雪去り



 勾陣の言っていた言葉の意味を、騰蛇はすぐに知ることになった。

 昌浩を探して邸の中を歩いていた時だった。否、探していたという言い方は適当ではないかもしれない。気配を探れば探さずとも見つけ出すことが出来る。
 昌浩の気配は普段足を運ばない対屋にあり、騰蛇はそこを目指していた。
 母屋と違ってどこかひっそりとした空気が漂っている。
「ねーま」
 一つの部屋にたどりつくと中から昌浩の声が聞こえ、覗きこんだ騰蛇は軽く目を見張った。
 先日見かけた少女がいた。褥の上で上体だけを起こし、脇息に寄りかかって昌浩に笑いかけている。少女の足の上には昌浩が乗っかり薬玉をいじって遊んでいた。
「ああ、こら。あまり乱暴に扱うと壊れてしまうよ」
 軽く窘める声は涼やかで聞き心地が良い。例えるならば、静かに流れる春の沢。
 昌浩を見つめる双つの瞳は、左右それぞれが異なった色彩を放ち、前に騰蛇が見つけたときと同じ紅と黒。
 結い上げられた髪は長く、毛先が床にくるくると弧を描いて、頬の辺りで削ぎ切られた髪が動きに合わせてさらさらと音を立てるがごとくに揺れる。赤い唇に白い頬。
 美しい少女だったが、少し白すぎる頬と細すぎる体が彼女の美しさを損なっていた。
 健康体であれば、求婚する男が後を断たないだろう。
 入り口で突っ立ったままの騰蛇に気づいた少女がつい、と顔を上げ騰蛇を見た。
 先日のように隠形し、見えないはずの騰蛇を確かに捕らえて口角を上げる。昌浩や晴明を覗くほかの人間たちは、抑えていても尚こぼれ出る騰蛇の神気に恐れをなす。けれど彼女は恐れているそぶりなど一切見せることはなく、それどころか気安く騰蛇に声をかけてきた。
「そのようなところにいないで、入ればいい」
 自分に向けられた言葉だとわかっていても、騰蛇はすぐに応えることが出来なかった。何故、見えるのか。ならば何故、彼女は自分を恐れないのか。
 騰蛇の疑問に答えるように少女は言う。
「何故見えるのか。どうして恐れないのか。そう言いたそうだね」
「あ…」
「そう言う人間も中にはいるのよ」
 いまいち納得の出来かねる答えだったが、それ以上話す気はないのか、少女は昌浩を後ろ抱きにして騰蛇を見上げていた。
 騰蛇は躊躇いながら足を踏み入れる。片手に薬玉を持ったまま昌浩が騰蛇に向かって両手を伸ばし、きゃっきゃと笑った。
「このような姿で申し訳ないけれど」
 肩から袿を羽織り、昌浩を片手で抱きかかえ脇息に持たれたままの姿勢で言う。
 ふとみせた微笑はどこか昏いかげりのある笑顔で、そういえばと騰蛇は前に勾陣が言っていたことを思い出した。一姫はあまり身体が丈夫ではないのだと。
 あまり長い間床から離れられないのだろう。だから今まで姿を見ることもなかったのだ。
「あなたはおじい様の式神ね? 騰蛇…であっているかしら」
「ああ…」
「そう。始めまして、と言った方がいいのかな。私は。誰かから聞いているかもしれないけれど、この子の姉になる…一応」
 昌浩の頭を撫でながら言うの言葉…というよりは口調に、どことなく違和感を覚えた。それが何であるのか、その正体はわからない。
(何だ…?)
 抱いた疑問を払拭するように騰蛇は小さく頭を振り、そうかと頷いた。
「昌浩を探しに来たのでしょう? さ、行きなさい昌浩」
 に促され昌浩は薬玉を持ったままたどたどしい口調で騰蛇の名を呼び、小さな腕をいっぱいに伸ばして屈みこんだ騰蛇の腕にしがみついた。立ち上がり様、騰蛇は昌浩を抱き上げる。
「失礼する」
「ええ」
 軽く笑んで二人を見送るのどことなく冷めた笑顔が、騰蛇の頭の隅に引っかかり、そうして先ほど覚えた違和感の正体を知る。昌浩を見つめる瞳にも声にも、家族ならば無条件で与えるはずの暖かさがないのだ。冷めきっているわけではないが、どこかそっけない。かといって先ほどの構っていた様子を思い出してみると、別段大切にしていないわけではないらしい。
「……」
 腕に抱えた昌浩は、相変わらず無邪気に手の中の薬玉をいじって遊んでいる。
 まあ、気にすることもないか。
 そう考えて部屋を立ち去ろうとした騰蛇の耳にのものだろう。咳き込む声が聞こえてきた。大丈夫だろうか、とは思うものの何故かもう一度の元に戻ろうと言う気にはなれなかった。







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H27.07.09


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