巨大な牛の妖しと遭遇したその翌朝。
俺は一睡もしないまま、まだ日も明けきらぬ朱雀大路を歩いていた。
「うあー……ねみぃー……」
おかげさまでかなり眠い。そりゃもう拷問じゃなかろうかと思うほど眠い。
いっそ道端でばったり倒れて人様に迷惑賭けてでも惰眠貪りたいくらい眠たいが、さすがに俺の中には最低限の常識をわきまえると言うことも、恥じらいという言葉もしっかりとあったので、ちょっとばかし躊躇われた。
(行かねばならぬ。とにかく行かねば……)
呪文のように言い聞かせて、ふらふらとした足取りで大内裏へと向かう俺の姿は怪しい事この上ない。
だが今はそんなことを気にしている場合ではない。気を抜くとこのまま夢の世界へ旅立ってしまいかねないのだ。
道端でぐってり倒れる前に何としてでも仕事場へ向かわねばと、俺は止まりかける足を無理矢理動かして内裏へと向かっていた。
自らの所属する寮に足を踏み入れたところで、つい数時間前に再会した幼馴染を発見した。
幸い向うはまだこちらに気付いていない様子。
しめた、と口の端をひっぱりあげる笑いかたをして、そろそろとその人物に近づいて行った。
抜き足差し足忍び足……。
その人物の背景にさながら取付く幽霊のようにゆぅらぁり〜と立つと、すぅっと息を吸い込んだ。
準備万端。
何をするんだと興味深げにこちらに注目してくる同僚たちには人差し指を立てて黙れと脅しを……いや丁重にお願いをして。
いざ、尋常に勝負!
「―――まぁさひろ!」
「うわぁっ!」
どんと背中を押して脅かしてやればよそお通りの反応を返してくれた。
満足満足。
「え、何? あ、!? なんでこんなとこにいるんだよっ?」
押された背中をさすりつつ目を丸くして驚く昌浩。そんな昌浩を見ながらケラケラ笑い続ける俺。どういう構図だよ。
ま、昌浩が驚くのも無理はないわな。
なんてったってここ陰陽寮だし。
だがしかしだね、昌浩や。
「なんでって、俺ここに所属してるんだけど?」
「…………」
悪戯っぽく笑って言ってやると、たっぷりの間の後。
「え――――――ッ!!!!?」
盛大な昌浩の叫びが陰陽寮に響き渡りました。
「あはははっ。お前驚き過ぎ。そんなに驚いた?」
「当たり前だろ。え、でもじゃあなんで昨日」
「やー、ははは。まあ、気にするな?」
深いところまで突っ込んでくれるな。
視線を逸らして言う俺の足元に、昨日の白い物の怪がぽてぽてと歩いてきた。
つーか物の怪よ。なんでこんなところにいるんだい?
「昌浩」
「何?」
「飼い犬もとい飼い物の怪を連れてきちゃいかんだろう
「飼われてねぇ! 第一なんだ、飼い物の怪ってのはっ」
神妙な顔をして言ってみると、物の怪がくわっと牙を剥いて反論した。
「ま、冗談はさておきだな。まあなんだ。昨日の事はだな」
ずれかける話題を無理矢理元の方向へ修正させた。面白くなさそうな顔をしている物の怪についてはさらりと無視を決め込んでおく。
「力はあるらしいんだが、俺見えないんだよ。妖しやらなんやら。でもその分星を見る事は出来るから陰陽寮に入ってみたんだ」
「だっては藤原の……」
「あー、まあそうなんだけど。俺あんま家柄とかこだわらないし? むしろうぜぇ。家柄とか全く関係ない場所入って、好き勝手やりたかったんだよな。家のことなら心配無用。兄上は三人もいるし、姉も弟も妹もるし。姉妹無駄に多いから、俺一人くらい抜けたって全く問題無し」
胸を張って言ってみると、昌浩も物の怪も微妙そうな顔をしていた。
人が折角場を盛り上げようとしてるのにノリの悪い奴等め……。恨むぞこんちくしょう。
「だぁ! 家の事はいいんだよ、お前らが気にする事じゃないだろ! まあ、そんな感じで、とにかく全然見えなかったはずなのに、昨日は偶然ばったり遭遇しちゃったわけなんだよなぁ。それに、ほれ」
そう言いながら昌浩の横に行儀良く御座りをしている物の怪を指差す。
差された物の怪は んあ? と首を上に向けた。
「その物の怪も。どうも他の人間には見えてないらしいな。陰陽寮っていったって、無能な奴等のが多いみたいだし。有能なのは安倍の一族だけみてぇだな」
「全くだな。ここで俺の姿が見えるのは、昌浩の他はお前ぐらいだ。あとはこいつの父親とかも見えるけどな」
「でもさ、なんでまた突然見えるようになったんだろ?」
「さぁな。そんなこと俺が聞きたいくらいだぜ」
肩を竦めて見せる。全くどうして突然見えるようになっちまったんだか。
出来る事なら見えないままで平和な一生を過ごしたかったぜ。
……え、お前陰陽師だろうって?
そんなつっこみ、受け付けません!
「そっか。でもま、それもいいとして。じゃあなんで今までと合わなかったんだろ」
「そりゃー単に運が悪かったというか、縁がなかっただけだろ。一回合ったんだから、これからはちょくちょく顔合せる事になると思うぜ? これから宜しく頼むな」
右手を差し出して笑顔を見せれば昌浩も満面の笑みで応じてくれた。
何はともあれ。
これから仕事は楽しくなりそうだな。