追想

目蓋を閉じる

浮かぶものはいつも




笑顔













追想









 第一印象は自分にしてはめずらしく、決して悪いものではなかった。

 ひとつの町が陥落したあの日。
 泣き崩れる生き残ったものたちの中で、ひとり背筋を伸ばして煙の昇る町をみていた。
 赤い日差しが全身に降り注ぐ中、真っ直ぐ立っていた少女。
 父も、母も、そして幼かった妹も全てあの虐殺の中亡くしてしまったというのは、随分後から聞いた話だったけれど。
 ひどく立ち姿のさまになる少女だと思ったのを今でも覚えている。




 それが、いまや。



「やほ−−!!相変わらず辛気臭い顔してるねぇ!!」
 騒がしい足音とともに現れた顔に、これ見よがしにため息をつく。
 が、この女−はそんなことはおかまいなしにルックの前にずかずかと歩み寄ると「にかっ」と効果音の付きそうな笑顔を見せた。
「ねぇ、ルック。今暇?」
「ひまじゃな」
「暇だよね、石版の前に辛気臭い顔でひとり寂しく佇んでるだけだもんね、暇だね。よし、レッツゴー!!」
 反論というより返事をする前に怒涛のようにつめよられ力強く腕をつかまれる。
様が焼き芋大会するって、ルックも呼んで来いってさ。いやぁ、楽しみだよね。やっぱ秋の風物詩だしねぇ。」
「だから僕はいくなんて」
「寒くなってきたころほくほくのあの甘い味がみょうに恋しくなるのよね。焼いてるときにあったまれるしさー。」
「・・・・・。」
 僕の反論なんかまるで聴く耳もってないね。
 まったく一般常識と謙虚さをどこで落としてきたんだ、こいつは。
 そんなことを考えている間に、ずるずる引きずられる形でもうすぐ中庭というところまで来てしまった。
 何度か振り払おうと試みたものの、紋章主体に戦う僕と馬鹿みたいに力押しのじゃ癪なことに軍配があがるのは向こうだ。
 紋章の力を使えばを振り切るなんて容易いけれど、さすがにそれは大人気ない。
 うんざりと視線を上げた先には、これまた笑顔の我らが同盟軍リーダーが見えてルックはまたひとつため息をついた。






「まったくどうかしてるよ。この緊張状態のさなかに焼きいも大会だなんて。キミの脳みそを疑うね。」
「だって、毎日ぴりぴりしてたって疲れるだけだろ?たまには息抜きも必要だよ。」
 辺りにいる人すべてが赤い芋を手にしている中、例外なく芋をつかまされたルックの表情は目にわかるほどに不機嫌だった。
 そして、その不満の捌け口となっているのは不運なリーダー、焼き芋大会言いだしっぺの
 自分の文句など右から左へ突き抜けるお気楽娘は、視線の先で笑顔で芋を振舞っている。
 まったく何がそんなに楽しいんだか。
 大体、何で僕がこんなことに付き合わなくちゃいけないんだ。





 もともと人と馴れ合う行為は好きじゃない。
 同盟軍にだって、以前の戦争だってレックナート様の言いつけでなければ決して参加しなかった。
 戦争の意味などわからない。
 人と接すればそれなりに生まれる感情というものはあるが、それでも人を殺したいとまで憎んだことはなかった。
 だが、それは自分が情深いとか懐が広いとかではいう理由ではない。
 その証拠に必要とあれば眉ひとつ動かすことなく、他人を亡き者にできる。
 他人にそれほどまでに深い感情や執着心を抱かないからだ。
 だからいつも冷静でいられた。

 だけど、いつも距離を感じた。
 自分とこの周囲の者たちに厚い壁がある。
 それはきっと、何度死線を共に潜り抜けても崩れるものではないだろう。
 ここに集うものたちには信念がある。
 戦う【理由】というものが存在する。
 それは怨恨であったり、思想であったりと三者三様ではあるけれど。
 隣に立つ男も然り。
 あどけない横顔に不似合いな大人びた瞳が、慈しむ様に薄い孤を描いている。
 この男の戦う理由は「離れた幼馴染と姉と再び昔の様に暮らすため」という酷く子供じみたものだった。
 およそ、何万という兵を引き連れ戦う主の理由ではないだろう。
 そして、きっとそれは叶わない。
 以前見たその幼馴染の瞳には強い信念の光があった。
 それを曲げることはきっと容易くはない。
 そして、も自分を慕うもの達を捨てて平穏を選べるほど情なき男ではない。
 訪れるであろう未来は見えているはずなのに。
 それでも、賢いはずのこの男はこのことに関しては愚かなほどに諦めが悪い。
 そうさせるのは信念なのか、愛情なのか、感傷なのか。



