「あら、アスランではありませんか」
 なんだか聞いたことのある声だ。足を止めて振り向いて、思わずぎょっとした。
 アスランを呼び止めた声の持ち主。それはあの有名な、歌姫ラクス・クラインだった。いつもブラウン管の向こうで微笑んでいる彼女が目の前に居る。
「え…あぁ、お久しぶりです。ラクス」
 呼び止められたアスランはアスランで、それほど驚いてはいないようだったけれど、なんだか困ったように笑っていた。

 週末の土曜日。学校も休みだった私たちは、揃って買い物に出かけていた。そんな中、街中で偶然出会った超有名な歌姫、ラクス・クライン。
 ピンクの髪も愛らしい、ふわふわのお姫様。まさか彼女が、アスランの知り合いだったとは思わなかった。
 だけど思い返してみればアスランもラクス・クラインもそれはもう良い家の生まれなわけで、親同士が知り合いであったとしても全く不思議はなかったのだ。

「珍しいですね、ラクス。あなたがこんな場所にいるなんて」
「そうですか? 今日は久しぶりのお休みですの。たまにはお買い物もいいかと思いまして」
 ころころと鈴を転がすような愛らしい声を弾ませて、アスランと話をしているラクス・クライン。それを傍から見ている私たちは、なんだか置いていかれたような気分だ。というかおいていかれている。二人の間に流れる空気は和やか…とは言いがたいが(アスランが非常に困っている)、しかし一般人はなんだか入りづらいものがあって、私は不満げな顔をするアリスを宥めながらキラに説明を請う。
「ねぇ、キラ。アスランてラクス・クラインと知り合いだったの?」
「あれ、知らなかった? ほら、アスランもラクスも父親が政治に携わってる人でしょ? だから面識があったみたいだよ」
「はー、そうなんだ」
 世の中広いんだか狭いんだかよくわからない。
 しかしさすがキラ。私たちが知らないアスランの家のことまでよく知っている。
「ではラクス、そろそろ」
「あら、もういってしまわれるんですの? 折角ですもの、みなさんご一緒にでお茶でもいかがでしょう?」
 邪気の欠片も無い。純粋な好意で誘ってくれていることはわかったのだけど、そろそろアリスが泣き出しそうだった。私はそっとアスランに視線で拒否の意を示した。
 それを無事キャッチしたアスランは、申し訳なさそうな表情を見せる。もちろん演技ではない。アスランが演技をする、なんて高等なこと出来るわけがない。なんていったって不器用な人だからだ。
「アスランには先日頂きましたハロのお礼もさせていただきたいんですの。私とても嬉しかったのですわ」
 …はろ?
 何だろう。疑問を顕すように首をかしげてアリスを見るが、アリスも初耳だったようで同じように首を傾げていた。はろ(ハロ?)って何、アスラン。
 前にアスランの家に言ったときなんだか謎の丸い物体がころころ転がりながら騒いでたような気がするけど、もしかしてあれがハロだろうか。アスランの得意なマイクロユニット。
「申し訳ありませんがラクス、今日は…」
「あら、駄目ですの…?」
 しゅんとうな垂れる歌姫に、うっと詰まるアスラン。気持ちはわからなくもないが、頑張れアリスのためだ。心の中で送ったエールは果たして届いているのだろうか。
 アスランとラクスのやりとりを見ていたキラが、隣でぼそっと呟いた。
「アスランて時々はっきりしないよね」
 その口調に寒いものを感じた。キラの笑みが怖い。このままだと、後々アスランが痛い目に合わされる可能性が高いと感じつつ、しかし二人の間に割って入る勇気は私にはなかった。ごめんね、アスラン。
「アスラン断るのかなぁ」
 不安げにアリスが呟いている。そりゃ自分の彼氏が他の女にお茶に誘われて、平常心でいろって方が無理だよな、なんて思いながらアスランを見守っていると、しどろもどろしていたアスランだったがなんとか断ることに成功したようだった。
「では、また今度ご一緒しましょう? 皆さんも、是非」
 そういって笑いかけるラクス・クラインの笑顔のなんと可愛らしいことだろう。なんだろう、彼女の周りだけ空気が春、というか。ふわふわと花が飛んでいるように見える気がする。お姫様って、まさしくこの人のためにある言葉のようだ。
「そうですね。機会があれば」
「はい。嬉しいですわ。楽しみにしておりますわね。あ、アスラン。お父様によろしくお伝えくださいませ」
 では。そういってロングスカートの裾を可憐に翻し、ラクス・クラインは立ち去った。
 呆然と見送る一同の心のうちを代弁するかのように、キラが呟く。
「何だったんだろうね」
 全くだ。思わず溜息をついて振り向いた先、アリスがアスランに文句を言っているのが見えたが止めてやる気にはならなかった。