篝火花

 色づいた赤い花が庭先でゆらゆらと揺れていた。

 縁側を真白い衣と長い黒髪がちらりと過ぎる。
 昌浩の部屋で丸まっていた物の怪は視界の隅にそれを見て、のそりと起き上がった。後ろ足で首元をわしゃわしゃ引っかきながら夕焼け色の瞳で昌浩を見る。
「なあ昌浩」
「何もっくん」
 物の怪の呼びかけに読書にいそしんでいる昌浩は顔も上げず視線も向けず、そのままの体勢で答えた。
 呼ばれかたが気に入らなかったらしく、物の怪はくわっと口を開いて講義する。しかしすぐに視線をそよがせると今し方、ある人物が過ぎ去った方へと視線を向けた。
 少しばかり気にかかることがあったのだ。
「最近の様子が可笑しいような気がするんだが……気のせいだろうか」
 その一言に昌浩はじとりと目を据わらせて、睨むように物の怪を見た。割と可愛い作りの昌浩の顔には「惚気話はよそでやってくれ」と大きく書かれているような気がして、物の怪は何とはなしに違うぞ、と意味の無い否定をしてみた。
 この物の怪。
 全身を真白い毛で覆われ、大きさといえば犬か猫のよう。首には紅い突起が一巡していて、耳は長く尾も長い。瞳は夕焼けの色をしていて、一言で言えば大変可愛らしい生き物なのだが。その実、本性はもっと別の姿をもっているのである。
 稀代の大陰陽師、安倍晴明の使役する十二神将が一人。煉獄の炎を司る騰蛇。それが本来の姿であり、昌浩の姉であるとは微妙な恋仲にあったりする。
 そのの様子がどうにも最近可笑しいと物の怪は感じていた。
 弟の昌浩ならば感じ取るものがあったろうと思い、話を持ち掛けてみたのだがなんだか一蹴されそうだ。物の怪は慌てて昌浩に食い下がった。
「変じゃないか? 最近ずいぶんそっけない感じがするんだが」
「姉上がそっけないのは何時もの事じゃないか。逆に愛想振りまく姉上とか想像つかないよ」
 言われてみればそうかもしれない。
 物の怪は器用にも後ろ足で立ちあがって腕を組んだ。全く意味の無い行動である。
「俺には全然わかんないけど、別に何時も通りじゃない?」
「んー、なんか違うんだよ。なんかが……」
 そう例えば。話をしていて目が合ってもすぐに視線を逸らす。何事かと問えば、帰ってくるのは何時も何でもないの一言。
 更には物の怪をじっとみて、何か言いたそうな、言いにくそうなにしてははっきりとしない態度を取る事もしばしば。特に多いのが、藤原の左大臣から預かっている彰子姫に抱かれているときが多いような気がする。
 それをつらつら説明すると、昌浩は何か思い当たった伏しがあったらしくあー、と声を漏らした。自分の事には疎いくせに、他人の事になるとするどいらしい十四歳。
「勾陣はどう思う?」
 同じ部屋の中、穏行していた勾陣に意見を求めた。大体のことを察して、分かっていてやっているのだから性質が悪い。
 呼びかけられて姿を現した勾陣は、恐らくとうに察していたのだろう。
 物の怪を見て、呆れたような哀れみのこもったような溜息を吐き出した。
「私に聞くまでもないだろう」
「だよね。……もっくんそれってさぁ」
 昌浩はなんとも言えない視線を物の怪に送った。



