チェックメイト

都市同盟領内、デュナン湖のほとりにその城は建っていた。
かつては一つの街だったそれは、朝日をこれでもかと言わんばかりに浴びて煌めき、日当たりの良い位置には白いシーツがいくつも干されていた。
人々のざわめきが聞こえ始め、戦争中だというのに酷く活気づいて穏やかな雰囲気の中、今日も今日とて、一人の少女の声が城内に響き渡った。
「ルックー!」
朗らかに、片手をあげて手を振る少女の名は
黒く艶やかな髪を惜しげもなく垂らしたは、城内のホールから歩いてきた。
少々精悍な顔立ちと出で立ち。
いつもと変わらないその姿に、ルックと呼ばれた少年はあからさまに溜息をついた。
「…………………何か用?」
色素の薄い、栗色の髪をゆらしてルックがかったるそうに石版にもたれた。
石版にもたれても良いの?
が聞いた。
いつもの言葉だった。
馬鹿の一つ覚えって知ってる?
ルックが鼻で笑った。
それも、いつもの事だった。
がおかしそうに知ってるよと笑って、ルックの顔が少し歪んだ。
不愉快そうな、鬱陶しそうな、そんな顔だった。
「今日は何処へ行こうか?ビッキーのテレポートで失敗したら楽しそうだね。」
間違っても全然全く頗る楽しくないよ。」
「ルックって大体何言ってもそんな感じだし。」
ルックの言葉はもっともなものだったが 、は両手を肩くらいまであげてノリが悪いと嘆いた。
「当たり前。ていうか君、今が戦争中だって事忘れてるんじゃないの?」
「まさか。」
あたし戦闘要員だし。
が言った。
ルックはそれならテレポートでどっか行ってる場合じゃないんじゃないの、と溜息をついた。
「別にー…。ただ戦争中でも何でも、あたしが生きてることには変わりはないし。他の誰かが死んでいっても、あたしは生きてる。
でもって今は戦っても居ない。暫く狩り出されることもまぁ、おそらくは、無い。
だったら楽しむしかないでしょ。死ぬ可能性がつきまとうなら、あたしはその時までマイペースでいたいしね。」
が偉く饒舌に話し出したことでルックは少し驚いたが、
「…………身勝手だね。」
それを隠すようにそう言って、しかしが見せたリアクションはルックの予想とは違っていた。
人間はみんな身勝手だよ。
は、そう言って笑った。
少し儚げな、寂しそうな、愛おしそうな、そんな複雑な表情だった。
ルックは少し間をおいて
「――――――当たり前で平凡だけど、悪くない言葉だね。」
傍らに置いていたロッドを手にして、歩き出した。
はそれに合わせるように我らが城主に数日間空けると言付けてと頼んで、その後に続いた。
ホール正面入り口の東側にいるビッキーにテレポートを頼んで、二人は城内から姿を消した。





「ルック」
「何」
「ルックは人間が好きかい?」
「さぁ」
「答えなよ」
「嫌いだよ」
「偉く速い返答で」
「当然」
「どうして」
「は?」
「何で、人間のこと、嫌い?」
ルックが師匠であるレックナートに連れられてこの城に来て、数日程経った日のことだった。
黒い髪の少女がやってきて、唐突にルックにそう尋ねたのだ。
名乗りも無しに問いかけてきた少女に、ルックは不思議と答えていた。
しかしルックよりは年上のその少女の問いかけに、酷く戸惑った記憶があった。
「ねぇ」
辺りは薄暗く、まだ朝だというのに夜とさえ錯覚してしまいそうな雰囲気。しかしそれに臆する二人ではなかった。
鬱蒼と生い茂る木々の間には微かな光さえも漏れず、ただ地に着くまでに重なり合った葉のフィルター越しに、ぼんやりと辺りを伺うことが出来るだけ。
そんな森の中に、二人は投げ出されていた。
しかしルックはそんなことは構いもせずに、全く脈絡のない言葉を紡いだ。
「あの時、何を言おうとしていたわけ?何を確認したかったのさ。」
あの時、というのはと初めて会話をしたときの、その内容。
レックナートがやってきたときにはあの城にいたというのだからルックの名は知っていて当たり前だろうが、ルックの聞きたいことはそれではなかった。

