森を抜け、石の巨大な門の向こうにあったのは賑やかな町だった。
後ろを振り返りその門を見上げ、もう一度前へ向き直り首を傾げる。ここは、どこだ。確か自分たちはビュッデヒュケ城へ向かっていたはずだが、城はおろか炎の運び手の存在する気配はないし、紋章の気配もない。
「…?」
見上げればはただニコニコと笑んでいるだけで、は小さく溜息をついた。
どうやら間違って来たわけではないらしい。
今二人がいるのはゼクセン連邦の首都、ビネ・デル・ゼクセだった。本来目指しているビュッデヒュッケ城はここよりも北に行ったところにある。ゼクセへ入る前ゼクセンの森と呼ばれる森を取ってきたわけだが、ブラス城を出て真っ直ぐにビュッデヒュケ城へ向かうなら森に入る必要はなく、北西へ向かう。しばらく歩けばヤザ平原へと出て、その先にある川を越えるとビュッデヒュケ城まではもうすぐだ。
「、あの…ここに何か用事でも?」
真っ直ぐにそこを目指さずゼクセへ寄ったということは、何か理由があるのだろうと試しに訊ねてみれば返って来たのは「特に用事はないよ」との予想を外れたもので、ならどうしてここへ来たのだろうかとは困惑気味に前を歩くの背を眺めていた。
彼の歩みは止まることなく、二人はいつの間にか海を臨む街のはずれを歩いていた。海から吹いてくる潮風が髪や衣服を揺らす。視線を移せばキラキラと輝く水面が見えて思わず足を止めた。
「…急ぐ気持ちもわかるけど」
いつの間にか振り向いていたがを見て、瞳を細めた。海面に反射する光が彼の横顔を照らす。少しだけ、は考えるような素振りを見せて続けた。
「少しくらい寄り道したところで事態が悪化することはないし、何より君は少し肩の力を抜いた方が良いよ。そのままだと目的を為す前に倒れてしまいかねない。不安なのはわかるんだけどね」
「…」
「ごめんね、強引かなとも思ったんだ。だけどやっぱり心配だったから」
の言葉に考え込むように顔を伏せ、は目を伏せた。どうしても急ぐ気持ちはある。だけどの言葉ももっともだと思うし、何より彼の優しさが嬉しかった。そうだ、少しくらい寄り道をしたところで今すぐに事態が悪化することはない。この街の人々の顔が穏やかなのが、何よりの証拠だ。
いつもには気を遣ってもらっている気がする。少し申し訳なく思いながらは顔を上げ微笑した。
「そうですね…。ありがとうございます。では少し、息抜きということで町の中を見て周りたいのですが、いいでしょうか」
「うん、どこでもの好きなところへ。あっちの方には露店もあったよ」
「行ってみたいです」
初めて訪れた街で迷わないように。それほど幼いわけでもないけれど、外の世界をあまり知らないがはぐれてしまわないように。ブラス城のときと同じようにの手を取って、は歩き出した。
町の中心部には大きなバザールがある。ブラス城を訪れたとき昔なじみのジーンに聞いていただったが、これほどの賑わいを見せているとは思っていなかった。
ゼクセンのものは勿論グラスランド、ハルモニア、果ては遠く群島諸国から入ってきたものだろう品々が所狭しと並べられている。
「凄いですね」
迷わないようにの手を握りながら歩くは興味津々と言った様子だった。目に付く全てが真新しく映るのだろう。
なんだか微笑ましくて、は思わず口元を緩ませる。
「何か気になるものとか、ある?」
「気になるもの…そう、ですね…」
黒い瞳をあちらこちらへと向けてある一転に止め、はくいっとの手を引いた。
「あそこへ行ってみてもいいですか?」
が指し示したのは装飾品の類を扱っている露店だった。
勿論と頷いて、二人揃って歩いていく。仲良く店の前にやってきたとを見て、女主人はにこやかに微笑んだ。
「ゆっくり見て行っておくれ」
はありがとうございます、と微笑み返して並べられた商品に視線を落とした。金や銀、貝や木材で作られた色取り取りのアクセサリーが並んでいる。指輪やネックレス、髪飾りにブレスレット。貝で出来たアクセサリーはあまり見かけないもので、手にとってみるとそれは角度によって虹色に光輝いて見えた。
「夜光貝だね。簪かな?」
「ヤコウガイ?」
