夏休みも間近に迫った7月の初め。
大学の講義が午前中で終り時間に余裕ができた私は、新しいカフェが大学のすぐ近くに出来たのだと友人たちが話していたのを思い出し、折角だから少し寄って行こうと足を進めた。
太陽はまだ高い。夏の明るい太陽が雲間から隠れたり覗いたりを繰り返して、じりじりと肌を焼く。そういえば今日の朝は少し寝坊をしてしまって慌しく家を出たために、日焼け止めを塗ってくるのを忘れていた。バッグを持っていないほうの腕を目線まで持ち上げて見てみればほんの少し肌が赤く焼けていて、このまま直射日光を浴び続けたら夜辺り酷いことになっていそうだ。汗ばむ眉間に皺を刻み、出来る限り日陰を歩こうと決意をしながら最初の角を曲がる。
続く銀杏並木。秋には見事に色づいて目を楽しませてくれるこの通りも今の時期は酷くそっけない。蝉時雨をBGMに肩からずり落ちかけた少し重いバッグを掛けなおし、ふと空を仰いだ瞬間だった。
ぐんと足許から何かに引っ張られるような感覚がした。
「え、なに…」
目の前の景色がぐにゃりと歪む。貧血だろうか。さっと足元に血が下がる。頭の中をかきまぜられているような不快感が襲ってきて喉の奥から胃の内容物が競り上がって来るのを感じ、思わずきつく目を閉じた。
つんと鼻孔をつく覚えのない香り。薬っぽいようで、洗剤の香りにも似ている気がする。さっきまで聞こえていた蝉時雨はぴたりと止んで、代わりにこぽこぽと湯が煮えたぎるような音や何かが燃え爆ぜる音や、そんな音が耳に残った。
ようやっと眩暈がひいて、そろりと目を開けるとそこには照りつける夏の太陽の明るさも通学路の銀杏並木も存在しなかった。
そこは独特の雰囲気の漂う室内だった。
「…は?」
足元には淡く光る幾何学模様の魔法陣。私はその中央にぺたんと座り込んでいる。あたりに視線を走らせればあちこちに怪しげな鍋が置かれていて、中には湯気を立てているものもあればどろりとした液体が吹き零れているものもある。先ほどの煮え滾るような音の正体はこれか。まるで絵本や童話に出てくる魔法使いの部屋のようだと思った。
そうして目の前には、タイプの違う無駄に美形な男子が六人ほど。それぞれがなんとも言い表しがたい表情を浮かべて私を凝視していた。
(なんだこれは。新手の誘拐か。ドッキリか)
何を口にしていいかわからなくて、そんなことを考える。ここはいったい何処なんだろう。さっきまで通学路の並木道に立っていたと言うのに、いつの間に私はこんなところに連れて来られたんだろう。
もしやあの並木道には深い落とし穴があって、私はその中に落ちたのでは……。そんなわけがあるか。
眉間に皺を寄せて唸る私に、青い髪の少年が目を輝かせて問い詰めてきた。
「君は人間? 召喚魔法使ったら人間が召喚された、なんて聞いたことないよ。すごいや! ねえ、いったい何処から来たの? 名前は? なんていう種族? 得意な魔法とかってあるのかな、よかったら見せて欲しいんだけど!」
ぽんぽんと矢継ぎ早に出される質問に思わず目が点。ぽかんと口を開けた私はさぞかしアホ面だったに違いない。
え、何? なんなの?
寧ろ色々と聞きたいことがあるのはこちらの方なのだけれど。
黙り込んだままの私に構うことなく青い髪の少年はマシンガンのように質問を投げてよこす。見かねたらしい褐色の肌の青年が、ユリウスと名を呼んで少年を止めた。青い髪の少年はユリウスというらしい。
「あー…イマイチ状況が把握できてないんだけど、ここ何処? 貴方たちは誰?」
何で私はここに居る? さっぱりわけが分からない。
座り込んだまま五人を見上げ、彼らのうちの誰にでもなく問えば最年少らしい黒髪の少年が深々とため息を吐いたのが分かった。
「アルバロ。だから言ったじゃないですか、その召還魔法の構成は間違っていると」
「でも召還できたみたいだし、あながち間違いでもないんじゃない?」
あっけらかんと答えたのはなんとも奇抜な色の髪を高く結い上げた青年だった。水色の髪ってどうなんだろう、とか。頬に埋め込まれてる宝石はいったいなんだろうとか。そんなことを私が考えている間にも彼らの間で話は進む。誰も私の質問に答えてくれない辺りものすごく放って置かれてる感があって寂しいというか切ないというか。
「人間を召還するなんて有り得ないだろう、普通!」
育ちの良さそうな金髪の少年がいきり立つ。しかし水色の髪の青年は飄々とした態度を崩すことなく、まあまあ落ち着いてと明らかに煽っているだろう楽しげな口調で金髪の少年を宥めた。
…ん? 召還? 召還魔法??
