呪人と貴船で遭遇

 じりっと間合いを詰めれば、じりっと一歩下がる。
 一向に距離に縮まらない行動を、彼是半刻ほど続けている。
 俺の前に立ち塞がる人物は、額に立てた三本の蝋燭を怪しげに揺らめかせて、右手には木槌を握り締めていた。
 真っ白い装束を身に纏って、長い黒髪を振り乱している。

 真面目に。
 怖いです。



 俺、藤原です。毎回この自己紹介の仕方もどうかと思うんだけど、一応ね。
 藤原道長の一姫彰子とは従姉妹同士で、かの有名な大陰陽師と謳われている安倍晴明様の孫、昌浩とは幼馴染だ。
 今日はちょっくら頼まれ毎をして、ここ貴船まで一人でやってきたわけなんだけど、そのことを激しく後悔してる真っ最中だったりする。
 昌浩か誰か。誰でもいいから付いてきてもらうんだった。
 貴船といったら丑の刻参りで有名ではあったけど、まさか遭遇しちゃうなんて思っても見なかったんだ。
 家を出たのはまだ日も高い刻限だったというのに、方向音痴の俺は迷いに迷ってようやくここに辿り着いた時、辺りはすっかり暗くなっていた。牛車に乗ってくればよかったと一度目の後悔をかみ締めながら暗い参道を上る途中。カーンカーンと何かを打ち付けるような不気味な音を耳にした俺は、見てしまった。
 御手製と思われる不格好なわら人形に、一心不乱に五寸釘を打ち込む人間の姿を……。
 思わず後図去った際、足元の枯れ枝を踏みつけるというお決まりといえばお決まりの方法で見つかった俺は、前の前の呪術真っ只中だった多分どこぞの御姫さんなんだろう人と睨み合いを続けていた。
元々綺麗だったと思われる作りの顔は、今は蒼白で目は血走っている。
 額からにょっきり角でも生えてくるんじゃないかと思える形相で、俺より遥かに鋭い眼光で睨み付けてくる。
 だから本当に、怖いって……。
「あ……、あのさ? ちょっと、落ち着こうな?」
 まあまあと両手を差し出して言ってみるけれど、向うさんはそんなことお構い無しに小槌を振り上げて迫ってきた。
 怖えぇえええ!!!
 堪らず駆け出した俺を、御姫さんも負けじと追いかけてくる。
 真っ暗な参道を灯かりの無もなしにバタバタと駆け下りた。
 足元はかなり危ういのだが止まっていたら俺の命の方が危ういと思われるので、とりあえず走る走る走る……。
 それほど長い距離ではないはずなのに、やけに長く感じるのは迫り来るものに危機感を覚えているからだろうか。それとも単に俺が方向音痴であるが故、元来た道とは別の道を走ってしまっているからなんだろうか。両方とも可能性としては十分有りうるが、悔しい事に後者の方が確立としては断然高い。
(やっぱり誰かに付いてきてもらえばよかった――――!)
 二度目の後悔をかみ締めながら走る。途中そっと振り返って見れば、着物の裾を華麗に捌いて疾走してくる姫さんがみえた。
(ギャ―――――ッ!!!)
 このまま足を止めたら確実に俺が呪われる。
 そう確信して、走る速度を更に速めた。足にはちょっと自信がある。
 ダダダダダダダダ………。
 夜の貴船に二つの足音が響き渡る。
 追いかけっこはどこまで続くやら、後ろの姫さんは一向に諦める気配を見せなかった。
 というか、深層の姫さんがどうしてこんなに健脚でいらっしゃるのか俺は不思議でならない。こんな時の為に日ごろから鍛えていたのだろうか……そんなわけがない。
 自分の考えに自分でツッコミをいれつつ、はて、と首を傾げていると注意力散漫になっていた俺は石に足を取られ勢い宜しくすっころんだ。
「うげっ」
 両手を前に付きだし、勢いそのままにズザザ―――っと滑る。僅か坂道になっていたせいで、俺のからだは良い具合に滑ってくれた。その衝撃で鼻の頭をすりむいた事も細くしておこう。
