翌朝、が目を覚ますとはまだ眠っていた。
彼女の姿を一度見てから、大きく伸びをして欠伸をかみ殺す。目じりに浮かんだ涙を乱暴に拭った。いつの間にか窓のカーテンは引かれていて、自分で閉めた覚えは無いから恐らくマナがやったのだろう。隙間から差し込んだ一条の光が室内を照らしていた。立ち上がりさっとカーテンを引くと途端に部屋の中に光の洪水が溢れる。眩しさに目を細めながら窓を開放すれば、爽やかな風が部屋中を駆け抜けていった。バンダナを巻かず流したままのの黒髪が風に遊ばれるように、揺れる。
「良い天気だな」
空を見上げてぽつりと呟き、もう一度欠伸をするとは振り返った。
「」
呼びかける。さほど深くない眠りだったのか、長い睫が縁取る瞼が静かに震えた。覗く黒曜の瞳。ぼんやりとした様子で天井を眺め、瞬く。二度、三度。そうして一度両手で顔を覆うようにして深く息を吐き出すと、ゆっくりと身を起こす。寝乱れた髪がはらはらと白い頬にかかる様子を眺めながら、はにこりと笑んだ。
「おはよう。よく眠れた?」
「おはようございます、。そう、ですね」
頷くもののほんの少し歯切れが悪く。を見やる瞳と瞼が少し充血していた。もしかしたらあまり眠れなかったのだろうか。それとも…。思うところはあったけれど追求するべきではないと判断して、は気づかぬ振りをする。
「そっか。お腹すいてる? 食べられそうなら朝食摂りに行こうか」
「はい」
頷いたは手櫛で髪を整えてベッドから降りた。
階下の食堂に行き簡単な朝食を摂る。
給仕らしい女性が運んできたトレイには香ばしく香る焼きたてのパンと野菜、焼いた肉が一切れ、そうして色取り取りな果物の盛り合わせと水が乗せられていた。元々食事量も少なく、それほど食欲の無いにはなんとか食べ切れそうな量であったけれど、同じ量では足りるのだろうかと内心首を傾げるである。しかしは気にした様子もなく食事を始めていたので、続くようにしてもフォークを手に取った。野菜を差して口に運ぶと瑞々しい食感とドレッシングのさっぱりとした風味が広がる。美味しい。
「今日はどうしようか。少し街を見て回る?」
パンを千切りながら訊ねてきたに、は黒い瞳を瞬かせると悩むように首を傾げる。口の中のものを噛み砕いて飲み干すと、小さく頷いた。
「うん、じゃあそうしようか」
千切ったパンを口に運ぶ。ゆっくり咀嚼して飲み込み、水に手を伸ばして口を潤すの様子を不躾かと思いながらもはじっと見つめていた。
なんと言ったら良いんだろう。よどみなく流れる仕草。洗練されているというか、とても…。
「綺麗、ですね」
「……、え?」
手を止めたが顔を上げる。紫暗の瞳が不思議そうにを見ていて、そうして自分が思わず口に出していたことに気づいたは慌てて謝罪の言葉を口にした。
「あ、すみません。の食べ方が綺麗だと思ったものですから、つい」
「あぁ……そう?」
「はい」
首を傾げるには頷いた。
大しては曖昧かつ複雑に微笑を乗せる。自分の食事姿が綺麗かどうかはさておいても、思い当たる節はあった。もともと貴族の跡継ぎとして育てられてきたは礼儀作法の類を幼い頃からきっちりと教え込まれている。とりわけて食事作法は厳しく躾けられた。身に染み付いているそれは何年経とうが意識せずとも自然と出てしまうものなのかもしれない。
今まではあまり気にしたことがなかったのだけれど。
(少し気をつけたほうがいいかな)
そんなことをちらりと思いながら、切り分けた肉を口に運ぶ。
それからしばらくして二人の食事が終盤に差し掛かり、それぞれがデザートに手をつけていたときだった。俄に空気がざわめきだした。先に気づいたのはで、紫暗の瞳を入り口の方へ向ける。
「何かあったみたいだね」
「ええ…何でしょう」
次いでも気づき、食事の手を止めた。人の動きが慌しい。表情もどこか緊張を孕んでいるし、外の騒ぎは次第に喧騒と化してきている。随分と穏やかではない。
人の駆ける振動で波紋を描くグラスの中の水に視線を落としていたは、ぴんと魔力の琴線に触れるものを感じてはっと顔を上げた。そうして戸惑いの含む表情でを見る。
「…」
名を呼ぶとは小さく、けれど確かに頷いた。
「うん。微かだけど感じるね。強い紋章の気配」
「これは…五行の紋章?」
感じたものをそのまま独り言のように呟く。強い紋章の気配がする。持ち主の魔力自体はさほど強くないようだけれど、紋章自体はかなりの力を秘めているようだ。それはたとえて言うならやの持つ紋章ではなく、ルックのものと近しい存在…五大元素を司る紋章の一つのように思えた。属性までは分からないが、確実にいえるのはルックの持つ風の紋章では無いということだ。長い間傍に居たにはルックの持つ紋章の気配ならば間違うことなく感じ取れる。
残る可能性は雷、火、水、土の紋章のどれか。四つのうち持ち主の定まっていない紋章は火と水の紋章だけであったはずだけれど、これはそのどちらかなんだろうか。
テーブルに視線を落として考え込んだをは黙って見つめ、ややあって口を開いた。
「、一度外に出てみようか。状況確認も大切だよね」
「はい。何事もなければよいのですが…そういうわけには行かないのでしょうね、きっと」
それは予感だった。
「そうだね…」
の言葉には静かに頷いた。
H22.10.08 橋田葵
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