彼らは今そう言っていただろうか。そんなまさか。物語に出てくる魔法使いじゃあるまいし、召還魔法なんてあるはずが無い。だって彼らの話を要約すれば、間違った魔法陣で召還されたのが私ということになる。
セオリー通りなら召還されてくるのは見目麗しい精霊だったり、猛々しい獣だったりするんじゃないんだろうか。
残念ながら私は何一つ秀でたところが無い平々凡々とした女子大生で、人間だ。召還されたところで召還した人間に利益も幸福も何一つも齎すことは無いだろう。
もしかして彼らは、顔は美形だけど魔法使いにものすごく憧れていて、なりきっちゃってる残念な美形軍団か何かなんだろうか…。頭の端っこで結構失礼なことを考える私である。
…うん、あるわけがない。ひょっとしたら私は貧血を起こしてあの銀杏並木で倒れ、夢を見ている真っ最中なのかもしれない。そうだ。きっとこれは悪い夢だ。
夢から覚めるにはどうすればいいんだったろうか。頬をつねる? よし実践してみよう。
ぎゅむぎゅむと自分の頬をつねる私に彼らが哀れむようなまなざしを向けてくるのが分かる。
「彼女は何をしているのでしょう」
「大方悪い夢から覚めるべく必死に頬をつねっている、といったところじゃないか」
「彼女は、コレを夢だと思いこんデいるのデスね」
「早いとこ事情を説明してあげたほうがいいんじゃない?」
「そういうならアルバロ。原因はテメーにあんだから、テメーが説明してやりゃいいだろ」
「えー、俺? あること無いこと言っちゃうかもしれないけどそれでもいいの?」
「「「「「……」」」」」
何やらこそこそと話す声が聞こえるが私は自分の頬をつねるのに必死だった。ぎゅむぎゅむ、びみょーん。つねったり伸ばしたり。ほっぺがヒリヒリとしてそろそろ限界を迎えようとしている。痛みに涙が出そうになるが夢は覚めない。やっぱりこれは夢ではないのかと絶望に打ちひしがれそうになった頃、ぽんと肩を叩かれた。
「ふぉ!?」
顔を上げれば綺麗な翡翠色の瞳と至近距離でバッチリ目が合って思わず跳び退った。
「何で逃げるんですか」
「あ、ごめんね。思わず…」
私と目線を合わせるようにしゃがみこんだ黒髪の少年はため息一つ。何で僕が、と呟く様子から見てどうやら説明役を押し付けられたようだった。苦労性なのかもしれない。何となく申し訳ない気持ちになった。
「えっと、君の名前は?」
「知る必要がありますか」
「だって名前を知らないと不便だもの。差し支えなければ教えて欲しいんだけど…」
「…エストです。貴方は?」
「エスト君ね。私は。・って言ったほうがいいのかな」
エストと名乗った少年は見たところ中学生くらいなのに、年の割りに随分と落ち着いた雰囲気だった。
それにしても綺麗な翡翠の瞳に黒髪だ。外人さんだろうか。もしくはハーフ?
「では、。完結に、結論から言ってしまいます。貴方は僕の後ろに立つアルバロの謀略の元、間違った構成に基づいて描かれた召還魔法によってこのミルスクレア魔法院に召還されました」
「……え、私召還されるほどたいそうな生き物じゃないけど」
思わずそう呟けばそういう問題ではないのではと、エスト少年は嘆息交じりに呟いた。
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展開が転生に似てるとか、気にしちゃ駄目駄目。
H22.10.13