異邦人 First Contact.3

 その後ラギはチビドラゴン化してしまった反動で空腹を訴えた腹を満たすべく、ルル、ビラールと共に食堂へと消えて行った。ラギは女の人に抱きつかれるとあんな姿に変身してしまう体質らしい。あれはあれで可愛いが本人は苦労がつきないのだろう。彼に限っては転ぶルルを受け止めることも役得ではなかったようだ。ちょっと同情した。
 ちなみにあの姿はぬいぐるみではなく本物のドラゴンなのだそうだ。こんなに小さいのに、と呟いたらラギに再びぎろりと睨まれてしまった。禁句らしい。
 小さいとはいえドラゴン。重量もそれなりのものだろうに、軽々と抱え上げるルルは見掛けによらず力持ちなのかもしれない。

 そんなこんなで二人が抜け、残り四人と私とで目的地に向かって歩いていたはずだったのだが、ふと妙に後ろが静かだなと思って振り向くと、いつの間にまにやらユリウスとノエルまでもが姿を消していた。
「あれ、ユリウス君とノエル君は?」
「ユリウスでしたら、先ほどラギが変身した辺りから既にいませんでしたよ」
「え、嘘…」
「ほんとほんと。ノエル君は、戻って来ないユリウス君を探しに行ったみたいだったよ?」
 なんて協調性のない…。思わず額に手を当てた。
 そもそも私がこんなところにいるのも、元はと言えば彼らのせいなのだから最後まできちんと責任を取って欲しいものだ。元凶はアルバロ氏なのだろうけれど加担した彼らだって同罪だと思う。新しいカフェの限定スウィーツ楽しみにしていたのに。こんなことが無かったら今頃カフェで美味しいスウィーツに舌鼓を打ちながら幸せ気分に浸っていたのだろうに。何が悲しくてこんなところにいなくてはならないんだろう。
己の不運と情けなさにため息が一つ零れた。







 漸く辿り着いた目的の部屋。重厚な造りの扉に思わず腰が引けた私に構わず、エスト少年がノックをして扉を開ける。扉には何事かも字で記されていたが、見たことの無い文字で私には読み取ることは出来なかった。…いや、もしかしたらそれは文字ではなく単なる記号であったのかもしれない。
「あら、ようやく来たの? 待ちくだびれてしまったわ」
 部屋を開けた途端聞こえたのはとても艶やかな女性の声だった。
「黙っておれ、愚妹!」
 続いて少年の声。
 そこに居たのは赤いドレスを纏った妖艶な雰囲気を漂わせる美女と、己の背丈よりも長い杖を持ちすっぽりとローブに包まれた少年だった。いかにも魔法使いといった服装の彼らに思わず視線が釘付けになる。童話や絵本に出てきそう。
 彼らは私を見るなり、なるほどと一つ頷いた。何がなるほどなんだかさっぱり分からない私に構うことなく、話を進めていく。
「早速じゃが用件を聞こうかの。大体の事は把握しておるがな」
 落ち着き然とした態度には幼さの欠片も見当たらない。外見に似合わず随分と老成したしゃべり方をするものだ。この二人が彼らの言っていた先生方なのだろうか。女の人はともかくとしても少年は、少年と表現するからには随分幼い。教えるよりは教えられる側に立つ方がしっくりとくる年齢だ。
 これで先生?
 伺うようにエスト少年とアルバロ氏を見れば二人は肯定するようそれぞれ頷き、今度は外れた私の注意を戻そうとするかのように少年が一つ咳払いをした。
「始めに自己紹介をしておこうかの。わしはイヴァンと言う。このミルス・クレア魔法院を守護するものじゃ」
「あたくしはヴァニア。同じくこの学院を守護するものですわ。宜しくね」
「はじめまして。と言います」
 お互いが自己紹介をすませたところで、やり取りを見守っていたエスト少年が経緯を説明するために口を開いた。


