庭に出て屋根の上を仰ぎ見る。橙色に染まった空に交じって見慣れた白い狩衣を見つけて、物の怪はしばし逡巡した後高く跳躍した。長い耳と尾がひらりと舞う。とんと軽い足音と共に降り立った屋根の上にやはり目的の人物はいた。
肩ひざを立てて何をするでもなく、ただ日が沈み行く景色を眺めているようだ。夕陽に彼女の白い顔が仄かに色づいている。
物の怪が訪れたことにも勿論気付いているだろうが、珍しく見向きもしないその態度が物の怪は気に食わず、器用に二本足で立つとつかつかと彼女に歩み寄った。
「おい」
常より低い呼びかけにようやくの双眸が物の怪を見る。ふと瞳が細められ、口元に微かな笑みが浮かんだ。まるで何かを楽しんでいるような笑み。
「何だ、もっくん」
「もっくんじゃねぇ、もっくん言うな。…まあ、それはいい、いいんだ」
一人勝手に自己完結させる物の怪を見下ろしながら、は柳眉を潜め片足に肘を乗せ頬杖をつく。
「いいと言うのならいちいち反応するな、鬱陶しい」
吐き捨てるとまではいかないものの、どことなく冷たい物言いに物の怪は怪訝そうにを見上げながら首を捻った。その物の怪をは無言で捕まえると膝の上に抱き上げる。一瞬文句を言おうとした物の怪だったが、の無言の圧力に負けて喉まで出かかった言葉を呑み込み変わりの言葉を探した。
「……よ、何かお前…機嫌悪くないか?」
「さぁ。そう見えるならそうなのだろう」
そう見えないといえばそうではなくなるのだろうか。
の膝の上で限界まで首を捻る物の怪である。
「何があった?」
「何が? いいや、別に。何も無いぞ」
「じゃあなんで機嫌悪そうなんだよ」
「…さて、なぁ(気付かないか…まあ無理も無いが…面白くないな)」
「(…俺、なんかしたか? いやでも最近あんまり話す時間なかったしなぁ。怒らせることをしようにも出来なかったというか…)」
それこそが彼女の機嫌を損ねている最大の理由なのだと物の怪が気付くのは、それから数刻先、勾陣に助言を受けてからのことだった。