恋の謀略
作戦

 昼の賑わいを見せる食堂の片隅で額を付き合わせながらこそこそとまるで内緒話をするかのように作戦の打ち合わせをする私とルック。どちらかと言えば作戦について話しているのは私だけで、ルックは先ほどから無関心を決めこみながらハイ・ヨー特製のサンドウィッチを口に運んでいる。それは優雅な所作で、ルックの性格を知らない女子ならば思わず見とれてしまうだろう。悔しいことにとても絵になっている。
 いつも思うことだけど、ルックは何でこんなに食が細いんだ。だから太らないし体力もつかないのね、と自己解釈をしながらパスタをフォークに巻き付けて口に運ぶ。うん、いつ食べても美味しいわ、ハイ・ヨーさんの料理! 近くを通りかかったウェイトレスにデザートの追加注文をしてからまだ来ぬデザートに思いを馳せ、一時の幸福につかりながら顔をにやけさせていた私はハッと本題を思い出し、一度フォークを置いた。どうやらにやけていたところをバッチリ目撃されていたようだ。ルックが何か気持わるいものでも見るかのように私を見ている。
 …なんだよ、何か文句ある?
 視線で問掛けてみれば、別にといいながらも彼は明らかに呆れた様子でため息をついた。
「で?」
「は?」
「はじゃないだろ。これからどうするわけ?」
 ブラックコーヒーを口に運びながらルックが言う。
 ついに協力してくれる気になったのね!
 パァと顔を輝かせると、面倒くさそうにもう一度ため息をついてカップを置くとそのままの腕で頬杖をついた。少し伏せられたまつげが長いなぁ、とか。翡翠の瞳が綺麗だな、なんてそんなことを頭の隅っこで思っていると。
「協力する気はさらさらないよ。でも…あんたが早いとこ告白なりなんなりして玉砕してきた方が、僕の平穏も早く手に入ると思ったわけ」
 とてつもない発言がルックの口から飛び出した。
「ルックってば酷い! 私が玉砕するってそれなに決定事項みたいな!」
「無理矢理人の事巻き込んだくせに、そんなこと言えた義理かい?」
「ルックってば親友の幸せがどうなろうと構わないって言うのね!?」
「だから僕は最初からそう言ってる…」
 げんなり呟くルックを無視して何となく一人で盛り上がってそのままわぁと嘘泣きよろしくテーブルに突っ伏す。傍観していた人々が何だなんだ、別れ話かと騒ぎ始める頃(別れ話ってなんだ私とルックがいつ付き合った)、ほんの少し…どころではない怒りを含んだルックの声が頭上から降ってきた。
「いい加減にしろよ?」
「う、はい。ごめんなさい、すいません。ちょっと悪ふざけが過ぎました」
 慌てて顔を上げた私の顔には、当たり前だけれど涙の痕跡など一つもない。