 エスト少年が説明を終え、一部始終を黙って聞いていたイヴァンとヴァニアは深々と息を吐き出した。その表情を一言で表するなら呆れ。出来の悪い生徒に頭を悩ませる教師そのものだった。
「全くそなたらは何をやっておるのじゃ。人間を召喚するなどと、愚行にもほどがあろう」  全くその通りだと思います。
 イヴァンの言葉に頷いて思い切り同意する。
「災難でしたわね。本当なら今すぐに帰してあげたいところなのだけれど…」
 ヴァニアが言いかけて、黙る。それからほんの少し申し訳なさそうに私を見て、きっぱりと言った。
「残念ですけれど、今のままでは貴女を元の世界へ戻す方法は存在しませんの」
うっそん。
 ヴァニアの言葉に、すぐに帰してもらえるだろうと高を括っていた私は衝撃を受けた。招くことは出来ても帰すことは出来ないなんて、召還魔法とは一体どういう原理なのだろうか。考えたところで魔法なんてものに縁の無い生活を送っていた私には理解できるはずもなく、ただ言えるのはとんでもない片道切符を持たされて来たらしいということだけだった。
「帰れないって、だって…」
 一人似非シリアスモードに入りかけたところ、イヴァンが待ったをかけた。
「早合点するでないぞ。”今のままでは返す方法は存在しない”と言ったのじゃ」
 え、どういうこと?
 ぱしぱしと目を瞬く。
 同じことを繰り返していうイヴァンにきょとんとする私にヴァニアが微笑んで続けた。
「貴方は少し特殊な方法で招かれてしまったから、普通の魔法で帰してあげることは出来ませんの。そうね、けれど、不可能ではありませんのよ。少し時間と手間がかかってしまうけれど、準備さえ整えば帰してあげることはできる。そういうことですの」

 たとえるのなら。
 二つの扉がある。一つはなんの変哲も無いただの扉。ノブを回せば扉は開き、出入りが簡単に行える。もう一つは幾つもの施錠のかけられた扉。種類の違う鍵を幾つも幾つも開けなければ扉は開かない。私は後者の扉を潜ってきたのだと、そういうことらしい。
「…うーん。じゃあ待ってればいずれは帰れるようになるっていうことですか?」
 先ほどの例えで言うなれば、鍵の準備が全て揃ったらということになるのだろう。
「ええ。そのためにあたくしたちは手を尽くしましょう。生徒の不始末の面倒を見るのも教師の役目ですもの」
「そうですか…。なんだかすみません。私が元凶じゃないけど」
 寧ろ被害者だけど。ちらっとアルバロ氏を見れば、彼は何を考えているのか分からない笑顔で軽く肩をすくめた。

 さて一つ問題が片付き落ち着いたところで、新たな問題が一つ浮上する。
帰る方法は先生方が探してくれるということで、ひとまず安心した。しかしながら身寄りは勿論のこと、住む場所もあても無い私はこれから一体どうしたら良いものか。現時点では帰る手段よりこちらのが深刻ではないかと改めて思ってから、ちょっとだけ途方に暮れた。
 表情に出ていたのだろうか。
「心配するでないぞ」
 私の心のうちを呼んだかのようにイヴァンがにやりと笑う。
「…え?」
「そなたの衣食住はここ、ミルス・クレアで保障しよう。行くあても無い小娘を放り出すほど我らも非情ではないのでな」
「ええ、そうね。貴方には女子寮に入って頂きますわ。一人部屋になってしまうけれど、下手にルームメイトがいるよりはいいと思いますの。ついでだから学園の生徒になって頂きましょうか」
「は、え?」
 当人置いてけぼりで、待ったをかける間もなくとんとん拍子で話が進んでいく。
「何もかも分からないことだらけで不安でしょう。何かあったらすぐに頼ってらっしゃいな。あなたたちも、彼女の事をちゃんと面倒見て差し上げるのよ。くれぐれも責任逃れなどしないように。いいわね?」
「…分かりました」
 溜息交じりの了承。これはエスト少年だ。
「はーい。まあ仕方ないしね」
 明らかに楽しんでるだろう口調はアルバロ氏。
 仕方ないってなんだ、仕方ないって。そもそもの元凶はお前だろうがと、でかかった言葉を喉の奥に押し込める。
「あなたも、いいかしら?」
「は、あ……分かりました。住むところがあるのは正直助かるので…」
 拒否権は見当たらなかった。
「決まりじゃな。突然異世界などに召還されてまだ混乱しておるじゃろうて。今日はゆるりと休むが良い」
「じゃあそうさせてもらいます。色々ありがとうございます」
 協力してもらえるのは本当にありがたいので、そこは素直な気持ちで礼を述べ一度お辞儀をしてから部屋を出た。

 授業が始まっているのか、先ほどよりも静かになった廊下に出て二人に向かい合う。
 向かい合うものの何をどう切り出せば良いのか分からずに、私は一つ溜息をつく。本当にとんでもないことになったものだ。
 皺のよった眉間に指を当てて揉み解す。まあ、とりあえずは。
「色々迷惑かけるような気がするんだけど…宜しくね」
 ここの生活に慣れるまでは彼らとイヴァン、ヴァニアの二人に頼るしかない。不可抗力だし、申し訳ないと思いつつもそういえば、エスト少年は溜息混じりに仕方ないですからねと頷き、アルバロは相変らずの笑顔でよろしくと言った。

 そんな感じで私の魔法学園での生活が始まるのだった。





H23.04.28 導入部、完。