タイムスリップ in 熊野

 崖から足を滑らせて海へと落下していく中。
 駄目だと思った。今回ばかりは絶対絶命だと。
 けれど私は意外としぶとかった。自分でもびっくりだ。
 海面に叩きつけられるように落ちたのに今回はしっかりと意識がある。全身痛いには痛かったけれど、あの高さから落ちてまたもや五体満足でいられるとは。これはもう神様に感謝するしかない。
 無事家に帰るためにもこのまま死んでなるものか…!
 根性と半ば自棄になって手足を動かし海面へと顔を出した。
「ぶはっ」
 髪の毛が海草のように顔にへばりついて気持ち悪い。着物も水を含んで重くなっているから動きにくいし、岸まで泳ぎきれるか不安だ。
 でもヒノエと敦盛はきっと心配していることだろう。無事を報せてやらないと泣き出すかもしれない。
 じゃばじゃばと必死で泳いでなんとか浜へ辿り着くと、四肢を地面について大きく咳き込んだ。
「……げほっ、…ごほ……。はぁ、た、助かった…」
 海水を飲み込んでしまったため些か気分が悪いが生きている。なにはともあれ生きている。命に別状はない。
 呼吸が落ち着いたころ胸をなでおろしながら顔を上げると、間近に誰かの足先が見えた。しかも一人ではなく、複数。
 ぐっと顔をそらして更に上を見上げると少年が二人、青年が一人。ずいぶんと驚いた顔をして私を見下ろしていた。
 黒いフードをかぶった、色素の薄い髪のやさしげな面立ちの青年と。
 燃えるように赤い髪と、瞳をもった少年と。
 結い上げた紫色の、少女に見紛う程の可憐な容姿の少年と…。
 それはどこかで見た顔ぶれだった。
 …性格には、自分が知る彼らにとてもよく似ていた。
 赤い髪の少年が私を凝視して目を見開く。信じられないといった表情で口を開く。
…?」
 名前を知られていることを、別段不思議だとは思わなかった。
 見つめてくる三対の瞳をそれぞれ見つめ返して。
 目の前にある、ありえない現実に驚愕していた。
 冗談はよしてくれといいたい。
「……ひ、ヒノエ? 敦盛? ……弁慶?」
 うそだろ、おい。
 ついさっきまでいっしょに居たヒノエと敦盛は十歳そこそこの子供だったのに、今目の前にいるのは十代も後半の少年たちだ。人はそんな一瞬で成長できるものなのだろうか。常識で考えれば無理だ。
 けれど、見間違えるはずばなかった。彼らの鮮やかな色彩の髪や、瞳や待纏う雰囲気は私の知るもの。
 なんだか死人でも見るような目で私を見ている気がするのは、さておいて。
「何、あんたたちどうしたの? 弁慶はあんまり変わってないけど、ヒノエと敦盛ってばずいぶんとまあ大きくなって」
 久々にあった親戚のおばさんのような口上を述べて、立ち上がった。
 弁慶はあまり変わらなかったが、ヒノエと敦盛。二人の目線が随分と高い。
殿……生きていたのか」
「え、生きてるよ?」
「お前…今までどこ行ってたんだよ」
「え、どこって…。私ついさっきがけから落ちたばっかりなんだけど。あんたたち見てたでしょ? 何、これってどうなってんの?」
 わけがわからなくなってきた。もともと解ってたわけじゃないけど。
 ぬれた着物の裾をぎゅっと絞りながら聞く。思い切り水分を含んでいた着物はじょぼーっと音を立てて海水を砂浜に湿らせた。
 無言で見詰め合うもとい、にらみ合うこと数分。
 一番はじめにため息を吐いたのは弁慶だった。
さん。僕もまだ現状が理解できていないんですが……あなたは随分と前に行方不明になっていたんですよ。崖から転落してその後、熊野水軍総出であなたの捜索をしたのですが、発見することができなかった。今までどちらに?」
「え、え、え?? や、ちょっと待ってください。私のほうこそ理解できていないんですけど……私、ついさっきまでヒノエと敦盛と一緒にいたんですよ? そりゃ今のふたりよりちょっとサイズは小さかったけど。二人と別れて……というか、私が崖から落ちて半刻も経ってませんて」
「んなはずねーだろ!」
「そうだ。私たちは今まで神子と共にいた。殿がいなくなったのは今より…9年近く前のことだ」
「………………マジ?」
 目が点になるとはこういうことか。
 つまり、あれだ。わかった。なんとなく理由というか、納得がいった。
 私はまたタイムスリップをしてしまったわけだ。現代から鎌倉時代へきたときのように。
 彼らの幼少時代から、今の時代へ。
 きっとすごく心配させただろう。どことなく怒ったような、安心したような、複雑そうな表情を見れば理解できる。
 あたりまえだ。私の中ではほんの一瞬の出来事でも、彼らの中では十年近く経っているのだから。
 心配させてしまったこと、すごく申し訳ない気持ちになった。たとえそれが不可抗力だったのだとしても。
「心配かけたみたいだね…。ヒノエ、敦盛。吃驚したよね? 突然崖から落ちて行方くらませて。ごめんなさい。心配かけて…ごめんなさい」
 頭を下げる。
 ぽたぽたと毛先から滴り落ちた水が砂に吸い込まれていくのをじっと見つめながら。
 ぽん、と肩ぬぬくもりを感じて顔を上げると弁慶が笑っていた。
「確かに心配はしましたが、無事でなによりです。生きていてくれて安心しました」
「ああ、本当に」
「ほら、ヒノエもふてくされてないで。さんがいなくなって、一番取り乱していたのは君でしょう」
「な、弁慶! 余計なこと言うんじゃねぇよ!」
 赤くなって抗議するヒノエ。容姿は昔よりだいぶ大人っぽくなってたけど、あんまり変わってなくて安心した。
 敦盛は相変わらず美少女だし(っていったら怒られるかな)弁慶は前より胡散臭い笑顔になってたけど変わってない。
 私は一瞬じゃ変わることができないからそのままだけど。
「なんていうか。久しぶり、になるのかな。三人にとっては」
 そういったら三人ともきょとんとした顔をして、それからそれぞれに笑った。





 拝啓両親へ。

 娘は今、熊野で元気に過ごしています。
 そちらの時代でどれだけの時間が過ぎたのかわかりませんが、とりあえず元気なので安心してください。とはいってもこの手紙を届ける術がないのがなんとも痛いところなのですが。
 ああ、それから私は今同じように現代からやってきた女のこと一緒にいます。だからもしかしたら、もう少ししたら戻れるのかもしれません。
 だから待っててください。
 心配しないでください。
 娘は生きています。死んでませんから勝手に墓立てたりしないでくださいね!
 それではまた。
 いつか会える日を楽しみにしています。

 敬具