月光

第十二話



 進軍を開始したハルモニア軍と防衛線を張るグラスランド、ゼクセン両軍。この場合炎の英雄を旗とする彼らは炎の運び手と呼ぶのが適切だろうか。
 それぞれが攻防を会した頃、の二人は転移魔法を使いハルモニア軍の最後尾に現れていた。誰も二人の存在に気づいていない。そっと気配を殺し、二人は武器を構える。の抜き放った刀身が銀の光を放ち、切れ味の鋭さを物語る。
 視線を交わし頷き合うと二人はそれぞれに駆け出した。
 これから自分が傷つけることになるだろう人たちには心の中で謝罪をする。殺しはしない。殺生は彼女の望むところではないから。彼らが死ねば悲しむ人間も居る。その感情はのよく知るところで、だから尚更に甘いといわれようとも悪戯に人の命を奪いたくはなかった。
 そうして一度目を閉じたは、すっと息を吸い込むと剣を閃かせた。



 先頭で馬を進めていたササライは、後方から聞こえてきた喧騒に何事かと馬の足を止めた。同じように足を止めかけていた兵にはそのまま進むよう指示を与えて、後方部隊からの報告を待つ。
 慌てたように鎧を鳴らしかけてきた兵士はササライとディオスの元で敬礼をした。
「何事だ!」
「はっ。後方部隊が何者かに奇襲を受けた模様です!」
「奇襲だと?」
 怪訝そうな顔をしてディオスが上官を見る。ササライは特に焦った様子も慌てた様子も無く、首を傾げると口元に手を当てた。伏兵だろうか。そう考えてみてから、違うなと首を振る。ここへ来るまでの道のりは平坦で、姿を隠せる場所などなかった。伏兵が居たなら直ぐに見破れたはずだ。
 ちらちと後方を見やればなるほど、何者かが隊をかき乱しているのが見て取れた。怒号や悲鳴が聞こえる。青い神官服と銀の鎧に混ざって時折赤いものと白いものが見え隠れしている。数百の兵相手にたった数人の敵。なのに此方がかき乱される一方で一向に敵が捕まる様子が無いというのは一体どうしたわけなのか。
相当の手誰ということなのだろうか。
「数は? それほど多くは無いようだけど…随分と梃子摺っているね」
「すぐに捕縛しろ! 抵抗するなら殺しても構わん!」
 ササライの言葉を引き継ぐようにディオスが指示を飛ばし、兵は鎧を鳴らしながら再び駆け出していった。
「情け無いね。たった数人の敵相手に」
「少ないとはいえ後方にも敵がいるのは少々やっかいですな」
「そうだね」
 思わぬ敵の出現に兵たちが動揺しはじめている。士気が下がる前になんとしても排除しなければ。
 やれやれと溜息をついて剣戟の響く後方へもう一度目をやったササライは、ソレを見つけ翡翠の瞳を見張った。
 何故、君が。
「ササライ様?」
 副官が訝るように名を呼ぶも、ササライはそれに応えない。
 煌く銀色の刃。赤い鮮血が舞い、ひらりと白い衣が踊る。相反する黒髪が風に揺れて、闇を塗り固めたような漆黒の瞳が此方を向く。刹那、彼女の姿がずっと昔に神殿で見かけた少女のものと被った。
 あれはどれほど前のことだったろうか。偶然入り込んだその部屋に彼女は居た。漆黒の闇に包まれて、眉のような白い法衣に包まれて眠っていた美しい少女だった。一度きりの邂逅。何のためにそこに居たのか、彼女は一体誰だったのか。何も知ることなく時は過ぎ、次第に記憶の中からその存在は薄れていったけれど。
「ササライ様? どうかいたしましたか?」
 副官の言葉にはっとして、ササライは己の動揺を悟られぬように首を振った。
「いや、なんでもない。大丈夫だよ」
 指揮官がこんなことではいけない。雑念など今は持つべきではないのだ。敵はただ排除すべきであって、それが何者であっても関係ない。
 今はただ、ブラス城を落とし紋章を手に入れることだけを考えろ。



 カンッと高い音を立てて鉄がぶつかり合い火花が散る。男女では力の差がありすぎる。はすと横に剣をずらし相手の刃を流すと一度後方に飛んだ。これまでにかなりの数の敵を倒してきた彼女だが息切れ一つしていない。少し離れたところではが優雅に棍をふるって敵を裁いていく。その腕前たるや見事なものだ。
「何のつもりだ、女!」
 背後から別の兵士がに切りかかる。何のつもりか、と問われてもそれに答える義務は無いし、答えるつもりもない。返答の変わりにふわりと微笑み、刃をひらめかせて攻撃をかわし左手を前に突き出した。何事かとひるむ兵士に躊躇い無く紋章を放つ。燃え盛る火は鎧を着込む兵士を脅し程度に包み込んで消滅した。
「く、この…っ!」
 悔しげに兵士が歯噛みする。それまで相手をしていた兵士が再び切りかかってくるのを横目でみて、はすっと身を屈め勢いをつけて相手の懐に飛び込むと剣の柄で鳩尾を打った。小さく呻いて崩れ落ちる身体を交わし、体勢を立て直して息をつく。そろそろいいだろうか。騒ぎはもう指揮官の耳にまで届いているはずだ。彼らもを捕らえようと必死なのだろうが何分相手が悪かった。そう簡単につかまる二人ではない。
 ハルモニア軍は現在正体の分からぬ敵に隊をかき乱されて浮き足立っている。この隙を見て炎の運び手が動いてくれればよいと、これがの立てた作戦だった。うまく行っているのか否かこの位置からではわからないが、どちらにしてもそろそろ退却した方が無難だろう。
 侮れぬ相手と知ってか少しの距離を置いてを取り巻くように身構える兵士たちを尻目に、彼女はそっと呪文を紡いだ。紋章術を詠唱無しで発動させることは出来る。けれどより強い威力を発揮させるにはやはり詠唱をしたほうが確実だ。
 詠唱が完了する。同時にが敵の間を縫っての元に駆けつける。
 ぶわりと、二人を中心に凄まじい竜巻が巻き起こり土埃を上げながら敵を次々になぎ倒していった。
 紋章によって生み出された風が収まり、土埃で遮られていた視界がはっきりと開ける頃になると、既にその場から二人の姿は消えていた。





H22.10.15



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