魔術師の島を出て、解放軍の本拠地に来てからというもの。
ルックの機嫌は最高に悪かった。
師が星主に与えた石版の前を陣どって腕を組み、背を持たれかけてぶすくれている。
それもこれも全部、この軍のリーダーのせいだった。
解放軍に参加するようになって二月ほどが過ぎたが、その間ルックがと逢える事は一度もなかった。
はレックナートの使いということで、いろいろと多忙を極めているし、ルックは軍に身を置くものとしてそうそう私用で出かける事はできない。
長い間ずっと一緒で、だから分からなかった。逢いたいときに逢えないことが、これほど苦痛だとは。ルックはここへきて、初めてそれを思い知った。
そんなある日の事だ。
少しだけ面識の在る軍のリーダーが珍しく、石版守りをするルックの元を訪れた。
「やあルック。今日も相変わらず仏頂面だね」
「あんたは相変わらず頭軽そうだね」
「年上に向かってその口の利き方はよくないな」
「年上のくせに精神年齢が幼いあんたに言われたかないね」
ルックの言葉に、は怒るでもなく肩を竦めて石版を覗き込んだ。
紫がかった瞳で上から下までじっと見て、うーんと唸る。
108の星を集う面々が全て城に集まるにはまだまだ時間がかかりそうだった。
「それはそうとさ、ルック。彼女は元気?」
「は?」
「だよ。可愛いよね、あの子」
「……」
ルックは無言でを睨み付けた。
可愛い。確かには可愛いが、だからといって何故に答えねばならない。
鋭い視線を送るルックだったが、生憎とにはそれが効かないようだった。むしろ楽しげに笑っている。の中でルックは、「からかうと楽しい人間」リストに加えられたのかもしれない。
「ってさ、ルックの彼女?」
「……はぁ?」
思い切り語尾を上げて聞き返してしまった。
「関係ないよ。大体なんであんたがそれを聞くのさ」
「ただ気になったから聞いただけだよ。でもどうやらその反応だと違うようだね」
安心した、と妙な事を口にしては上機嫌でその場を立ち去ってしまった。
それから色々との言葉の意味を考えたが故に、ルックの機嫌は地を這うほどに低くなっていったのだ。
「ったく、なんなんだよ」
独りぼやいて背を預けた石版を肩越しに見やる。
自分の名も刻まれた石版。ここにの名前も刻み込まれればよかったのに、とルックは思った。そうすればは今でも一緒にいられたはずだ。
けれどそれは同時に、彼女をも戦争に巻き込む事になる。それは避けたいことだ。
矛盾する二つの思いを抱えて、けれどどうせの名は刻み込まれる事はないし、彼女がここに来る事はないのだという考えに行き着き、ルックはどうにも形容しがたい気持ちのまま大きく息を吐き出した。
「……そんなに溜息ばっかり吐いてると幸せが逃げちゃうよ?」
そんなの言葉が聞こえてくるような気がして……ルックは顔を上げ、珍しく目を丸くした。
聞こえてくるのではない。聞こえた。そしてその人物はあろうことか、目の前に立っていた。
覗き込むようにルックを見あげてくる青い瞳は二ヶ月ぶりに見るものであったが少しも変わっていない。きょとんと首を傾げる仕種も、そのままだ。
「な、。なんで君がここにいるんだよ」
「なんでって人を幽霊みたいに……いるからいるんだけどな。あのね、実はレックナート様に、ルックに逢いたい逢いたいって愚痴零してたら飛ばしてくれたの。少しの間だけね。私もいろいろと忙しいからすぐ戻らなくちゃならないし」
レックナートはほぼ毎日、ルックに逢いたいというの愚痴を聞かされていたのだろう。それが続くくらいなら一度会わせてしまった方がいいかもしれない。レックナートはそう考えをルックの元に送り付けたに違いない。これでしばらくは、静かになるだろうから。
「大丈夫? なんか、不機嫌? ……あ、それとも怖い夢見た?」
確かに夢は毎晩のように見るけれど、それに大して恐怖を抱くことはなくなった。変わりに別の思いを抱くようになったから。
そんなことを知らないはしばらく考え込むようにして、徐に腕を伸ばした。
そのままルックを抱きしめる。の方が背が低い為、抱きしめると言うよりは抱き着くという形になってしまうのは仕方が無い。
いつものように、あやすように。安心させるように、背を叩いて大丈夫だよと繰り返す。
久しぶりのの温もりにルックは肩の力が抜けて行った。苛立ちも自然と収まり、機嫌も直る。単純なものだと、自身でその現象に気づいて笑いそうになった。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ、もう」
「そっか」
「だからもういいよ」
「……や」
「?」
ルックにしがみついたまま、は首を振った。顔が見えない為ルックには分からなかったが、先程まで笑顔だったの顔が今は泣きそうに歪んでいる。
逢えない間、ずっと不安だったのだ。
ルックが無事かどうか。そればかりを考えていた。久しぶりに会って、その不安は安堵とともに現実味を帯びてどっと押し寄せてきたのだ。
無事でよかったという思いが渦巻いて、気がつけばは泣き出しそうになっていた。
昔だったらそのまま泣いていたに違いない。けれど今は、誤魔化すようにルックにしがみついて顔を隠した。
「もう少しだけ」
それでも長年一緒に暮らしてきたルックには、の声の変化で気づいてしまったようだ。押え込むような僅かに震えている声。ルックは苦笑を零して、自分の腕もの背に回した。
「少しだけだからね」
「うん」
その声と同時に、ぽつりと。ルックの肩に落ちる何かがあったことにルックは気付いたけれど、特に言及することはなかった。
後に解放戦争、門の紋章戦争とも呼ばれるこの戦が終結したのは。ルックが軍に身を置くようになってから、およそ一年が過ぎてからの事だった。
|