月光

第十六話



 にとっては予定内の、にとっては予定外の寄り道を終えた二人はヤザ平原を歩いていた。の耳には揺れる翡翠のピアスが陽を浴びてきらきらと光っている。もともとつけていたものはの助言により、ビネ・ゼル・ゼクセを出た日の朝小間物屋でネックレスに加工して貰った。白い法衣の下、銀の鎖に繋がれた赤い石が彼女の歩みに合わせて小さく弾む。
 日が落ち始めたヤザ平原を越え、もうじきビュッデヒュッケ城が見えてくるだろうという頃、ふいにに訊ねた。
は、さ」
「はい?」
「ルックのどこが好きなの?」
「……え?」
 まあ、なんとなく。世間話程度に聞いてみようと思ったに対し、予想だにしなかった問いを掛けられたは閉口してを凝視する。まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったという彼女の思考は表情が如実に語っていてはくすくすと笑う。またからかったんですか。拗ねたように言うに単なる好奇心だと答えれば、は思考するように口元に手を当ててから軽く首を傾けてしばしの無言の後。
「答えられません」
 と返した。
これまた予想だにしなかった答えに、今度はが目を丸くしてを見る。のなんとも言いがたい表情にくすりとが笑う。それを見たがもしかして今度は自分がからかわれたんだろうかと頭の端で思っていると、は一人答えを探し出すように静かな瞳を彼方へと向けた。
「どう言ったら良いでしょう……そうですね。少し話が逸れてしまうかもしれませんが…」
?」
は…」
 訊ねるの声との声が重なる。
 草原を駆ける風に彼女の黒髪が攫われて、銀の耳飾りが覗く。光を弾くそれを一瞥しは聞き返してから首を傾げた。
「何?」
は…ルックの生い立ちをご存知ですか?」
「え…ああ、うん。一応本人から聞いてるよ。ハルモニアの神官長ヒクサクが紋章を集めるために作った自分の複製…その中の一人がルックだって」
 それと、先ほどの問いとどう話が結びつくのだろうか。疑問に思うを余所に、の放った言葉は彼を驚かせるには十分なものだった。
「私も、同じなんですよ」
「…え」
「…いつかはお話しないといけないと思っていたことですし、今まとめてお話してしまいますね。私も、ルックたちと同じようにして作られました。過程は少し異なるので、正確にはヒクサクの複製とは言わないのかもしれませんが、自然の摂理の中で生まれた存在ではありません」
 語るの言葉を聞いて、の脳裏にあるイメージが浮かび上がった。それはブラス城で時司の紋章が見せた見たの過去の一部だった。
 なるほど、あれはそういう意味だったのか。
「なら、の紋章も…?」
「はい。ハルモニアに集められた紋章のうちのひとつです。けれどいざ継承者を必要としても紋章にはそれぞれ意志があり、誰もが宿せるわけではありません。だから私が作られました。紋章の継承者として相応しい”器“として。私の身体は紋章を核として動いています。それはルックも同じ。紋章は私であり、私は紋章なのです。だからこの紋章は私から離れることがありませんし、はずすこともできません。…それ故に」
 は一度言葉を区切って右手に視線を落とす。
「私はハルモニアに縛られ、外の世界を知らず育ちました。十八の年を迎え、ルックが現れるまでは。前にもお話しましたが、始めて外の世界を見せてくれたのはルックなのです」
 ご覧になりましたでしょうと続いたの言葉には頷いた。そうして思う。
 鳥の雛の刷り込みのようだ。初めてみたものを親鳥と思い込む、それと似ている。だけど…。
 の思考を呼んだようには微笑した。
「私もルックも、互いに抱くものが本当に恋情であるのか、と。疑問を抱くときもありました。もしかしたら私たちは同じだという、それ故に互いに同情し合いそしてそれを…互いを愛する気持ちと錯覚したのではないかと」
 錯覚などではないだろう。それは傍から見ているにもすぐに分かることだった。もしも二人が互いを思う気持ちが真実のものでないのなら、がルックの傍を離れた時点で気付くだろうし、何よりレックナートが動くはずもない。
「…でもそんなのは些細な問題でしかないんです。私はルックを大切に思っていて、何より傍にいたい。生きていて欲しいと思うから、今こうしてと共にその術を見つけるために歩いているのです。ただそれだけ」
「そっか…そうだね。ごめんね、変なことを聞いて」
「いいえ。でも、私はルックが好きです。どこが、好きなのかと問われてもそれは答えることが出来ませんけれど…。だって彼のどこか、が好きになったわけではなくて、彼自身を…彼の全てを愛しく思うのですから」
 朗らかに笑んで告げられたの台詞に、はそうだねと頷いて続けた。
「ルックは幸せものだね。本当に、こんなに想ってくれている人がいるんだから」
「そうだといいのですが…」
 本当に彼が幸せだと思っていてくれたなら。
 世界に反旗を翻そうなどと思わなかったのではないだろうかと。
 そんなことを頭の隅で思い、胸の奥に小さな痛みを感じながらは目を伏せた。