「ルック−!!」
 自分を呼ぶ声に顔を上げる。
 満面の笑みで手を振る少女。
 あんな底抜けに能天気なヤツでも、戦う理由というものはあるのだろうか。
 最前線で鬼神のように戦う
 多少剣の心得があっただけだった少女は、いまや一個小隊を任せられるほどの剣士になった。それこそ血の滲むような努力をしたのだろう。
 その原動力となっているのは、どれほどの強い想いなのだろう。
 今までとは違う視点で、に視線を移す。



「・・・・・・・・・。」


 ・・・・・・考え過ぎか・・・・・・。
 ルックは口一杯芋をつめこんだ少女の姿に、本日何度目かわからないため息をついた。












 物怖じしないその態度を図々しいと。
 邪険にしてもまとわりつくその無邪気さを鬱陶しいと。




 そう、思っていたのに。






 線を越えたのはいつだったのだろう。





 今でも思い出せないけれど。
 自覚したのはあの日だった。





 何度も夢に見るあの夜だった。





















 白銀の月が眩しいほどの夜だった。





 屋上には二つの影。
 白い光とは対称的に、哀しいほどにその影は黒く、そして長く伸びていた。
 ひとつは屋上の縁に腰掛け、無造作に脚を宙に投げ出していた。
 背は屋上の入り口に向けられている。
 そして、もうひとつはその背を見ていた。
 音もなく、まるで飽きることなどないかのように、ただひたすらに。
 放っておけばいつまでも続きそうなその空間に根負けしたのは視線を投げかけられていた方だった。

「あぁ!!もぉ!!あたしの負けっ!!」
 勢い良く振りかえると同時に白旗をあげる。
「だからもう、そんな風な視線で睨みつけないでよ!」
 パン、と手を合わせて拝むようなポーズまでつけてみたが、向けられる責めるような視線の色は変わらないままだ。
 緑黄色の瞳に白い光が指し込み、まるでスピアのような鋭さを見せる。
 向かい合うふたりは一瞬視線を絡め合わせ、少しの間をおいた後少女のほうが溜息とともに言葉を吐き出した。
「何であんたがそんなに怒ってるのよ、ルック。」
 飄々としたその態度はいつもと変わらない。
 明日その身に訪れるであろうものは理解しているであろうに。
 とことん苛つく女だ。
「部隊長の僕に断りもなく部隊を移るっていうのはどういうこと?」
 努力したにも関わらず、その声は苦渋を含んだものだった。
「お言葉ですけど、部隊長。様とシュウ参謀官の許可は頂いてるんですよ?」
 対して、返る言葉はとても軽い。
 笑顔で肩を竦めるような道化じみた仕草までつけるほどに。
「直属の上司は僕だろ。」
 自分は一言一言がまるで、血を吐く様なのに。
 剣呑な色を隠せない瞳から、逃げることなく真っ直ぐな視線が対峙する。
 それじゃあ、と呟くと数段高くなっていた縁から、はふわりと飛び降りる。
 少し長めの寝巻きのすそが波打つように舞った。
 姿勢を正す。
 キン、と高い音が響いたような錯覚を覚える。
「許可を。部隊長。」
「却下。」
 有無を言わせない返答に、が困った様に笑った。
 許可なんか、出すわけがなかった。
「ルック。」
「却下。」
「仕様がないじゃない。わかるでしょ?」
「却下。」
ムキになって言い返す様はまるで聞き分けのない子供の様だ。
 優しく諭すようなの物言いは眩暈がするほど屈辱的だったけれど、そんなものに構う余裕もない。
 今、まさに手をすり抜けようとしている他に変えがたいものを引きとめるためなら、虚勢を張ることになんの意味があるのだろう。
 楔を打ちつけるように強い視線を受けて、はこの空間に不似合いなほど鮮やかな笑みを浮かべた。
 噛み締めるように目蓋をゆっくりと伏せる。
 時が止まってしまえばいい、などと今まで考えたこともなかったのに。
「妹がいたの。」
 過去形の言葉に含まれるものは、とても哀しいものであるはずなのに、その響きはどこか柔らかい。
 「あたしとは随分年が離れててね。すごく可愛かったのよ。『お姉ちゃん、お姉ちゃん』ってね。」
 ゆるやかに紡がれる言霊は柔らかく、甘い。

