俺、藤原。
藤原道長の娘、彰子とは従兄弟同士に当たるんだけど……って今はそんなことはどうでもよくて。
この世に生をうけてはや十四年。
初めて人外のものと遭遇しました☆
「んなっ、ななな……」
引け腰になりつつ目の前で鼻息荒く俺を見据える謎の物体を凝視する。
真っ黒くてでかい体躯に長く鋭い角。あれでつつかれたら痛そうだ。
一見牛のように見えるそれはやたらとバカデカイ。ではどのくらいデカイのかと聞かれれば、通常の牛さん三つつけたくらいの大きさだ。
さらに額からの伸びた鋭い角は、俺を視界に捉えるのと同時ににゅぅと伸びて、それ自体が意志のある生き物のようにうようよと動き出した。
超不気味で気持ち悪い。うえ。
「なんじゃこりゃ――――――――――ッ!!!!?」
全身鳥肌まみれになりながら俺は力の限り、腹の底から叫んだ。
ちなみに今俺がたっているのは、真夜中の都。何某かの貴族の邸の前。
貴船辺りに行けばカーンカーンと釘を打つ音も素敵に(不気味に)聞こえてくるだろうなぁ、な丑三つ刻を過ぎた頃だ。
なんでこんな刻限に魑魅魍魎が跋扈すると言われている夜の都を徘徊……じゃない、散歩……でもない、歩いているのかと言えば。
今夜はとっても月の綺麗な夜だったのさ。
そんなもんでちょっくら月見にでも出かけるかとふらふら出歩いてすっかり迷ってしまったわけだ。
はい。自白します。俺、極度の方向音痴です。
なんと情けない。
それで妖に遭遇してりゃ世話ないわな。
ホント涙が出てくるよ。ほろり……。
そんなわけで家に向かうべく道を数えつつ歩いていたわけなんだけど。
俺の家は二条大路と堀川小路の交差点の少し先にある。
まあ結構でかい邸であることには違いない。なんてったって、今をときめく藤原の大臣さんの血族ですから。
とはいえ自分の身分なんてあんまり気にしたことはないけどね。むしろ鬱陶しく思っているくらいだ。
俺の家族構成は、父母兄兄兄姉弟妹。結構というかかなり兄弟が多かったりする。ていうか多すぎだろう。祖父母はとっくに川の向こう岸の住人だ。あと邸に住んでいる人といえば女房の皆々様方総勢三十名以上。
帰る度暖かい笑顔でもって出迎えてくれる。あー、懐かしや我が家。
……だからっ、そんなしみじみ思ってる場合じゃなくて。
しっかりしろ自分!
現実逃避している場合じゃない。
そんなこんなで帰路の途中に妙な妖(多分)と遭遇してしまったわけなんだよ!
「うわー。気色悪いなぁ。なんだよアレ」
思わず呟いてみちゃったりする。
俺、根が素直だから。思ったことすぐ口に出ちゃうんだよねぇ。
でもよく時と場所と、場合と。周りの皆様の状況を考えろと父上に説教されたっけ。
懐かしんで遠くを眺めちゃったりする自分。
いかん、いかん。
「とりあえず逃げた方がいいと思う?」
誰にともなく呟いたはずの問いかけに、なんと吃驚返る声があった。
しかも。
足元から。
「あー、とりあえずな。逃げといた方がいいと思うぜ」
なぬっ、と足元に視線を落とすと大きな猫のような白い生き物が居た。
汚れ一つ無い真白でふわふわの毛並みに夕焼け色の瞳。
首周りに赤い飾りが一巡していて、ちっちゃい手足に長い耳。さらにひゅんひゅん揺れる長い尾っぽ。
はっきり言って。
めちゃめちゃ可愛いんだけど……可愛いんだけど……ッ!
これも物の怪やら妖やら化生やら……総じて魑魅魍魎の類なんじゃないんでしょうかと疑問を抱いてしまった俺であった。
今までそんなもんとは一切関わりの無い……いや、かかわりは多少あったかもしれないけど、平穏極まりない生活送ってたのに、一体俺の目どうなちゃったんだぁ!?