***


「あぁ、見えてきたね」
「え、と……あれが…?」
 思わずそう呟いてしまったのは仕方の無いことだと思って欲しい。二人の目の前に現れたのは、城というには些か威厳さにかける建物であったのだ。近づいていくにつれて詳細が明らかになっていく。城をぐるりと覆う外壁はところどころが崩れて穴が空き、建物に関してもそうだった。
 城門らしいものが無いから敷地とそうでない場所との明確な区別はつかないが、外壁が不自然に途切れている部分があるからそこが入口なのだろう。入り口の正面にある噴水は水が枯れ、落ち葉がどっさりと降り積もっており長年使われた形跡がなかった。
 今となってはかなり寂れた城ではあるが、元は立派な城だったのだろう。敷地の広さはかなりのものだ。グラスランド、ゼクセンの両軍を受け入れるだけの余裕は十分にありそうだった。
 口元に手を添えて考え込むに、が隣で苦笑した。
「人手が足りてなかったんじゃないかな。この城の管理をしているのはまだ若い少年だそうだから。資金の面でもね…色々あるんじゃない?」
「ああ、なるほど…」
「とにかく城主に会いに行かないとね」
「ええ」
 は頷いた。話はそれからだ。


 割れた石畳を進むの足元で、それは唐突に聞こえた。
「わんっ!」
「きゃっ」
 突如聞こえたその声と存在には驚いて一歩下がり、その拍子に割れた石畳に足を取られてバランスを崩して倒れかける。黒髪が揺れ白い法衣が翻り、咄嗟に手を出したがその体を受け止めて転倒は免れた。
「っ、と…大丈夫?」
「あ、すみません。ありがとうございます」
 体勢を立て直しながら足元に視線を落とせば、暖かそうな茶色い毛並みの何かが居た。くるりと丸まった尻尾をこれでもかと言わんばかりに振り回し、つぶらな瞳が構ってくれと言いたげに二人を見つめている。首には唐草模様の風呂敷。
「……犬?」
 そう、犬である。多少おかしな形をしていたがそれは確かに犬だった。しかも随分と人懐こい。
 から離れたがしゃがみこんで手を差し出すと、頭を寄せてきた。そっと撫でてやればもっと撫でろと言うように頭と濡れた鼻面とをぐいぐい押し付けて甘えてくる。愛らしい様子には思わず口元が緩む。胸の中がほっこりと暖かくなるようだった。
「可愛らしいですね」
「首に風呂敷…飼い犬かな。お前どこから来たんだい?」
 犬に向かってが問いかけるが、犬に人語が理解できるはずもなく。ハッハッと短い息を吐きながらくるりと体を回転させ、城に向かって駆け出して行き、城壁の傍らにぺたりと座り込んだ。そこが定位置であるかのように。
 あの可愛い形で、もしや城の門番か。二人の頭には同時に同じ考えが過ぎり顔を見合わせた二人の下へ、少女の声が飛び込んできた。程なくしてがしゃがしゃと重そうに金属の擦れあう音が響く。
「うん?」
「すみませーん」
 音と声のするほうへと目を向けた二人は、こちらへ向かって走ってくる奇天烈な形をした少女の姿を目に止めて閉口した。どこの大道芸人だろうかと思った。
 顔はとても可愛らしかった。異様なのはその顔と頭をすっぽりと覆うように被られた大きな兜。ゼクセンのものだろうか。胴当てをつけていて、その下から覗くのは赤いプリーツスカートと白い靴下を飽いた細い足。篭手をつけた手には武器なのだろう槍を持っているけれど、はっきりと言おう。たとえこの少女が城の衛兵だったとして、強そうには見えない。  駆け寄ってきた少女は警戒心の欠片も見当たらない、それどころか何か、つてつもなく何か期待に満ちた目で二人を見上げると声を上げた。
「もしかして出店希望の方ですか!?」





H23.08.20



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