空が白み始める頃。酔いつぶれてしまった
を抱き上げてリングアベルが部屋に戻ると、二つあるうちのベッドの一つではティズが丸くなって眠っていた。扉を開く音にもリングアベルの足音にも気づく様子はない。もこもことした布団にくるまって眠る様子はまるで羊のようだと微笑ましく思いながら、空いた片方のベッドに
を横たえた。
アニエスとイデアの部屋へ連れて行くことも考えたが、女性が眠っている部屋を無断で開けることも憚られて自分たちの部屋へ連れてくることにした。
足元に折りたたまれた毛布を胸元まで引き上げてやると、やれやれと息を吐き出す。
ベッドの際に腰を下ろし、眉間に皺を寄せて少し寝苦しそうに眠る
を眺めながら、リングアベルは先日ティズに言われた言葉を思い出していた。
『リングアベルって意外と臆病だね』
どういう話の流れであったのか、はっきりとしたことは記憶にないが、女性陣がそばにいない時であったことだけは覚えている。野宿をしていた時だ。ぱちぱちと薪の爆ぜる音を傍らに、突然何を言われたのかと思った。だが続く言葉を聞いて得心がいった。
『自分が傷つくのが怖いから逃げてるんだろ?
の気持ちから。リングアベルが
を傷つけたくなくて
の気持ちに応えない、手を出さないっていうのも本当だと思う。だけど、それだけじゃないよね。上手く言えないけどさ』
ただの朴念仁かと思っていたけれど、彼はあれで意外と多くのことを見ていたようだ。
嗚呼全くその通りだとリングアベルは自嘲気味に笑った。
リングアベルには特別に思う女性が二人いた。イデアと
だ。
イデアを初めて見たとき、彼女だと思った。彼女こそ自分が探していた相手であると。しかしそれが思慕の対象であるのかと問われるとリングアベルは悩むのだ。それとは少し異なる気がする。どちらかといえばイデアに対する感情は、親や姉妹、家族に対する愛情に似ていて無性に守ってやらなくてはならないと思うのだ。いわば庇護の対象である。
一方
に対する感情は酷く複雑なものだった。
突然知らない場所に放り込まれて途方に暮れる彼女の姿を見たときやはり守ってやらなくてはと思った。記憶のない自分と帰る場所のない彼女。なんとなく境遇も似ていたからだろう、親近感を持ったのだ。頼りない姿を見て、彼女の小さな手を掴んで一人ではないと安心させてやりたいと思った。
最初はイデアに対するものと同じ、庇護欲に近いものだったのだろう。けれどと出会って数か月、時を共にするうちにその思いは少しずつだが変化してきていた。
ふいに寝返りをうった
の手が伸びて、リングアベルの袖をつかむ。
はっと意識を引き戻されたリングアベルはを見下ろす。彼の視線の先、ぼんやりとした様子でリングアベルを見上げていたは数度ゆっくりと瞬きをして、彼の姿を認めるとそれはそれは嬉しそうに微笑んで見せた。
「っ」
ふにゃりととろけるような笑顔に、途端に心臓が騒ぎ出す。リングアベルは
から視線を逸らした。
そのまま彼女を見つめていれば、不用意に触れてしまいそうだったから。
「参ったな…」
そうだ。本当は自分の気持ちになどとっくに気づいている。認めて、受け入れてしまえば今日のように彼女を傷つけることもなくなると分かっている。けれどまだその時ではないのだ。
過去の自分がどんな人間であったのか分からない。もしかしたら想像もできないほど酷いことをしてきたかもしれない。重い罪に手を染めてきた人間だったのかもしれない。もし自分がそんな人間であったと知った時、きっと彼女は傷つく。彼女の傍にいられなくなるかもしれない。
すべて憶測の域を出ないし、杞憂に終わればそれでいい。
だからせめて記憶が戻るまで今の関係のままでいさせてくれたらと、酷く身勝手なことを思う。
その意思を彼女に直接伝えずに思うだけ、だなんて自分はとてもずるい人間だ。
額に手を当てて己を落ち着けるように深く息を吐き出し、リングアベルがもう一度に視線を向ければ、彼女は穏やかな様子で再び眠りについていた。