いつも一人だ。
には付き人が一人居る。けれど彼はめったなことではの傍によることがなく、それで本当に付き人が勤まるのかと思うほどだ。
ナイトクラスが使用する月の寮。デイクラスの使用する陽の寮とは別にもう一つ、隔離された小さな建物が存在した。名を宵の寮。寮とは言えどそこに身を置いているのはと付き人の二人きりで、寮というよりはただの館といったほうが相応しい。
はよく寮を抜け出す。そもそもどうして自分だけここに宛がわれたのか、不満でならなかった。
一人はさびしい。一人は寂しいのだ。
だからは夜中、月の寮に居ることのほうが多い。吸血一族の中でも特別な存在であるに危害を加えようとする者も、また考えるものも居ないためはたびたび枢の部屋を訪れている。
今日も今日とて授業を終えたは枢の部屋にいた。
制服を脱ぎ捨ててシャワーのコックをひねる。熱い湯が降り注いでの髪をぬらしていく。
ざあざあと音を立てて足元を流れていく透明なしずくを眺めて、は一つため息を零した。
簡単な服をまとって脱衣所から戻ると枢はいつものようにソファに座って、元老院から送られてきたのだろう手紙に目を通しているところだった。相変わらず忙しそうだ。
今日もどうせ構ってもらえないのだろうと半ばあきらめの境地では頭に載せたタオルで濡れた髪をわしゃわしゃと拭く。
水滴が飛び散り足元をぬらしたがこんなものは直ぐに乾いてしまうだろうと放って置いた。
裸足のまま室内を歩き、枢の横を通り過ぎて窓に近づく。四角く切り取られた外の景色、空には半分に割られた月がぽっかりと浮かんでいた。満月まではまだ遠い。
空を見上げたままぼんやりとするを手紙から視線を上げた枢はちらりと見た。
ぽたぽたと水を吸って重くなった毛先から水が滴る。暖かい湯を浴びてきたばかりだからだろう、いつもは白い頬が今は赤く蒸気していて、纏うものは男の部屋だというのに何の警戒心も無いのか薄物一枚。惜しげもなく白い足がさらけ出され、扇情的な姿であることは言うまでも無い。
枢は手紙を傍らに置くと、音を立てずにの背後へ寄った。
「っ、わ。吃驚した」
月を見やっていたが飽きて振り返ろうとするのとほぼ同時に、後ろから枢に抱きすくめられた。ふんわりと、甘い洗剤の香りが枢の鼻腔をくすぐる。
「え、何? どうしたの?」
彼からこうしてくることは珍しい。
わたわたと枢の腕の中で慌てるにくすくすと笑って、枢はの首筋に唇を寄せた。
暖かな吐息がかかって一瞬の肩が跳ね上がる。
「…駄目だよ? 綺麗にしてきたばかりなんだか、血はあげないよ?」
その行為を血を欲しているためと思ったのか、は少し冗談めかしてそう告げてみた。
吸血行為をするとどうあっても首周りに血が付着してしまう。せっかくシャワーを浴びて綺麗にしてきたばかりだったのでそれは避けたかった。
「わかってるよ」
とはいうものの、を抱きしめる枢の腕の力は弱まらず、逆に少しだけ強まった気がした。
「一つだけ、忠告しておいてあげようか」
「え…? あっ」
何、と振り返ろうとしただったが口筋にちくりとした痛みを感じて小さく声を上げた。
「男の部屋でそんな無防備な格好してたら駄目だよ。何されても文句は言えない」
そうだよね? と首を傾げて言われ、は首をめぐらせて枢を見た。細い首筋に一つだけ小さな紅い花が咲いている。一瞬だけ、不安そうな顔をしただが、次の瞬間にはにっと唇を吊り上げて笑った。
そのままくるりとすばやく体を回転させて枢の首に腕を回すと軽く口付る。唇が離れるとは悪戯が成功した子供のような顔をして、枢を見上げた。
「…それが目当てだったとしたら?」
「…全く。仕方の無い子だね」
なら御望みのものを差し上げましょうか、姫。
の前髪を梳いて優しく笑う枢に、はうれしそうに笑ってもう一度口付けた。