 ウェイトレスさんが運んできてくれたデザートのショコラトルテをフォークで切り分けて口に運ぶ。口の中でとろりととろけだすチョコレートの甘さがたまらない。あなたのショコラトルテは今日も絶品です、ハイ・ヨーさん!と心の中で絶賛し、しばらくショコラトルテを堪能してからフォークを置いた。砂糖無しの紅茶で口直しをしてルックに向き合い、いよいよ本題に乗り出そうかと言う時。
「相変わらず良く食べるね」
 呆れ混じりにルックが言った。
「うるさいやい。甘い物は別腹なの。このショコラトルテ凄く美味しいんだから」
「食べすぎでそれ以上横に伸びないようにしなよ」
「むっかー! 余計なお世話です! それに私そんなに太ってないもん…多分」
 絶対と言い切れないのが悔しいところではあるし、ルックには絶対に負けるけどそんなに酷い体系ではない…はずだ。でも実は最近ちょっとウェストのあたりが気にはなっている。
 思わず腹に手を当てた私を見てルックが鼻で笑う。このやろう。明日から走り込みをしようとひっそり心の中で誓った。
「わ、私の体系の話はいいんだよ」
「まあ確かにアンタが横に伸びようが縦に伸びようが僕には関係ないけどね」
「じゃあ言うなよ」
「あと気づいてないようだから一つ教えてあげるけど」
「おい無視か」
「アンタのナナメ後ろに例のアイツがいるけど?」
「なんですって!?」
 何でもっと早く教えてくれないのー! とルックに詰め寄るが彼はコーヒーカップを片手に素知らぬ顔。気づかないあんたが悪いと言外に言っているようだ。あぁ、そうだったね。君はそういう人だったね。気を取り直してそっとナナメ後ろを盗み見れば、彼は確かにそこにいた。あぁ、相変わらず今日も麗しい!
 そうだ。こんな近くにいるのならお近づきにならないわけには行かない! ここは一つ、食器を片付けに行くふりをして彼にぶつかって、きゃっごめんなさい作戦実行だ!
 ルックの呆れきった顔は見なかったことにして、じゃあちょっと行って来る!と意気込んでテーブルに手をつき立ち上がろうとしたのだが、勢い余ってテーブルごと転倒した。うわぁ、ありえない。乗っていた食器が派手な音を立てて砕け散る。やってしまった。打ちつけた腕と膝が冗談抜きに痛い。向かいに座っていたルックに被害は及ばなかっただろうか。不可抗力とはいえ申し訳ないことをしてしまった。
「いったー…ルック、コーヒーとかかからなかった?」
「僕は大丈夫だけど…」
 流石に気遣わしげな視線を送ってくるルックに、私は座り込んだまま大丈夫と意思表示をするようにひらりと手を振ってみせる。本当はかなり痛い。
 あーあ、それにしてもこれどうしよう。幸いすべて食べきってしまった後だったから、食べ物を無駄にすることはなかったけれど食器を幾つか割ってしまった。あとで謝らなければ。いやその前に片付けなければ。
「はぁ」
 ため息一つ。重たい腰を持ち上げて、割れた食器に手を伸ばしたところで「大丈夫?」と。不意に掛けられた声に私は石像のごとくがっちりと固まった。視界の隅で紅いものが、揺れる。追うように視線を動かして、上へ上へと辿り着ついた先にあったのは、少し腰を屈めた体勢のまま私を見下ろす紅玉の瞳。宝石みたいに美しいその色に、魅せられたように視線が外せなくなる。
 心拍数が一気に上昇した。
「随分と盛大に転んだみたいだね。怪我は無い?」
「…っ、」
 はい、とか。大丈夫ですとか言おうとして、そのどちらも口から出てくることは無くて、代わりにぶんぶんと首を縦に振って頷いた。
「そう。ならよかった」
 そのまますっと差し出される手。
 思わず凝視する。怪我をしているのだろうか。彼の手にはぐるぐるときつく包帯が巻きつけられていて、その手を掴むことを一瞬躊躇った。だってこんなに丁寧に包帯が巻かれているということは、握ったりしたら痛いんじゃないだろうか。もし傷口が開いたりしたら大変だ。
「あ、あの! 大丈夫、一人で立てます。ありがとう」
 彼の返事を待たずして、パンパンと服の裾を払って立ち上がる。途端手にチリリとした小さな痛みを感じて思わず顔を顰めていた。
 見れば中指の付け根辺りに小さな裂傷が走っている。真横に一本筋を引くそれは、恐らくテーブルを倒した際に割ったグラスの破片か何かで切ったのだろう。突然現れた彼への驚きが大きすぎて全く気づかなかったけれど、まあこんなものなめときゃ治るよね。たいした傷じゃないし。
 一人自己完結する私。が、しかし。
「切ったの?」
 見せて、と彼に手を取られる。ゆったりとした動作だったけれど、以外にも有無を言わさない強引さのようなものもあって、あ、え? と間抜けな声をもらす私に構わずになんと彼は。
「…っ!!!???」
 私の手の傷に唇を寄せたのだった。
 掌を吐息が掠める。生暖かいものが一瞬傷口を撫でるように触れて、離れる。
「消毒」
 にっこりと笑う彼に私は何も言葉が返せない。掌が、傷口が、彼が触れた部分が熱を持ったみたいに熱い。そこに心臓があるんじゃないかと思うほど、どくどくと心音が耳に煩い。
 耳が熱い顔が熱いっていうか最早全身が熱い。沸騰しそう。
 酸素もしくは餌を求める金魚や鯉のように口をパクパク動かしていると、隣から至極冷静なそれでいて何処となく不機嫌さを漂わせたルックの声が飛び込んできた。
「あのさ、人の前でいちゃつくの止めてくれる? 目障り。やるなら他所でやってよね」
「うわぁぁぁあ! 吃驚した。っていうかルックまだいたの!?」
「(大概失礼なやつだよな…)」
 その瞬間、ルックの額にぴくりと青筋が立ち、傍らに立てかけてあったロッドの柄を掴む手に力が込められたのを私は決して見逃さなかった。思わず土下座の勢いで誤った私にルックはふんと鼻を鳴らす。
「それで、大丈夫なの」
「え、何が?」
「何がって…」
「ルックは君の傷の事心配してるんじゃないかな」
 彼がこそっと耳打ちしてくる。あ、そうか。ルックが心配してくれるなんて滅多にないから気づかなかった。何か嬉しい、と思わず顔を緩ませると再びルックのロッドを握る手に力が…。慌てて顔を引き締める。大丈夫だよ、ありがとうと言ったところで隣から空気の抜けるような音が聞こえた。なんだと思って振り向けば、口元を押さえて方を振るわせる彼の姿。どうやら先ほどの音は彼が噴出した音であったらしい。
「え、えーと…?」
「っ、くく…ごめん」
「何笑ってるのさ」
「いやだって君たち…さっきからなんかコント見てるみたいで面白くてさ」
 くすくすと笑いながら言う彼の言葉に顔が熱くなる。つまりずっと見られてたってことですか。もしや最初から最後まで?
 伺うように彼を見ればその麗しい顔でにこりと微笑まれた。心臓ぶち抜かれた。
「る、ルックさん。私ちょっと動機息切れが酷いので掃除道具取りに行ってきます」
 私の言葉で察したらしいルックが呆れ顔でさっさといっといでと私を送り出す。その言葉に甘えてすたこらさっさとその場を後にした。
 折角彼とお近づきになれたのに、とても名残惜しくはあったけど正直あのまま彼の傍にいたらどんな失態を犯すかわかったもんじゃなかった。



