さらりと揺れる黒髪を横目で見る。伏せられた長い睫が目元に影を落とし、それがどことなく憂いを帯びていて美しい。通った鼻梁に薄い唇。まるで人の手で作り上げられた最高の美を刻む彫像のような人だ。けれど彼が美しいのは外見だけではなく、その内側も。とても穢れのない、清廉な人だと私は思う。
見つめる私の視線に気づいた彼が顔を上げ私を見る。揺れる黒髪の間から見える、紅玉のような光を放つ瞳に見つめられるとどうしようもなく胸がざわめく。それは恋ではない、もっと別の…。そうでなければいけない。私は彼に恋などしてはいけないのだ。だって彼は軍主で、この解放軍を率いる長。そうして逃れられない呪いをその見に宿す人。世界(かみ)に認められた稀有な存在。
私が恋をしていい相手ではない。
「いえ…」
彼の視線から逃れるように瞼を伏せ小さく呟き緩く頭を振れば、彼は仄かな微笑をその整った顔(かんばせ)に乗せた。
長い指先が書類を捲り、文字を記してゆく様を目で追う。あの手は今までどれだけの命を奪ってきたのだろう。沢山の血を浴びて傷ついてきたのだろう。まだこんなにも年端の行かぬ少年が背負うにはあまりにも過酷な運命だ。他者の命を奪い、自らの命を繋ぐ。戦場に立ち仲間が敵の凶刃に倒れる様を見て、彼は何を思ったのだろう。彼の大切な人たちも、奪われた。奪った、彼自身の手でその命を。
私の父の命をも…。
「少し休憩にしようか。ずっと書類と睨めっこだったから流石に少し疲れたよ」
「そうですね。ではお茶を持ってくるよう頼みましょう」
一度席を立ち室外に居る控えの者にその旨を告げて振り返れば、彼は窓の外をじっと眺めていた。吹き込む冷たい風に漆黒の髪が揺れている。遠くその瞳は何を見つめているのだろう。
駆け抜けてきた戦場か。喪ってしまった大切な人たちか。守らなければならない人々か。人を嘲り試すように幾多の試練を与える、世界(神)か。
ため息一つ。彼から視線を外し身を翻した私の背中に、温もりが触れた。縋りつくように抱きつく温もりの、なんと頼りないことか。
彼はほんの時折戯れにこうした行動に出るときがあった。耳朶をくすぐる吐息にこそばゆさを感じ騒ぎ始める鼓動を沈め、努めて平然を装って首に回された腕を軽く叩く。
「どうかしましたか」
幼子をあやすように、ぽんぽんと軽いリズムで繰り返す。こうしている姿はまるで、兄弟がじゃれあっているようにしか見えないのだろう。
そう、私は彼の姉だった。正確には義姉だ。幼い頃戦で両親を喪い天涯孤独の身となった私をテオ様が引き取り育ててくださった。私と彼に血のつながりは無いけれど、彼にとって私は紛れもない義姉で家族だった。
だから彼は時折こうして甘えるように触れたがる。誰よりも近い位置に居た付き人であったグレミオを喪った今、彼が本当の意味で心を許せるのは私しかいないのだ。
それにほんの少しの優越と寂しさを覚えるのもまた事実。彼が私に心を許してくれるのは、私が彼の家族であるからと言うただそれだけ。
「姉さんはさ、好きな人とかいないの?」
「突然ですね」
「うん。なんか知りたくなって。どうなの?」
「…います、よ」
とても、とても近くに。
彼の腕がかすかに震える。
「そっか…。じゃあこの戦が終わって、いつか平和になったらその人と幸せになれるといいね」
「そう、ですね…」
静かにつむがれた言葉に、私は震える声で頷くしか出来なかった。
彼は知っている。すべてを承知で、尚それが叶わぬことであると知りながらそう口にする。
ごめんね、と呟いた彼の言葉が鋭く私の胸に突き刺さった。