目を閉じると思い出す。
全身を襲う恐怖。耳を突く悲鳴、怒号。
生臭い血の匂いに込み上げる吐き気。目の前で両親が殺され、村人が殺され、友達を殺された。何が起こったのか分からないまま、村の長に逃がされた。
『逃げるんじゃ! 決して振り返るな』
長の言葉に何度も頷いた。よくわからなかったけれど、逃げなくてはいけないのだとそれだけは理解できた。
頼りない背を押され、小さな手には重く悲しい定めを掴ませて。
何度も振り返りかけたけれど、長に言われたとおり一度も振り返らずにただ前だけを見て走った。
息が上がる。足がもつれる。どこまで走っても森を抜け出す事は出来なくて、人里までは遠い。耳に届く迫りくる追手の足音に、恐怖が全身を苛み呼吸が乱れた。
どれだけ懸命に走っても、幼い子供が大の大人から逃げきる事は到底出来なくて、突如背に走った激痛に悲鳴を上げて倒れ込んだ。じわじわと衣服に染み出す紅い鮮血。
『あ……ぁ……』
青い瞳に涙が溢れて零れ落ちる。早鐘のように鼓動が鳴る。目の裏がチカチカと眩むような感覚。
いやだ、死にたくない……!
難く瞳を閉ざした直後、瞼越しでもわかるほどに、眩い光が辺りを包み込んだ。
その直後の記憶はない。ただ気がついたときは知らない場所にいて、目の前には一人の女性が佇んでいた。赤いルビーのような宝石が額で微かな光りを放っている。閉ざされた双眸は自分に向けられていて、そのひとの表情は 村を失った少女を哀れむでも、慰め安心させるように微笑でもなかった。
白魚の如き細い指先が衣の袖から少女に向かって伸ばされる。静かなる声は言葉を紡いだ。
『共に、来なさい』
命ずるような一言は、けれど威圧的ではなく。そうすることが自然と思わせるようで、だから幼い少女はそのひとの手を取った。自身を守る為に、守る術を得る為に。そして生きる為に。
何時の間にか、背中の傷の痛みは消えていた。
***
真っ白な部屋の中に居た。
窓の一切無い、白で統一された無機質な部屋。その中に息づくものは自分だけで、他にはなにもない。
どうしてそこにいたのか知らない。物心付いたときは既にその中に居た。
自分の片割はいつからいなくなったのか。それすらも、覚えていない。
気付いた時には独りだった。
どのくらいの間、そこにいたのか。それさえ分からない。
幼い少年は生まれてよりずっと、独りだった。
真白い空間に自分以外の人間が現れたのは突然だった。
青白い光とともに姿を見せた女性に、驚くでもなく。ただ淡々とした瞳で少年は女性を見あげる。年端も行かぬ少年であるのに、感情を読み取れぬ翡翠の瞳だけはやけに大人びていた。
『あなたはここにいるべきではありません。私とともに来なさい』
『あなたは……誰ですか』
『名を求めますか。ならば答えましょう。私の名はレックナート。運命の見届け人……バランスの執行者』
静かで涼やかな声に温もりは感じられなかったけれど、少年はレックナートと名乗る人物に着いて行く事に決めた。
幼いながらも感じていた。この場所に、自分が居る意味はないのだと。
まだ幼い少年であったけれど、彼はとても賢く知性的だった。
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