* * *



 快晴の空の下、は安倍邸の屋根上にいた。ここはすっかり彼女の定位置になっている。
 見晴らしがいいし風も心地よい。
 長い髪をそよがせて、腰を下ろしたまま立てた膝を抱え込んだ。
 その表情は些か曇りがちで、晴れ晴れとしない。空とは全く正反対の色を見せている。
 もやもやとしたものが胸の中に広がっている。これをなんと呼ぶのかは自分で既に知っていた。
 遠い昔、一度だけ同じような感情を抱いた事がある。
「らしくない」
 呟く声は何時ものように張りが無い。
 そんな自分自身に嫌悪して、深く息を吐いた。
 面白くないのだ。自分の想い人が、他の人間……それも少女に抱かれていることが。子供っぽいと思う。けれど面白くないものは、面白くない。仕方がないではないか。
 そんなことを考えているから最近はつい、そっけない態度を取ってしまう。
 相手も気付いてるだろう。ついでに理由が分からずあれこれ考え込んでいるかもしれない。
 きっと今ごろは昌浩にでも相談を持ち掛けているかもしれないな、と考えては僅かに笑みを浮かべた。
「姫」
「何?」
 何時の間にやら、先程まで昌浩の部屋に居た勾陣がの隣りに立っていた。とはいうものの、近づいてくる気配はとうに感じていたけれど。
「馬鹿みたいだな、私は」
「……人の想いは、私にはわからない。だが仕方の無いことなのでは?」
 は肩を竦めた。
 勾陣に目を向けて、その向こう。ぴょんと屋根に飛び乗る白い生き物を見付けて微かに目を細める。勾陣は口元に笑みを刻んで「二人で話をするといい」 そう言い残し、姿を消した。
 なんとなく気まずい空気が漂う中、物の怪が軽い足音を鳴らしての脇にちょこんと座る。
 いつもならひょいと抱き上げるだが、それも今日はなんとなく出来なくて、一度視線をやっただけだった。
「何だ、紅蓮……もっくん」
 皮肉のようにわざわざ言い直したのは、騰蛇が物の怪の姿であるからだ。
 物の怪は苦虫をかみつぶしたような顔をすると、から少しばかり距離を置いた。
 立ち上る緋色の炎。その中に現れたのは、人の形を取った紅蓮だった。
 その姿を見て、は小さく息をつく。
 長い髪を揺らし、立ち上がって紅蓮の前に立った。
 金の瞳を双色の瞳で見つめて、微かに笑みを見せる。
 すまなかったと、は小さく呟いた。
「気にしていたのだろう? 私の態度が可笑しい事……」
「ああ、まあ……」
「悪かった。その……恥ずかしい話なんだが、一言で言ってしまえば……嫉妬だ」
「そのようだな、昌浩も同じ事を言っていた。しかし何故だ?」
 心底分からないというような紅蓮の言葉には苦笑した。手を伸ばし、紅蓮の腕を掴んでそうだな、と一度顔を伏せる。
「例えば……私が猫に化けられるとしよう」
「……は?」
「例えばなしだと言っているだろう。紅蓮が物の怪の姿に化けるように、私も猫に化けるとする」
 そのが、青龍やあるいは六合などに抱き上げられていたらどうだとは問い掛けた。紅蓮が自分を好いていてくれていることを前提の問いかけだ。
 青龍や六合が猫を抱きあげて居る姿など想像に難いのだが、紅蓮はなんとかその姿を脳裏に描き出す事に成功する。
 猫()を青龍が抱きあげている。……なんだか気に入らない。というか無性にはらだたしい。
 紅蓮は渋面を浮かべて呟いた。
「……面白くない」
「だろう? まあ、そういうことだ」
 苦笑交じりには頷いて見せた。
 機嫌を取るつもりであったのか、否か。それは計りかねることだが、紅蓮はおもむろにの腕をひっぱるとすっぽりと抱きすくめた。
「紅蓮?」
 名を呼ぶが返事がない。とりあえず、そうされて嫌なわけではないのでは大人しく紅蓮の胸に頭を預けたまま目を閉じた。
「……一つ、頼みを聞いてもらえるか紅蓮」
「何だ?」
「出来る事なら……その……」
 は紅蓮の腕の中から見上げて何かを言いかけ言葉を濁す。金色の瞳を双色の瞳で見つめて、目を逸らした。珍しく、の頬がほんのりと赤い。
 その様子から、の言いたいことの大体を察して紅蓮が小さく笑った。
 笑われたことに少しだけむっとしては彼を睨みつける。
「笑うな」
「ああ、悪い。だがな、
 そうして紅蓮はを抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
「俺がこうして抱きしめるは、お前だけだぞ?」
「……恥ずかしい事を言ってくれるな」
 赤い顔のまま、紅蓮を見上げて言うは彼と目が合うと微かに笑う。そのまま二人は一度だけ、軽く口付けを交わした。



 デバガメとも言うが、遠巻きにそれを眺める影が三つ。
「全くさぁ。世話焼けるよね、あの二人」
「確かに」
「……」
 昌浩の言葉に頷くのは勾陣。無言の肯定を見せたのは、先程ちらりと名前を出された十二神将が一人、六合だった。
「こういうの猫も食わないっていうんだよね」
「「……」」
 それを言うなら犬も食わないの間違いではないだろうか。
 ちらりと思った二人だったが、どことなく機嫌の良さそうな昌浩にそれを言うのも躊躇われたので、ただ無言で屋根上の二人に視線を送るに留めておいた。