落椿

 汗衫姿の小さな子供縁側に座って雪の降り積もった庭を眺めている。四つ五つほどの女童だ。子供らしいふっくらとした両頬に元結で束ねた髪がかかり、先刻からじっと何かを見つめたまま微動だにしていない。彼女の見つめる先では庭で戯れる兄弟の姿がある。どこか寂しそうな後姿に太裳は小さく笑みを零すとそっと近づいた。
「何をなさっているのですか? 様」
「たいじょ?」
 振り向いたの傍に膝を付いて小さな肩に綿の入ったうちぎを一枚かけてやる。
「このようなところに居ては、風邪を引かれてしまいますよ」
「うん…」
 頷いてぎゅっとうちぎの襟を握り再び庭へ顔を向ける。小さな足を欄干の間にたらしてぶらつかせながらは少しつまらなさそうに言った。
「さっきまで成親兄さまと昌親があそんでいたからね見ていたの。…わたしはいっしょにあそべないから」
 心なしか頬が膨れている。自分もいっしょに遊べないことに不満を感じ、すねているのだろう。けれど幼くても物分りの良いは、それも仕方が無いことだとわかっているから直接口に出すことなくただじっと見ているだけ。
 ああ、本当に。太裳は苦笑する。手のかからない子供だ。けれどもう少し我儘を言ってもいいのではないかと思ってしまう。生まれたときから傍で見てきているが、が我儘らしい我儘を言ったところを太裳は見た事がない。いつだって聞き分けの良い子供だ。
 悄然とした様子で庭に目を向けたままのの頭を太裳は軽く撫でてやった。
 遊びたい盛りだろうに。気の毒ではあるがどうしてやることも出来ない。今日のように雪の降り積もった寒い日、体の弱いに本当なら今すぐにでも部屋の中に戻るよう注意しなくてはならないのだろうが、こんな姿を見てしまえばそれも少し気が引けた。
様」
「なぁに?」
「お庭を散策でもしてみますか?」
 驚いたように振り向いただったが、言葉の意味を理解するとその顔にはすぐにぱっと笑みが浮かぶ。
「いいの?」
「ええ。少しでしたら大丈夫でしょう」
 珍しく頬を紅潮させて頷くを太裳は軽々と片腕に抱き上げて庭に出た。勿論悪い風に入り込まれてはならない、との周りにだけ結界を張りめぐらせて。

***

 太裳の片腕に抱き上げられたは、落ちないように彼の首筋にしっかりとしがみつきながらものめずらしげにきょろきょろと庭を眺めていた。常より高い視点からみる世界は、見慣れた庭であっても普段とは違って見えるものだ。加えては滅多に庭に出られないから尚更なのだろう。
 一生懸命、といった様子で庭を見ていたの視線がそのうち、ある一点で止まった。
 赤いものが落ちている。
 あれはなんだろう。
 そちらへ興味を誘うようくいくいと太裳の服を引っ張ると指をさした。
「ね、ね、たいじょ」
「なんですか、様」
「あれ、あれなに?」
 小さな指が指し示す方。そこにあったのは白い雪の上を鮮やかに彩る赤い花だった。庭の隅に植えられた椿が点々と花を落としているようだ。ここからでははっきりとまでは見えないが、もう少し近づけばよく見えるだろう。
「あれは落椿ですよ」
「おちつばき?」
「落ちた椿の花のことをそう言うのです」
「きれいなのに、落ちちゃうの?」
「綺麗なままだからこそ、ですよ」
「もったいないね」
「そうですね」
 興味があるのだろう。じっと椿の花を見つめたままのにくすりと笑んで、太裳はそちらへ足を向けた。傍まで来てよく見えるようにとその場にしゃがんでやると、は身を乗り出すようにして樹に付いたままの椿と、落椿とを見比べている。
 咲いている椿も落ちた椿も同じように綺麗なのに、どうして落ちてしまうのだろうと幼いながらに考えているのが伝わってくるような真剣な表情だ。
「触ってみますか?」
「うん」
 太裳が落椿の一つを拾いあげると、は双色の瞳でまじまじとそれを見つめ、片腕は太裳に掴まったままそっと触った。雪の上でひんやりと冷やされた花びらの、植物独特の触感を確かめるように指を動かして崩れてしまわないよう慎重に手のひらに載せる。鮮やかな色は少しも褪せることのないままだ。落ちてまだ間もない花だったのだろう。
「きれい。きれいな赤」
様の瞳の色とよく似ておいでですよ」
「にてる?」
「ええ」
 自分が綺麗だと思った椿の色と、自分の瞳の色とが似てると言われてよほど嬉しかったらしい。はぱっと綻ぶように屈託のない笑みを見せた。
「もっていってもいい?」
「構いませんが…すぐに枯れてしまいますよ?」
「うん。でもこれがいいの」
 そう言って壊れ物を扱うように大切に、小さな手でそぅと椿の花を包み込んだ。