し訳なく思いほづみは首を振った。
「いえ、そんな。何かお手伝いすることありませんか?」
「そうね…じゃあ…」
カリダに頼まれたのは、シチューに入れるジャガイモとにんじんの皮むきだった。
ヤマト家は立派な家だ。昨日初めて来たときもそう感じた。ジャガイモの皮を剥きながらそれをカリダに話せばカリダは一応侯爵家だから、といって笑っていた。なるほど爵位にふさわしい造りの邸だと思う。それでも割りと内装は控えめで、どことなく庶民的な雰囲気も漂っている。
あまりそういったことにくわしくはないほづみだが、侯爵というのはそれなりの家柄であるはずだ。なのに、不思議なことにこの家には使用人の姿がない。何か理由があるのだろうか。そう思うものの、カリダに直接聞いてみるのも憚られて、もしかしたらカリダかキラか。そうでなければ主人かが、使用人などを好まないのかもしれない。使用人がいないのはそういう理由からかもしれないと、今は自分を納得させることにしてでも機会があったらキラにでも聞いてみようと思うほづみだった。
カリダと共に作った食事で和やかな朝食を終え優雅なティータイムに入った頃、ふと思い出したようにカリダが言った。
「そうだ。キラから連絡があったのだけど、もしかしたら今日は来られないかもしれないんですって。仕事が忙しいらしいの」
そうかキラは来られないのか。なら同僚のアスランもきっと忙しいんだろう。少し寂しい気もしたが、我儘を言える立場ではない。
「それでね、ほづみさん」
「はい」
「今日は私と一緒にお買い物に行かない?」
「はい……は?」
返事をしてしまってから、思わず聞き返した。買い物?
「買い物、ですか?」
「そう。私ね、娘がいないでしょう? だからほづみさんぐらいの年頃の女の子と一緒にお買い物するのが夢だったの。ほづみさんに似合ったドレスの生地も探したいし。ね、どうかしら」
どう、といわれても正直困る。誘いはとても嬉しい。ほづみも女であるし、買い物は好きだ。外に出てみたいという気持ちも強い。しかしこの世界の通過はおそらくほづみのいた世界とは異なるものだろうし、そうなると現在のほづみは一文無しということになる。カリダの言葉からわかるように今日の買い物はどうやらほづみのためのもののようだ。無一文のほづみはカリダに借りるほかないのだろうけれど、流石にそこまで世話になるのは図々しいし申し訳無いを通り越して気が引ける。
「お誘いは嬉しいんですけど…でも私、お金持ってないし…」
まあ、と驚いたようにカリダが目を丸くした。そこまで驚かれることだろうか。一瞬そう思ったほづみだったが、どうやらカリダが驚いたのは別のことだったようだ。
「そんなの気にしなくていいのよ。それくらい私がプレゼントするわ」
「…え、ええっ? だ、ダメですよそんなの、悪いですから」
「でも、キラとアスラン君からもあなたのこと頼まれてるし…何より私がしたいの。ダメ?」
「う…」
言葉に詰まるほづみに、カリダはにこにこと笑いかける。結局その後断りきれることができずカリダに押し切られ、あれよあれよという間にカリダと共に買い物に行くことになったほづみだった。
その日はやっぱりキラとアスランが訊ねてくることはなく、申し訳なく思いながらもう一晩お世話になることになった。幸いだったのはカリダが始終にこやかに嬉しそうにしていてくれたことだった。娘が欲しかった、というのはあながち嘘でも、ほづみに気を使わせない為の口実でもないらしい。
そういえばキラの父親の姿が見えないとそれとなくカリダに聞いてみると、この邸の主人つまりキラの父親は城に使える文官で忙しく、帰らない日も珍しくないのだそうだ。キラも仕事で忙しく、使用人もいないこの広い家にカリダはいつも一人なのか。それを思うと、少しカリダが気の毒だった。
二晩ほど世話になり翌朝、迎えにきたキラはほづみに向かってとんでもないことを言い放ったのであった
「ねえ、ほづみ。お姫様にならない?」
「は?」
思い切り眉間に皺を寄せキラの隣のアスランを見やれば、彼は彼で顰め面をして額に手を当てていた。
一体全体、何がどうなってそういう話になったのだ。
意味が分からないといった風体で眉根を寄せるほづみの傍で、屋根に積もった雪がどさりと音を立てて落ちた。
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