「あ、れ?」
ゆるゆると腕を下ろして目を開ける。
「大丈夫ですか」
降ってきたのは優しげな人の声。
顔を上げるとそこには学生服を着た男の子が立っていて、彼の足元にはさっきの化け物が生き絶えて置物のように転がっていた。
何が起こったのか、さっぱりわからない。
「あの、どこか怪我でも…?」
「え、あ、大丈夫。助けてくれてありがとう」
相当強張っていただろうけれど、なんとか笑みをつくって彼に礼をいった。声はみっともなく震えていたけれど、仕方ない。
「立てますか?」
すと手を差し出してくれる。でもその手に捕まるのはなんだか気恥ずかしくて、大丈夫と答えて自力で立ちあがった。
「驚きました。天魔の気配を感じて駆けつけてみたら女の人が襲われそうになっていたから…」
「これは天魔というの?」
「あ…はい。あの、名前を聞いてもいいですか? あ、僕は伊波飛鳥といいます」
「飛鳥君? 私は」
自己紹介を、といっても名前だけだが、終えるとなんだかとたんにほっとして肌寒さを感じた。さっきまで感じなかったのにおかしい。夢じゃないのか。やけにリアルな、これは。
飛鳥君が私の格好を見て、それから控えめに聞いてきた。
「あの、さん。寒くないですか?」
「うん。ちょっと寒い」
「今四月ですよ?」
「そう四月…って、えっ?」
四月? 四月と言ったか。私は八月の東京に居たはずなのだが。
しかし四月。そりゃこんな格好で寒いわけだ。思わず空を仰いだ私に、飛鳥君が学生服の上を脱いで渡してくれた。
「来ててください。ないよりマシだと思うんで」
「そりゃありがたいけど、いいの? 飛鳥君寒くない?」
「僕は大丈夫ですよ。それよりここでずっと話をしているのもなんですから、町の中に入りましょう」
また手を差し伸べられて、今度は何故か躊躇うこともなくその手を取ることが出来た。
門をくぐるときぱちぱちと静電気のようなものが身体に走った。なんだろう、不快感はないけど不思議な感じだ。
手を引かれて門の中へ入ってみて驚いた。
広がっていたのはとてつもなく古風な町並みだ。古臭い、というんじゃない。古い時代そのままの町並みが残っている、まるで映画の撮影なんかで使われそうな。
「わぁお」
すごい。行商でところてんを売ってる店がある。いいな、ちょっと食べてみたいかも。
きょろきょろと興味津々で眺めていると、飛鳥君が話し掛けてきた。
「それで、さんはどうしてあんなところに?」
「んーいや、あのね。どうしてといわれても実は私もよくわかってないんだよね」
「というと?」
「うん。信じてもらえないかもしれないけど、ていうか信じろってほうが多分無理だと思うんだけど、私さっきまで東京の自分の家に居たはずなの」
「東京…」
「そう。それで部屋のテレビがおかしくなったなーと思って、気づいたらさっきの場所に居た。ついでに季節は八月だったよ。だからこんな薄着なわけだけど」
学生服を掴んでヒラヒラさせるながら言うと、飛鳥君は驚いたように私を見ていた。
予想どおりの反応に苦笑が漏れる。信じられなくて当然だ。私が飛鳥君の立場だったら、何を戯けたことをと思っただろう。
「夢かなぁと思ってたわけ。でもなんか醒める様子は無いし、もしかしてこれは現実なのかなぁとも思ってるわけなんだけど」
「現実、ですよ。少なくとも僕にとっては。だからきっとさんにとっても現実なんじゃないかな」
「あー、そうなのかなぁ」
「多分ですけど。信じますよ、僕はさんの話。でもとりあえずは、そうだな。僕の一存じゃどうにも出来ないんで、学校まで一緒に来てください」
「はぁ。良く分からないけど、お供します」
というかここで突き放されたらそれこそ私は路頭に迷うことになる。
繋いだ飛鳥君の手を離さないようしっかり握り締めると、小さく笑った飛鳥君が握り返してくれたのが嬉しかった。