「いてぇ〜」
 ツンとした痛みを鼻の奥に感じながら情けない声を上げた俺は、背後に迫り来る足音に身を竦ませた。
 振り向くのがものすごーく、怖い。
 しかしそのまま固まっているわけにもいかず。ギギギ、と効果音の着きそうな動作で振り向いて、少し先の未来異国から渡ってくる、某絵画の人物の如き叫びのポーズを取った。(ムンクの叫びである by管理人)
 烏帽子がずるりと滑り落ちた。
 姫さんは目の前に居た。荒い呼吸を繰り返し、額から解けた蝋をボタボタと滴らせて、血走った目で俺を見下ろしている。握り締めた木槌が震えを帯びているのは、走り過ぎて付かれたせいなのだろうと思いたい。決して、俺を殺す決意を込めたものではないと信じたい。
仮にも陰陽生でるのだが。
 情けないことに、俺はこういった土壇場に弱いらしい。いざというときにどう対処したいいのかさっぱり思い浮かばない。今現在、さてどうしようかと必死になって思案を巡らせているのだが、やはりというかなんというか何も思い浮かばないのだ。
 昌浩ならどうすっかなぁなんて余裕の在るようなことを考えているが、今の俺に真面目に余裕なんてものはあるはずがない。
 ひえええぇぇえ、などと心の中で叫び声をあげていると遠くから白い物が飛来した。それは過たず、姫さんの額にへばりつく。
 そうまるでキョ○シーのように……。
「きゃあああぁああ」
 姫さんの口から甲高い悲鳴が漏れた。木槌が地面の上に音を立てて落ちる。
 その隙を見計らって、俺は十分に姫さんとの距離を取った。
の帰りが遅いからって連絡を受けて来てみれば……なにやってるんだよ」
 聞きなれた呆れたような声が聞こえてきて、俺は心底安堵した。天の助けだ。
「昌浩〜! 来てくれたか! 俺はお前を待っていた!!」
「は? 何言ってるんだよ……」
「昌浩。はどうやら頭が可笑しくなってしまったらしいなぁ。呪われたか?」
 物の怪が俺の肩にぴょんと飛び乗り小さな前足を俺の額に当てた。それで呪われたかどうかが分かるんかい! と思わずツッコミをいれた俺を、さらりと無視する物の怪。
 ちょっとばっかしむかついたので、肩から払い落としてみた。
 ぼとりと落とされた物の怪は二本足で立ち上がって俺を指差し抗議するが、仕返しとばかりに俺はそれをさっぱりと無視した。
「で、? この人誰? 何やらかしたのさ」
「や、全く知らん人。偶然逢っちゃってさぁ」
「そんな知人に偶然あったような言い方……」
「緊張感ねぇな」
「やや、十分緊張してるって。緊張し過ぎて糸がぷっつり切れた感じ? つーか、命の危険を感じたね、俺は」
 胸を張って言ってやる。
 呆れたような物の怪と昌浩の視線をひしひしと感じた。
 そんな俺たちをよそに、額に呪符を貼り付けた姫さんは悲鳴を上げてもがきくるしんでいる。
 必死に呪符をはがそうとしているようだったが一向に取れないのは……何故だ? 粘着質なものでもついているのだろうか。思わず疑問を抱いた俺に、昌浩の冷たい視線が突き刺さる。なんで俺の思ってる事分かるんだろう……。
「や、本気で考えてたわけじゃないぜ?」
なら真面目に考えてそうだよね」
「いやいや、いくら俺でも粘着剤に米粒を、なんてアホな事考えてるわけないじゃないか」
「……やっぱり考えてたんだ」
 はぁと深々と溜息を着いて昌浩は姫さんに視線を向けた。
 なんかすっごい馬鹿にされた気がする。
 またしても。物の怪が横で腹を抱えて仰向けになって笑い転げていた。ちょっと邪魔だったので、ひょいと蹴り飛ばして視界から抹消する。
 遠くから物の怪の怒声が聞こえた気がした。