「ルックは人間が好きかい?」

少し気取るように聞かれたその言葉の持つ雰囲気と、の表情。
はまるでどこかの騎士が女性にそうするような綺麗な愛想笑いで、ルックに尋ねたのだ。
人間が好きかい?と。
「あの時とは、どの時のことだい?ルック。」
はルックの言葉に少し前の方まで走って、それから後ろを向いて、まさにあの時のように笑って、あの時のような口調で、聞いた。
分かってるじゃないか。
ルックが溜息混じりに言うと、は微妙な笑い方で笑った。
自然なような、どこか違和感を感じるような。
「あの時のあたしはね、人というものをまだ、好きになった覚えがなかったのだよ。」
気取った口調をそのままに、はまた後ろを歩くルックに背を向け、歩き出した。
「父や母の愛情とは違う。あたしはまだ愛情と言うものを意識して、愛しいという思いでもって、人に接したことがなかったのだよ。
それが当たり前だと思っていたのかは知らない。けれど、愛情というものを与えたいと思ったことは一度たりとも無かった。」
はそこで一度黙って、けれど脚は規則的に動かしたまま、暫く進んだ。
それから、けれどね、と続けだした。
「ルックに会って、あたしは変わったと思う。ルックを見ると優しい気持ちになれたり、とても不快な気持ちになったりした。」
「つまり何が言いたいわけ。」
「ルックが好きって事だよ。分かるかい?ルック」
ルックが言葉に詰まって、がそれでも穏やかな顔のままなのを見て、
「……………くだらない。」
そう吐き捨てた。
「そう、とてもくだらない。」
が、の返答が予想外すぎて、ルックは黙るしかなかった。
「全てのことはくだらない。中でも戦争はこの世でただ一つ、意味のないことだと言えるほどにくだらない。
だって、世界はこんなに大きいのに、その中のあたしの感情の一つや二つがどうして大きいことだと言える?
ルックも小さい、あたしも小さい、この世の中のみんなは小さい。あのルカでさえも小さい。
けれどその小さなあたしにとって、他の小さな出来事はとても大切なの。
どうしてか?それも分からないし、そう聞くのもくだらない。全てはくだらなくてとても大切。」
今ひとつまとまらないの言葉に、ルックは眉をひそめた。
森は相変わらず沈黙を守って二人を包んでいる。
しかし徐々に森の中の明るみは増して、木々間の距離も長くなり、光が差し込んできていた。
それは、森の中心からその出口へ動いていると言うことを指していた。
「………君は何が言いたいのさ?」
「さぁ。くだらなくって分からないよ。」
がまた笑った。
ルックはよく分からない表情での背中を見つめた。
薄く差し込み始めた光がの髪を照らして、艶やかに光っていた。
そう言えば、とルックは記憶をたぐり寄せる。
前に一度、がホールの端の方で城に住み始めた人間の子供と笑いあっていた時。
の髪を綺麗だと褒めた子供に、は自慢の髪だよと少し照れくさそうにしていたときのことを。
ルックは少しとの距離を縮めて、その髪を引っ張った。
は痛いのか痛くないのか分からないような声で「痛っ」と声を上げた。
ルックはそれに構いもしないで、
「君のこの髪の長さも、くだらないことなわけ?」
「いきなり何よぅ。」
「前に君がホールでこの髪自慢してた。」
「ああ。………くだらないね。うん。くだらない。けれど、あたしはくだらないと思いたくない。」
「何故?」
「さぁ。くだらなくって分からないよ。」
は、先ほど言った言葉を繰り返した。
そしてルックの腕を取ると、ゆっくり歩き出した。
もうすぐ出口だよ。
言ったの言葉はどこか確信じみていて。
それは自身が行きたいところへ着実に進んでいるという証拠のような気がした。
そうしての言葉通り、暫くして森は終わって、そこからは穏やかな丘が続いていた。
「ここはね、あたしのお気に入りの場所なんだ。」
辺りには花が咲き乱れていた。
種類も様々で、色も沢山散りばめられていた。
はその花畑の中程まで来て、ルックの腕を放した。
「空はこんなに綺麗で、花はこんなに咲き乱れていて。あたしは生きているのに、世界はとても大きくて、全ての出来事はくだらなくて、時々あたしは分からなくなる。
……………ルックは人間が好きかい?」
振り向いて、が尋ねた。
ルックはを見ながら、コレはまるで盤遊びのような気がした。
ハルモニアでそんな遊びがあるのだと聞いたことがあった。
白を黒のチェックの盤面の上に沢山の種類のポールが立っていて、それは盤の両端に決められた順番に立てられ、一つの国家のようにキングやクイーン、歩兵、騎馬等それぞれに役割があり、そのポールを、やはり決められた動きを持つそれぞれのポールを動かして相手のポールを奪って行き、どれほどの犠牲を出したとしても最後に王を取った方の勝ち。
戦争もそうだが、もそれをしているように見えた。
至る所に伏線を張って、ここぞと言うときにそれが後で活きてくるように。
さしずめ、僕が敵方のキングか。
ルックは心中でそう呟いた。
それもくだらないことだったからだった。
「嫌いだよ。」
ルックは、依然と変わらない答えをした。
が、笑った。
勝ち誇ったような、嫌な笑顔だった。
「……君は?人間が好きなわけ?」
「さぁ」
「答えなよ」
「嫌いだよ」
「偉く速い返答で」
「当然」
「どうして」
依然と同じ言葉で、二人は会話をした。
ただ違ったのは、受け答えが逆だと言うことだった。
はルックと対峙するように向き合ったまま、少し黙った。
それはタイミングを計っているようだった。
そして、の後ろから大きな風が来て、はそれがを追い越して、先ほど出てきた森の方へと飛んでいくのを見ながら、答えた。
「ルックが、嫌いって言うから。」
あの時のように、愛想笑いで。
の言葉を耳にしたルックは答えになってないと溜息をついた。
「正直言って、よく分からないよ。ルックを見ていると好きかなって思うけれど。ルックが嫌いって言うと、そんな気もするんだ。」
「主体性がないんだね。」
「そうかもしれない。でも、空はこんなに綺麗で、花はこんなに咲き乱れていて、あたしは生きているのに、世界はとても大きくて、全ての出来事はくだらなくて、それを思うとどうでも良くなって、うやむやになっちゃうんだ。」
「何言ってるか分からないよ。」
「あたしにも分からない。けどルックが分かっても分からなくてもあたしにとってはどうでも良いよ。あたしの感情はあたしにしか分からないし、他人にそれを分かられても気味悪いしね。」
「そんなもの?」
「そんなもの」
あくまで穏やかな
ルックは花畑にダイブする彼女を見ながら溜息をついた。
時間は二人の意志に関係なく平等に過ぎて行く。
けれどそれもくだらないこと。



果たして二人の王の気持ちを、どちらが先に奪うのか。

それは分からないけれど。


ただ、声が聞こえた。





―――――――――――――――”チェックメイト”と。










END