月光

第十三話



 ハルモニア軍の様子が可笑しい。後方から戦況を見極めていたシーザーは何処と無く浮き足だっている敵軍に疑問を抱いた。あの様子ではまるで後方からも攻撃を受けているようだ。彼の考えは当たっていたようで、突如ハルモニア軍の後方から巨大な竜巻が生まれ敵をなぎ倒して行った。
「なんだ、あれは」
 強力な紋章術。起こしたのは恐らく、ハルモニアに攻撃を仕掛けていたものたち。何処の部隊か。どれだけの規模か。果たして敵か味方か。情報が全く無いため判断がつかない。だが攻撃を仕掛けるならば今しかあるまい。そう決断した彼は前方に居る複数の部隊に突撃の指示を出した。

「上手いこと行ったみたいだね」
 動きの変わった双方の様子を眺めてが言うと、はことりと頷いた。
「ええ」
 このままハルモニア軍が引いてくれれば良いとは思うけれど、そう上手くは行かないだろうか。
 抜き身のままの剣を握ったはふと前方を見やり、何かに目を止めると血相を変えて走り出した。
ッ!?」
 驚いたように自分の名を呼ぶの声が聞こえる。けれど立ち止まっている暇は無かった。
 急がなければ! 今彼を失えば、全ての希望が絶たれてしまう!
 の駆け出した先には果敢にも剣を振るい敵軍と戦う幼い英雄と、その彼に背後から切りかかろうとする敵兵の姿があった。
 間に合って―――!!


***


 敵の凶刃が襲いかかろうとする直前、殺気に気づいたヒューゴは振り向き目を見張った。武器を構えようとするものの僅かに遅く、代わりに咄嗟に身を捻るが交わしきれない! 敵の刃を身に受ける覚悟をして目を閉じかけた刹那、視界に白いものが入り込んだ。
 次いで刃のぶつかり合う高い音。剣戟の音が響き、顔を上げたヒューゴは自分より少し年上だろう少女がハルモニア兵と剣を交える様を呆然と眺めていた。決着は直ぐに付き、血飛沫を上げて倒れたのはハルモニア兵の方だった。
「あ…」
 ふーっと息を吐き出す少女をヒューゴは見上げる。ふわりと白い外套――先ほど視界に入り込んだ白いものはどうやら彼女の纏っていた法衣だったらしい――を揺らして、少女は振り返るとヒューゴに微笑みかけた。
「お怪我はありませんでしたか? ヒューゴさん」
 さらりと揺れる黒髪。浮かべられた微笑。白い頬にも外套にも返り血が付いていたけれど、それでも彼女は美しかった。ヒューゴは思わず真っ赤になって大きく頷く。
「あのっ、助けてくれてありがとうございました!」
 そうして直ぐに、ここが戦場であることを思い出して立ち上がった。周りではまだ戦いが続いている。こんなところで気を抜いている場合ではない。
 何か言いたそうに少女を見ていたヒューゴだったか、私に構わず行って欲しいと少女に促され駆け出していった。


***


 ヒューゴを見送ったの元へ何処と無く怒ったような雰囲気のが近づいてきた。

 名を呼ぶ声は諌めるかの如く。
「無茶をしすぎた」
 はすみません、と一つ謝る。間に合ったから良かったものの、の言うとおり多少無茶をした自覚はあった。
 そんな彼女には深く息を吐く。確かに今ここで彼を失うわけには行かなかった。彼はこの軍の、炎の運び手の要。最後の砦だ。彼が居なくなれば炎の運び手はあっという間に瓦解してしまうだろう。の取った行動は間違ってはいない。いないのだが…。
 それ以上に、にも死なれて貰っては困るのだ。そもそも彼女はなすべき目的があって、ここに居るはずなのだから。もう少し自重してもらわないと。
「…まあいいや。その話はまた後で。とにかく僕たちは一旦引こう。いいね?」
「わかりました」
 これ以上ここですることも無い。
 素直に頷いたの手を握ると転移魔法を唱えた。


 それからしばらく、ハルモニアと炎の運び手たちの戦いは続いた。戦況はほぼ互角。このままでは消耗戦に持ち込まれるだろうと思われたとき、炎の運び手側に援軍が到着した。それによって戦況を不利と悟ったハルモニア軍は早々に撤退。ブラス城は彼らの手に堕ちることなく無事守られた。


 歓声を上げる炎の運び手たち。その彼らを見て、は顔をほころばせる。ゼクセンもグラスランドも双方抱き合って喜びの声を上げている。まるでそれまでの種族間の壁など存在しなかったようだ。よかったですね、と隣のを仰ぐと彼もかすかに笑みを乗せて頷いた。
 しばらくの間はハルモニアが攻め込んでくることもないだろう。
「…それにしても、
「なんですか?」
「自分の格好ちゃんと見た? 結構すごいことになってるよ」
「……あら、本当に。気付きませんでした」
 なるべく返り血を浴びないよう戦ってきたけれど、ヒューゴを助けるために剣を振るったあのときだけはそこまで頭が回っていなかった。ただ彼を守らなければとそれだけを考えていたため加減も出来ず、浴びた返り血で見事に外套が赤く染まってしまっていた。この分だと法衣の方も不味いことになっているかもしれない。ぺろ、と外套をめくってみると案の定では思わず眉を顰めた。
「……宿に戻ろうか」
「そうですね」
 あれだけの数を相手に戦ったのだ。そうは見えなくても疲れていないわけがない。何はともあれ今はお互い休息を取りたかった。
宿に向かって歩き出したの後姿をしばらく見つめて、は目を伏せた。

 どうして。
 ただ不思議だった。
 何故、彼はここまでして力を貸してくれたのだろう。この戦いも、の立てた作戦も、ともすれば命を落としかねない危険なものだった。けれど彼は止めるわけでもなく、ましてや嫌がるわけでもなく共に戦ってくれた。それがには不思議でならない。旅の供であるから? …そうまでする義理は無いだろうに。
 旅の供を申し出てくれたときは素直に嬉しかったし彼に感謝した。だけど同時に疑問もあった。そうしてあの、夢。もし彼が自分に力添えをしてくれるのが、彼の…ルックの友人だからという理由だったなら。は全てを知っているのだろう。
 聞かなければならないと思った。そして話さなければいけないと。
、宿に戻ったらお聞きしたいことがあります。それとお話しなければならないことが」
 真剣なまなざしで自分を見上げてくるは足を止めて振り返ると、ふと微笑を浮かべ小さく頷いた。

 くるべき時が、来たのだろう。





H22.10.17



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