「ん? なんだ?」
「この際いい機会だから、自分で何とかしよう」
「……はぁ!?」
 突拍子もない昌浩の言葉に、俺は目を向いた。
 何を言い出すか、この坊やは!
「や、ややややや。無理無理! 俺星を見る事しか出来ないから! 呪詛返しも払いも担当外だから!!」
「陰陽師の仕事には全部含まれるんだよ、一応。今から出来るようにしとかないでどうするんだよ」
「いやいやいや。出来ない奴も沢山いるだろう!? 俺だけじゃなくて、俺より無能なやつらはそれこそ大勢居る! だから大丈夫! これは向いた人間がやるべきだ!よって昌浩!! お前がやれ!!」
「……元々頼まれたのはでしょ」
「……それを言われると非常に痛い……」
 うっ、と胸元を押さえて俺は俯いた。
 そうなのだ。今日ここ、貴船に赴いた理由はただ一つ。
 某貴族の若様から「最近誰かに呪われてるような気がするからちょっと調べて来てくれない?」と頼まれたからなのだ。いや、実際はもっと違うように言われた気がするが、難しすぎて覚えていない。簡潔に言うとそんな感じなのだ。
 まあ呪いといやあ貴船だし、一応行ってみるかと足を運んだ矢先ばったり出会ってしまったわけなんだな。
 冒頭でも言ったんだが、よもや出会うとは思ってもいなかったわけで生憎と俺は呪術道具一式を持ち合わせていなかった。
 だから逃げてるってぇのもあるのよ? 実は。
 ただ怖いわけじゃあ、もちろんないのさ。
「……はぁ」
「なんだよ昌浩。言いたい事があるならはっきり言えよ」
「陰陽師が呪術道具忘れてどうすんだよ……」
「だからどうしてお前は俺の考えていることが分かるんだよ!?」
 くわっと口を開いて叫ぶと昌浩はくるっと俺に背を向けた。
 そのまま短い呪文を唱えると、姫さんはくたっと地面に倒れ伏した。
 青白い顔もそのままに、長い黒髪を地面に散らしたままぴくりとも動かない。
「……ま、昌浩ぉ!? お前何やったんだ! 相手は生身の人間だぞ!?」
「分かってる。だからちょっと眠ってもらっただけだよ。呪詛返しなんてしたらこの人が大変だし、かといってそのままにもしておけないし」
 だよなぁ。ここにこのまま捨てて……おっと失礼。置いて行くわけにもいかないしな。
 かといって俺も昌浩も、同じ背丈の人間を担いで歩けるほど身体的に成長してないし。
 どうするんだよ、と目で訴えかける俺に、昌浩は一瞥をくれると振り返った。
 何やら薄ぼんやりとした青白い光が見える。
 それは徐々に近くなって、がらがらごろごろという音と共に目の前に顕れ出でた。
「……車?」
「うん。車之輔っていって俺の式なんだ」
 昌浩の言葉に反応するように、現れた車の妖しはがったんとくびきを鳴らした。
「車之輔。悪いんだけどさ、俺とと、あとこの人を乗せて行って欲しいんだ」
 またしても、車之輔は了承するようにがったんとくびきを鳴らす。
 あの……言っちゃ悪い事は分かってるんだが……ちょっと言わせてくれ。
 なんとも騒々しいなぁ。
? 何考えてるか大体想像はつくけど……そんなとこで惚けてると置いてくよ?」
 さっさと車に乗り込んだ昌浩が呆れ顔で俺を見ていた。
 置いて行かれちゃまずいと慌てて俺が乗り込むと車の輔はゆっくりと前進しはじめた。
 もう一つ。言いたい。言っちゃ悪いことは分かってるんだが言わせてくれ。
 揺れが……乗り心地がちょっと……。
 長時間乗ってると車酔いをしそうな揺れを感じながら、俺は昌浩の式に送ってもらい無事家に辿り着く事が出来た。
 例のあの姫さんは、俺に呪詛の調査を頼んだ若君の邸に連れてって引き取って貰った。とりあえず、呪詛の事を報告してあとは御好きにどうぞ、だ。
 なんだか非常に疲れた一日だった。
 家人の寝静まった邸を歩き、自室に辿り着くと俺は烏帽子を脱ぎ捨てる。
 外を見ると、紫色の空に天照大神が姿をあらわし始めていた。
「またかよ……」
 明日というよりも今日の仕事が少々というか。かなり不安で文俺は字どおり眠れぬ夜を過ごす事となった。
 だって寝てる時間なんて、ほとんどなかったしね。ほろり……。


 とりあえず、終わっとけ。



だいぶ前に途中まで書いておいて、続きを書くのを忘れていた代物。
陰陽寮で〜より前に書いあったため、なかなか公開できず。
陰陽寮で〜をupいたしましたので、ようやくお披露目です。

H18.04.23 橋田葵