Prelude ―序曲―

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 ヤマト家に連れて行かれて、まずされたことはキラの母親ことカリダの盛大なる歓迎と暖かな湯船に浸かることだった。流石に悪いと遠慮したが、三人に押し切られてしまった。それにしてもあのカリダの喜びよう…もしかして何か、激しく誤解をされていないだろうか。たとえばキラが恋人を連れてきた、とか。…まさかね。
 温かな湯に浸かりながらそんなことを考える。凍える思いをしていたほづみからしてみればは出来ればずっと浸かっていたいと思うほど湯は温かく心地よかった。
けれど人を待たせているのだからいつまでも浸かっているわけにもいかない。後ろ髪を引かれる思いで湯から上がり、用意されていた服を見てあんぐりあいた口がふさがらなくなった。
 上質な絹で仕上げられた、質素でありながら上品なドレスローブ。なんだこれは。誰が着るんだこれを。…他でもない自分なのだろうが。こんなものは漫画とか、映画とか。そんなものの中でしか見たことがないぞ。
「なんじゃこりゃー」
 思わず服を摘み上げて呟いてしまった。しかしこれ以外に着られそうなものはない。さっきまで来ていた夏物の服はほづみが湯に浸かった後キラの母親が持って行ってしまった。ゆえに今ここにあるのは、バスローブとドレスローブとバスタオルが一枚のみ。さすがにバスタオルで出て行くわけにも行かないし、バスローブも…ちょっと恥ずかしい。というかそんなもので出て行ってしまったらかなりの常識はずれだと思われるだろう。
 しぶしぶドレスローブに袖を通して着てみると、以外にもサイズはぴったりだった。きたことのない服を着たときたいていは喜びが勝るものだろうけど、今は気恥ずかしさが勝るのは何故なんだろう。鏡の前でぐるぐる回ってなんとか自分を納得させると、そろそろと出て行った。
「あのー、お湯ありがとうございました」
「まあ、まあまあ。なんて可愛らしいこと。よく似合ってるわ」
 両手を合わせて小首をかしげてはしゃぐアナタの方がよほど可愛らしいですと思うほづみである。手を引かれて居間へ連れていかれると、暖炉の前に二人の人影があった。
アスランとキラだ。二人とも外にいた時よりだいぶ軽装になっている。室内は暖かいから、当たり前といえばそうなのだろう。
「あ、おかえりー」
「た、ただいま?」
 にこにこと笑うキラに思わず返してしまってから、風呂に入ってきただけでおかえりとただいまというのも妙だと思う。変なやりとりをするキラとほづみにアスランが笑い、ほづみは二人から少しだけ離れた場所にあるソファに腰を降ろした。暖炉で煌々と燃える火の暖かさにほっと息をついて、なんだかようやく肩の力を抜くことが出来たようだ。
 立ち上がり居住まいを正すとほづみは、改めてキラとアスランの二人に向き直った。
「あの、改めてお礼を言わせてください。こんな身元も分からない私を助けてくれてありがとうございました」
 アスランとキラは突然頭を下げられてきょとんとしたようにほづみを見つめた。
 本当に感謝している。彼らがどういう人なのか知らないけれど、身元も分からない自分を助けてくれたこと。きちんと言えていなかった礼を述べることが出来て、ほづみはすっきりした顔をして頭を上げた。
「キラさんとアスランさんが来てくれなかったら、どうなってたか分からなかったから…だから、ありがとう」
「そんな、礼を言ってもらうために僕たちは君を助けたわけじゃないよ」
「まあ人として当たり前のことをしただけだからな」
「うん。だからさ、いいよもう。ほづみさんも気にしないで。ね、アスラン」
「ああ」
「…ありがとう」
 もう一度ほづみが頭を下げたところで、両手にトレイを持ったカリダが驚いたように声を上げた。
「まあ、キラったら。女の子に頭を下げさせるなんて、一体何をしたのあなたたち」
「え、母さん?」
「まあまあほづみさん。何があったのかわからないけど、頭を上げて? ね。キラになんて頭を下げる必要ないのよ。さ、温かい紅茶を入れてきたの。冷めないうちに召し上がれ」
「あ、ありがとうございます」
 カリダの勢いに負けて、再びソファに身を沈めたほづみは差し出されたティーカップを受け取って口をつけた。美味しい。にこにこと微笑んで感想を待っている(のだろう多分)カリダに、正直な感想を告げる。
「美味しい」
「まあ、よかった」
 それだけ聞いて満足したのか、カリダはトレイを胸に抱くと軽い足取りで今を出て行った。
「…ごめんね、ほづみさん」
「いえ、可愛い人ですね。キラさんのお母さんて」
「歳の割りに子供っぽいんだ」
 恥ずかしそうに笑うキラだったが、親子仲はいいのだろう。そんな空気が伝わってきた。あんなに優しくて可愛いおかあさん、羨ましい。
別にほづみの家の親子仲が悪いわけではない。それなりに仲はいいと思うし、母親は優しい。キラの母親ほど可愛らしい顔ではないけれど。
 お母さん、元気かな。私帰れるかな。
 ふいにそんなことを思ってしまって、ほづみは胸のうちが凍りつくのを感じた。
 そうだ、ここは。
 ほづみの知っている場所ではないのだ。あまりにも空気が暖かいから忘れかけていたけれど。知らなければならないことが沢山あるのだ。そうたとえば、今目の前にいる彼らの傍らに立てかけられた剣は本物であるのか、否か。あの切っ先の鋭い光。偽物とも思えない。よくよく見てみれば彼らの服装も、今ほづみて纏っているドレスローブも全て、ほづみの居た場所では有りえないものだ。
「あの、キラさんアスランさん」
「呼びすてでいいよ。僕たちもそうするし、敬語もいらない」
「え…」
「そのほうが話しやすいだろ」
「あ、うん。あのね、聞きたいことがあるの」
「何だ?」
「その、剣は本物?」
 ほづみの問いかけにアスランは薄く笑って、自らの剣を差し出した。自分の手で、目で確かめてみろとそういうことなのだろうか。
「触っていいの?」
 彼が頷くのを確認してそっと触れてみる。革張りの鞘の感触。受け取ってみるとそれは予想外にずしりと重く、ほづみが両腕で持っても持て余すほどだった。
柄と鞘をそれぞれもって力を入れて引き抜いてみると白く光る刀身が姿を見せる。
「本物なんだ。そう…」
「ねえ、ほづみ。君はどこからきたの?」
 何もかも見透かすかのようなキラの問いとその瞳に、ほづみは全てを正直に話す決意を固めた。信じてもらえるか、どうかは別として。


 きっと、そう自分は。
 こことは違う世界から来たのだ。