「・・・・・・宝物・・・だったのにね・・・・・・。」


 零れ落ちたものは、酷く切ない。




「家族を。愛する人を亡くすのは辛いよ、ルック。」
「・・・・・・だからって、何でキミが・・・・・・。」
 本当は、明日ののポジションはフリード・Yの位置だった。
 キバの部隊の一部。
 明日、キバの部隊は囮としてミューズの傭兵隊の砦へ攻め込む。
 そして。






 もう、二度と戻ることはないだろう。








「あたしには家族がいないもの。フリードさんは可愛い奥さんがいるじゃない。哀しむ人は少ない方がいいわ。」
 志願したのは、自身だった。
 フリードはもちろん反対した。
 しかし、が強行したのだ。どんなに言い聞かせても納得しないフリードに鳩尾をきめて明日の戦いが終わるまで牢に放りこんだという。
 やシュウは承諾した。
 もともとのほうがこの作戦には適役だったのだ。
 それに、フリードの頭脳は今後の戦いできっと役立つ。
 理性ではわかってる。
 それなのに。
 理性で、理屈で割り切れない感情など今までの自分の経緯には欠片も存在しなかったというのに。
 初めての経験に戸惑う唇は、その衝撃に貼りついたままだった。
 その間にもの唇は滑らかに動く。
「この傷。」
 ゆっくりと捲り上げられた袖の下から、白い細い腕が現れる。
「覚えてる?」

 その腕に走る、ひきつれるような傷跡。

 3ヶ月まえの戦闘で、が他の兵士を庇ってできたものだった。
 すぐに治癒魔法が施されたものの、傷は深く、女の身体には酷く不似合いな印ができた。
「ますます嫁の貰い手がなくなるね。」と嘲笑した僕に、「そんなことを気にする男は願い下げよ!」と舌を突き出したのを
 つい先日の様に思い出せる。
 その想い出の何と鮮やかなことか。
 失う予感から一層強く輝く記憶に、思わずぎゅっと眉根をよせた。

「ルックは馬鹿みたいって思うかもしれないけどさ。あたしには勲章みたいなもんよ、これは。こんな傷ひとつで、1人の命が守れたんだもの。」
 誇らしげに傷を掲げる。
 そして、また笑った。
「もぉ、そんな顔しないでよ。別に死ぬって決まったわけじゃないんだしさぁ。ルックがそんなんだと調子狂うんですけどぉ。」
「・・・・・・確率論も分からないほど馬鹿なのかい?」
 明日あの戦場に出向いて、帰って来れる確率がどれほどあるっていうんだ。

「わかるわよ。」
 凛と立ち。






 そして、やっぱり笑った。









「ゼロじゃないわよね。」























 あぁ、正解だ。

 ゆっくりと。
 息を吐く。

 ゆっくりと。
 唇を笑みの形に変える。


「まぁ、僕は傷なんか気にしないけどね。」
 一瞬ポカンとしたあと、意味を理解したのかの顔がおもしろいほどに赤く染まった。

「でも、キミの場合問題なのは傷なんかより別のものだと思うけど。」
「な、何ですって――!!」














 この馬鹿げた会話が。





























僕らの最後の会話だった。































 自分よりも、そしてよりも小さい手を引いて歩く。
 セラと名乗ったその少女。
 傷だらけの身体で。

 絶命しながらもあいつが守ったその少女。






 あいつの血にまみれた少女の手を引いたまま、憔悴した様子のの前に立つ。 「ルック・・・。」
 見開かれた瞳に映る僕は、きっと今までにないような顔をしているに違いない。

「勝つよ。」










 
 初めて人を殺したいと思ったよ。

 理不尽なほどに、キミを殺したヤツに憎しみが募る。
 この馬鹿げた戦いに、抑えきれないほどの憤りが生まれる。
















想うよ

いつでもキミを想って瞳を閉じる




どこまで行けばキミに追いつけるか分からないけど




いつまでも追いかける様にキミを想う