 その後、私がいなくなったあとの食堂で。

「それで、アンタはまたなんで突然声なんてかけてきたのさ。いつもだったら関わろうとしないだろう」
 この男は自分に好意を向ける相手に気づかないほど鈍感ではない。寧ろ敏感すぎるといってもいいだろう。己が背負うもののためには、誰かに一人の人間として異性として好かれるのは避けたいことのはずだ。なのに自分から近づいてくるなんていったい何を考えているのやら。
「ま、そうなんだけどね。ちょっと興味が沸いちゃって」
 が消えたほうへと視線を向けたまま笑みを乗せる。
「興味?」
「そう。ルックが親しげに話す相手なんて、そういないだろう? 加えて相手は女の子。なんとなく見てたら一人で百面相とかしてるから見てて飽きないし」
「あぁ…見てて飽きないのは認めるけどね」
「だろ? まあ近づきすぎないようにはするよ。何より君が面白くなさそうだしね」
「どういう意味さ?」
「さぁ」
 くすくすと笑うその声が耳障りで腹が立つ。
「相変わらず性格悪いね、アンタ」
「ルックも人の事言えないと思うけど。さて、じゃあ僕はそろそろ行くよ。彼女に宜しく伝えておいてね」
「片付けもしないで行くわけ?」
「掃除は君の専売特許だろ?」
 またね。引き止めるまもなくひらりと手を振ってその場を後にするトランの英雄に、もう二度とくるなと呟くルックだった。











「え、ちょ、あの人帰っちゃったの!?」
「アンタが戻ってくるの遅いからだよ」
「引き止めてくれててもよかったのに、ルックってば気が利かなさすぎ!」
「(こいつ…)」
「結局名前も聞けなかったよ。あ、でも今度会ったら話しかける口実は出来たし、いっか」
「口実?」
「そう。傷の消毒…(ぼふん)」
「ちょっと」
「う、やばいやばいルック。また動悸息切れが」
「…(なんかムカつく)一回死んで来い」
「えぇえぇえ、酷ー!」