「うげっ」
口をついて出たその呻きに、ちっさな生き物たぶん物の怪が不愉快そうに眉を顰めた。
くぅるりと振り向いてくわっと口を開き怒鳴る。並びのいい歯がたくさん見えました。
「昌浩! こんなやつ助けてやらんでいいぞ! 人の姿見て「うげっ」って言いやがった! こんなに愛らしい姿の俺様見て、よりによって「うげっ」だぞっ!!」
自分で自分のことかぁわいいとか言ってるよ。
てゆーか、君。なんで人語を喋れるんですか。
むしろ誰に向かって叫んでるんですか。
いろんな疑問質問をない混ぜにした視線でじーっと見つめていると、はたっとしたように物の怪が俺を見上げた。
ぱしぱしと数度瞬きをする。
「……つぅか、なんだ。お前、俺が見えるのか」
「ああ、まあ……しっかりばっちりはっきりと」
やっぱり見えちゃいけないもんなんだろなぁ。
無言で見つめあいもとい睨み合う俺達の下へ駆け寄る小さな影が一つ。
足音に気付いて振り向けば、俺とそう変わらなそうな年頃の男の子が一人とてとてと近寄ってきた。
烏帽子は被ってない。上下墨染めの狩衣を纏っている。
ややっと思ってよくよく顔をみて、あっと声を上げた。
突然俺が大声を上げたことに驚いたのか、少年はえっと目を丸くしていたがやがて俺と同じように俺の顔をじっとみてあーっ、と声を上げた。
なんだなんだと訝る物の怪を尻目に俺達は互いを指差して叫ぶ。
「昌浩!」
「!」
「「久しぶりー!!」」
久方ぶりにあった幼馴染の姿に俺は今までおかれていた状況も、今おかれている状況もすっかり忘れて、ついでにじりじりと間合いをつめてくる牛の妖の存在すらすっかりさっぱり綺麗に忘れて喜んだ。
「え、お前ら知り合い?」
きょとんとした顔で物の怪が昌浩を見上げて訊ねる。
そういえばさっきこの物の怪が叫んでいたまさひろって、昌浩のことだったのか。納得。
安倍のとこの末っ子だもんなぁ。
随分可愛い生き物ペットにしたもんだね、昌浩。
そういったら物の怪に、すっごい勢いで睨まれた。ペットではなかったようだ。
「もっくん、は幼馴染なんだよ。といってももう久しくあってなかったんだよね」
「おう。元服したの俺のが早かったからな。中々合う時間なくなっちゃってなぁ。そういえば昌浩もつい先ごろ元服したんだって? 父上が言ってたぜ」
「うん。大分遅れちゃったけどね」
「ああ、お前の場合しょうがないだろ。なんせ安倍のとこの末っ子なのに鬼見の才が無いってんだからな」
実際鬼見の才がなかったわけではなく封じられていたためだと俺は知っていたがあえて触れず、けらけら笑って言ってやると昌浩がむすーっとした表情を浮かべた。
「あれはじい様のせいだよ。そんなことよりもはなんだってこんなところにいるんだよ。ここ右京だよ?」
「え、右京?」
昌浩の言葉に俺は一瞬きょとんとする。
ああ、道理で。さっきから見渡す限り寂れた邸ばっかり見えると思ったよ。
なるほど、ここは右京だったわけね。そりゃいつまでたっても家に帰れないわけだ。
「まあ、なんでと言われても。ぶっちゃけ……迷子?」
「ま、いご……? あー、そういえば昔から方向音痴だったねぇ」
すっかり昔を懐かしむ口調で、しかも遠くを眺める昌浩に物の怪はぽかんと口を開いておれと昌浩を交互に見やった。
あ、驚いてる。
や。どっちかというとあきれてるのか?
「で、まあ。迷子でふらふらしてたらなんか変な生き物と遭遇しちゃって……」
言いかけて記憶が呼び戻される。
そうだよ! すっかり忘れてたけど、変な生き物に遭遇したんだよ、俺は!
