「だから、違うって言ってるだろ」
「……じゃあ、どうすればいいの?」
声と笑顔を取り戻したは、本来の明るい気性をも取り戻していった。それまではいつも脅えて、おどおどした印象ばかりを与えてたけれど、今となってはそれも嘘のようだ。今のは良く笑い、怒り。ルックに対して自分の意見をはっきりとぶつける。
少し強情で頑ななところがあるが、それが本来のの気性なのだ。
「わからないんだもん。仕方ないよ。私はルックみたいに巧く出来ない」
「だから出来るようにする為に教えてるんだろ。しっかり見て、聞いてなよ」
「一回二回見て、聞いただけじゃできないもん」
ぷぅと頬を膨らませてふいっとそっぽを剥く。長い栗毛が揺れて、波打った。
ルックは深々と息を吐いて、構えていたロッドを下ろした。
。名を呼んで振り向かせようとするが、一度機嫌を損ねた彼女の機嫌を取り戻すのは難しい。というか骨が折れる。数年の間にルックはそれを知った。
「」
「……」
「いい加減にしないと起こるよ」
「……」
「!」
もう一度名を呼ぶがは振り向かない。膨れた頬と耳は真っ赤になっていて、泣きそうなのを堪えているようだった。
しばらくして観念したように振り向いたの顔はやはり赤くて、瞳は潤んでいた。
ルックは呆れたような困ったような、そんな思いで額に手をやる。
「君はどうしてそうすぐ泣くかな」
「だってルック厳しいんだもん。わかんないって言ってるのに、すぐ怒るし」
「君がちゃんと言う事聞かないからだろ。大体君、一応僕の姉弟子じゃないか」
「姉だろうが兄だろうが分からないものは分からないし、出来ないものは出来ないの!」
叫ぶなりは瞳からぼろぼろ涙を流して、それでもルックを睨み続けていた。
紋章術の勉強をすると必ずはこうやって泣く。厳しいルックの教え方にも問題はあろうが、それ以前には元来泣き虫であるようだった。
ルックは悪かったといっての頭に手を伸ばし、ぽんぽんと撫でる。身長の差が余りないため、その光景はどことなく微笑ましい。
「仕方ないね。じゃあ今日はもうここまでにしよう」
「うん」
「明日は同じとこやるから。復習しときなよ」
は黙って頷いて、ずずっと鼻水をすすった。
修行や訓練の間はこんなやりとりが多々あるが、実際二人は仲がよい。
たいていの時間は共に過ごし、夜遅くまで話をしていたりするものだから、そのまま眠ってしまってどちらかの部屋で朝を迎えるなどということはしょっちゅうだった。
そんなある日の事だった。
やはりいつものように夜中まで騒いで共に眠ってしまった時があった。
静まり返った部屋の中、小さくうめく声がする。
毛布にすっぽり包まっていたはその声に目が覚めて、半分寝ぼけ眼のまま首を捻った。むくりと起き上がりきょろきょろと辺りを見渡す。
「ルック……?」
同じようにして隣りで眠るルックを見ると、眉間に皺を寄せ苦しげにうめいていた。額には脂汗が浮んでいる。苦しげなその様子には慌てた。
「ど、どうしたのルック! 大丈夫!?」
病気だろうか。焦ったがルックの身体を小さく揺さ振ると、ルックは一度瞼を震わせてゆっくりと目を開けた。
焦点が定まらぬ翡翠の瞳が天井をさ迷い。に行き着く。不安げに覗き込む彼女を見て、明らかに安堵したような吐息を漏らした。
「大丈夫? ルック」
「……うん」
「どっか苦しいの? 痛い? お水いる?」
「いらない。大丈夫だから……、ここにいてよ」
「わかった」
の腕を掴みながら言ったルックの言葉が震えている事に気付き、はきっと怖い夢でも見たんだろうと思った。どこかが悪いわけではなさそうだというそのことに、はほっと胸を撫で下ろす。
しばらくして、片腕で目を覆っていたルックが変な夢を見た、と言った。
を掴む腕に僅かに力がこもった。
「変な夢?」
「うん。誰も……いなくなる夢。何も無くて、世界に独りきりで取り残された」
「私も、レックナート様もいないの? ルック独りだけなの?」
「うん」
「怖かった?」
「……うん」
手を放し起き上がったルックを、は徐にぎゅっと抱きしめた。
背に腕を回しあやすようにぽんぽんと叩く。
「いなくならないよ。大丈夫だよ。私は、ずっとルックの傍に居るから」
「うん……」
ルックもおずおずとの背に手を回す。存在を確かめるように。
そんなルックに大丈夫だよともう一度が呟き、ルックは安堵したように深く息を吐き出した。
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