歌声が響く。優しく悲しく、何かを訴えかけるように伝えるように。
歌声が響く。冷たい空気に優しく溶けて。
どこまでも、遠く。遙か遠くへと。
想いを乗せて、彼方へと。
小さな金属の触れ合う音。慌しい足音が静まりかえった城内に響き、冷たい冬の空気を震わせる。四角い物見窓から見える群青色の空に浮かぶのは猫の爪のように細い三日月。ゆっくりと動く雲間に隠れては現れ、そうしてまた姿を隠し仄かな明かりさえも地上から消し去る。
一度足を止め物見窓から外を見やった青年は軽く眉を潜め、前を行く人物を呼び止めた。
「アスラン」
「…キラ」
足を止め急いたように振り返る青年の髪は、夜明け前の空と同じ深い藍色をしている。呼び止めた青年を真っ直ぐに見据える瞳は翡翠の宝石のようだ。対して彼を呼び止めた青年の髪の色は茶。このうす闇の中では判別しにくいが、瞳の色は菫の花の色によく似ている。
再び雲間から姿を覗かせたわずかな月明かりに照らされた二人の顔は、まだ少し幼さを残すものだ。茶の髪の青年…キラは親友を安心させるようにその優しげな面差しに微笑を乗せた。
「少し落ち着こうよ。焦ったら見つけられるものも見つけられないよ」
「それは…分かってるさ。だが…」
「うん。だけどやっぱり落ち着こう。大丈夫だからさ」
大丈夫、などという保障はどこにもないけれど今はともかく落ち着かなければ。焦ってばかりでは見えてくるものも見えてこない。何か見落としたものがあるはずだ、きっと。もう一度初めから考えて、見直してみれば今まで気付けなかったことに気付けるかもしれない。
「落ち着いてなど…」
アスランが焦る気持ちは分かる。もしも自分が彼と同じ立場だったら、やはり落ち着いてなどいられなかっただろう。焦って、動揺してがむしゃらに城の中を走り回っている。焦るなといわれても冷静でなどいられるわけがない。いなくなったのはこの国の女王で自分の婚約者なのだから。
一人の少女が姿を消した。それがただの少女ならば彼らがこのように焦る必要はない。
姿を消した少女の名はラクス・クライン。アスラン・ザラの婚約者にしてプラント王国の歌姫そして現女王でもある尊い身分の少女。国民に慕い愛されていた。
彼女が何故姿を消したのか。その理由も原因も、どのような方法でこの城から抜け出したのか。果たしてそれは彼女本人の意思なのかそれとも悪意あるものの仕業であるのか。今の段階では全く掴めていない。分からないのだ、何もかもが今だ全ては闇の中。
夕刻までは部屋にいた。それは侍女の証言で明らかになっている。それから二刻も経たぬ間に彼女は消えてしまった。城の外へ出た形跡はない。城から外へ続く門、扉、橋いたるところに衛兵が配している。その彼らの誰もラクスの姿を見ていないのだ。
だからなおさら、分からない。
…門を通らず、端をも通らず人目に触れず外へ出る方法がないわけではないのだ。コーディネイターである彼らには。だがそうまでして城を出ることの必要性が感じられない。少なくとも夕刻部屋にいたラクスはいつもと変わらなかった。そう何時もどおり。何一つ変わったことなどなく。誰にも何も告げずにいなくなることなど、今まで一度だってなかったというのに。
「アスラン、一度部屋へ戻ろう。ね」
「そう、だな」
頷いた親友の肩に手を置いて、キラとアスランは共にきびすを返した。
女王が姿を眩ましたことはまだごく一部のものしか知らず、おそらくはそれが民衆に知られることも知らされることはないだろう。
歌姫として名を馳せていたラクスは、国民に慕われ愛されていたが公に人前に姿を見せることは滅多になかった。だから悟られる心配はない。
それにわざわざ民に知らせ、不安をあおる必要はないだろう。きっと女王は無事だ。必ず戻ってくる。
そう大丈夫。きっと彼女は無事だ。そう思いながらも一抹の不安…だろうか。拭い去ることの出来ないのは何故なんだろう。何か引っかかるものを感じるのは、どうして。細い三日月を仰ぎながら、胸に巣くう暗雲としたものを払うようにキラは深い息を吐き出した。
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