ぐるっと振り向けばヤツはまだ居た。
しかもすっかり無視され忘れられていたことがそうとう頭に来たのかどうなのか。ぶほーっと鼻息を吐いてこちらへ向かって突進をかまそうとするところだった。
うわぁ、猪突猛進☆(それは猪です)
その形相といえば泣く子はさらに泣き喚くこと請け合い。最悪だ。
ていうか、気付いてよかった!? 危うし。
「うわ―――――――――ッ!!! 昌浩!! 昌浩ぉ〜!!! お前陰陽師だろっ!!? 今はそうじゃなくても見習でも半人前でも将来性があってもなくても陰陽師だろっ!!!? なんとかしろ!!!」
後ろの牛を指差して喚く俺に昌浩がじとりと目を眇める。
おれ、怒ってる?
昌浩と俺の横で物の怪がげらげらと腹を抱えて笑っていた。
……器用な物の怪だなぁ。
昌浩〜と救いをを求めて差し出した俺の手をぺしっと払いのけて、昌浩は地面で笑い転げる物の怪を掴み上げてぺいっと投げると牛と対峙した。
不機嫌そうだがその様子に、迷い、怯え、恐怖なんてものは一切無い。
おお、さすが陰陽師(予定)。
感心する俺に一瞥を食らわせて昌浩は両手を組んだ。
「縛」
一言。静かに、強く口にしたそれは縛りの呪文。
瞬間、駆け出すべく後ろ足で地を蹴っていた牛の動きがピタリと止まった。
そりゃもう面白いくらいがっちり動かなくなってるよ、牛。
そんな昌浩と牛を横でじーっと見つめる俺。
その視線に耐え切れなくなったのか。
ちょっと居心地悪そうに昌浩が俺に視線を投げかけた。
でもまたすぐに牛に視線を戻して、手刀で九字を切る。
「臨める兵闘う者皆陣破れて前に在り……急々如律令」
そうして意外とあっけなく。
あっけなさすぎるほどにバカデカイ牛は昌浩に祓われましたとさ。まる。
「昌浩ー、お前すげぇなぁ」
羨望の眼差しで見つめる俺に、ちょっと嫌そうな顔をする昌浩。
え、なんで。俺なんか変なこと言った?
「どうせもじい様の孫だから、とか言うんだろ」
昌浩の言葉に合点がいった。
ああなるほど。そういうことね。
納得した俺はにっぱり笑うと、ぶすくれている昌浩の頭を情け容赦なく引っぱたいた。
スパコーンという音が夜の右京に響き渡る。
「痛っ!」
「ばーか。誰もそんなこと言ってないだろ。お前の実力はお前のもんだ。晴明様の孫だとかそんなの関係ないだろ?」
にっと笑っていってやる。
虚を衝かれたような顔をしていた昌浩は次の瞬間、それは嬉しそうに笑った。
「うん。ありがとう」
あやー、昌浩。
相変わらず可愛いねぇ、君は。
自分より頭半分と少し背の低い昌浩の頭をぽむぽむと撫でながら、白み始めた遠くの空を眺めて唖然とした。
夜が明けてしまった……。
なんということだ。今日も出仕せねばならんのに……。
いっそ物忌みだとか嘯いて休んじまおうかな……駄目か。
そんなことを考えながら昌浩の足元で、後ろ足で首元をわっしゃわしゃ掻いている物の怪を眺めつつ、俺は一つ頼みごとをした。
「なあ、牛も片付いたところで一つ頼みがあるんだけどさ」
「何?」
見上げてくる物の怪と昌浩に微妙な笑顔を浮かべつつ、言いたくないけど言わなきゃならん一言を口にする。
頑張れ、俺。
言わなきゃ家に帰れん。
「家まで道案内を頼む」
その時の二人の顔を、俺は多分一生忘れないだろう。
ともあれ。
その後無事に、昌浩と物の怪の道案内でなんとか家に辿りつく事ができた俺でありました。
別れ際に、家まで案内をしてくれた昌浩に礼を述べて、また会えるかという昌浩の言葉に笑顔で頷いた。
そりゃもういやでも会えますとも。多分数刻後に。
心の中でそう呟きながら、眠くて朦朧とする意識の中。出仕の為身支度をするべく自室の中へ引っ込んでいった。
多分 つ づ く ☆