「うん。群島諸国から流れてきたのかもしれないね。この辺りじゃあまり見かけないんだ」
「そうなんですか。綺麗ですね」
頷いて、割らないようにそっと台の上に戻す。買うつもりで手に取ったわけではないようだ。次にが手にしたのは陶器で出来た白い花と青い玉飾りの付いた髪留めだった。先ほどの簪とは違い真面目な表情でじっと見つめている。買うか買うまいか悩んでいるのだろうか。
「欲しいの?」
「あ、えっと…いえ、私のではなくて…」
「…まさかルックに?」
がきょとんとする。
「え……。ふふ、いやですたら。これはセラに似合うだろうと思って」
「セラ? …更にまさかのルックとの子供だったり」
黒い瞳がぱしぱしと瞬かれて。白い頬にさっと朱が走った。
「……ち、違います! 何を言うのです、。そんなわけ、が…」
あるはずがない、と。否定の声は消え入るように小さくつむがれた。
子供なんて出来るはずが無い。作られた体である自分とルックとの間に、どれだけ願おうともそれはきっと叶わない。
はふるりと首を振る。
そんなの様子に気づいたは地雷だったかと思いながら、慌てず焦らず話の軌道修正を試みた。気晴らしにするはずの寄り道で落ち込ませてどうする自分、だ。
「ごめんね、。ちょっとからかっただけなんだ。セラとは会ったことがあるから知ってるんだ」
「…からかうなんて酷いです」
じっとを見上げていたはふいとそっぽを向いた。拗ねた様なその姿にはおや、と思う。カレリア近くの山道で出会ってより此方、垣間見ることのなかった姿だ。もしかしてこれが本来の彼女なのだろうか。だとしたら。
(少しは吹っ切れたのかな?)
は小さく微笑んだ。
「からかったのは悪かったよ。ごめん。何か美味しいものでも奢るから機嫌直して、ね?」
「…では甘い物を」
「了解。行こう」
そうして立ち上がったは、とあるものを見つけて動きを止めた。
「?」
「あ、ごめん。先に行っていてくれるかな。みっつ先の屋台の前で待ってて、直ぐに行くから」
「? わかりました」
頷いてが歩き出すのを確認すると、は店主に声を掛けた。
***
何だかんだと楽しんで、その日はビネ・デル・ゼクセの宿屋に泊まることにした。
にぎわう食堂で向かい合って座っていたが、ふと思い出したように声を上げる。
「そうだ」
「どうかしました?」
「、手を出して」
「? はい」
言われたとおり差し出したの手の平に小さな金物が二つ、ぽとりと落とされた。ころりと転がりランプの明かりに照らされて光るそれは耳飾だ。小さな花飾りをあしらった銀細工と、それを彩る翡翠の石。それは二人が見ていた装飾品の店に並んでいた品の一つだった。
驚いて顔を上げたに、がにこりと微笑んで言う。
「あげる」
「いいのですか?」
「うん。からかっちゃったお詫びもかねてね、よかったら受け取って」
「ありがとうございます、。…綺麗な石」
ほわりと笑んで手のひらで転がすと、翡翠色の意思がほんのりと輝いた。まるでルックの瞳のようだ。風を閉じ込めたみたいに澄んだ、綺麗な緑色。
「気に入った?」
「はい、とても。つけてみてもいいですか?」
「それは勿論」
是非と頬杖を付いたの前で片方だけつけていたピアスを外し、新しいものと付け替えた。黒髪の合間に揺れて光るそれを見て、はうんと頷く。
「似合ってる」
「ありがとうございます。もしかして、」
「ん?」
「この石を選んだのは、似ているから…ですか?」
何がとは言わない。けれどにはの言わんとしていることが分かって、そうだよと笑った。
「似合うと思ったから、というのも理由の一つだけどね。が言ったとおり、似てるなって思ったから」
「そうですね…」
耳朶に指を当てては愛しげにピアスをなでた。
本当はもう一つ理由がある。風を纏うルックのイメージは緑。だからその色を選んだ。彼を無事に救えるようにと、ほんの少し願掛けの意味をこめて。
(自分らしくないな)
これはには告げないでおこう。はひっそりとそう思った。
H23.04.28
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