風唄

 唄が聞こえるよ。
 ほら、耳を澄ましてごらん。
 悲しい唄、嬉しい唄。
 優しい唄、明るい唄。
 いろいろな唄が、聞こえてくるだろう?

 そういって私の頭をなでてくれた、あれは誰だったろう。
 大きくて暖かい。優しい手を持った人。
 おぼろげな記憶の中に残る、霞のかかった人物。
 あなたは一体……。



「何やってるんだい、こんなところで」
 突然頭上から声がした。
 城の庭園で大きく寝転んでいた私は聞きなれた声にぱっと目を開ける。
「あー、ルック。おはよ」
 ふわぁと欠伸をし、四肢を突っ張らせるように伸びをした。
 反動をつけて体を起すとあちこちについた芝を手で払う。しばらく私の動作を見ていたルックだったが、ややあって溜息を零すと私の傍らにしゃがみこんだ。
 ルックの白くて細い、綺麗な手が私の髪に触れる。上目遣いにそれを見ていると、前髪についていたらしいゴミを取り払ってくれた。
「ありがと」
「まったく。会議にも出ないでこんなとこで呑気に昼寝? 良い身分だね」
「あはは。いやー、休憩していたらお日様があったかくてつい」
 自分でも知らないうちに眠りに着いてしまっていたのだ。不可抗力、といっても彼は納得してくれないだろうけれど。
「会議終わっちゃったんだ?」
 隣りに腰を下ろしたルックの顔を覗き込むように尋ねると、とっくにねと返された。
 そうかとっくの昔に終わっていたのか。ということは、私は随分長い間ここに寝転がっていた事になる。
 空を見上げると、なるほど眠りに付く前よりも大分日が傾いていた。
 ほへーとアホな声を漏らす私の前に、紙の束が差し出される。元を辿るとルックの手が見えた。
「何?」
「会議の資料。出席してなかった君の分だよ」
「わざわざどうも」
「あほな軍主に頼まれたから仕方なくね」
「さいですか」
 そりゃすいませんね、と上辺だけで謝りながら渡された書類をめくった。ざっと目を通すと、部隊の編成、変更などが綴られている。
「ふむ……。私はナナミと一緒? え、ナナミはのとこじゃないんだ。ふーん。まいいけどね。接近戦ではナナミは強いしね」
 とはいえ、私は主に魔法専門なので接近戦には向いてない。団長が接近戦を得意としないのに、メンバーのほとんどは接近戦を得意とするものというのは一体どういうことなのだろう。
 私に後方支援をやらせて、メンバーに戦わせるということだろうか。私にはあまり好かないやり方だ。多分これは軍師の案だろう。
 だが会議に参加しなかった私が何を言っても無駄だろうから不満は呑み込む事にした。
 書類をたたんで膝の上に置く。
 ルックはただ黙ってじっと、隣りに座っていた。
 私とルックの間を風が駆け抜けて、ルックの柔らかそうな茶の髪と私の金の髪を揺らす。
 少し冷たくなってきた風を頬に感じながら、再び仰向けに寝転んだ。
「何やってんのさ、。風邪引いても知らないよ」
「うん。でもね風が気持ちいから。ほれ、ルックも寝転んでみなよ」
「あんまり無防備だとそのまま襲うよ?」
「へ……や、それは勘弁」
 さらりとすごいことを言うルックに、軽く笑いながら私はえいっとルックの腕をひぱった。
「うわっ」
 突然腕を引かれ、バランスを崩したルックはそのまま芝生の上に転倒する。
 運悪く頭を打ったらしく、しばらく頭を抱えて唸っていた。
「いきなり何するんだよ」
「あはは。ごめんね? まさか頭打つとは思わなくて……ルックって何気に運ないよね」
「君が悪いんだろ」
「うん。否定はしないよ」
 寝転がったままこんな会話をする私たちは、傍から見れば奇妙以外の何者でもなかっただろう。けれどここは余り人目に付かない場所であった為その心配は皆無だ。
「あのさ。ルックってさ、風の紋章宿してるよね?」
「何突然」
「昔ね、言われた事があるんだ。耳を澄ますと風の唄が聞こえるよって。誰に言われたかは覚えてないんだけど……。だけど私聞いた事ないんだよね。第一風の唄ってどんなもんかわからないし。それで風を自由自在に操るルックなら知ってるかな、って思ったんだけど」
 わかんないかな。首だけをルックの方へ向けて聞くと、ルックは空を見詰めたまま眉間に皺をよせた。
「風の唄? さあ、知らないね。大体普通の人間に聞こえるはずないだろ、そんなもの。グラスランドの精霊を信じる人間たちなら、聞こえない事もないんだろうけど」
「そっか。うーん。そっかぁ。残念」
 目を細め段々と茜色に染まりつつある太陽を眺めて私は身を起した。……正確には起そうとした。けれどそれは突然伸びてきたルックの腕によって阻止された。
「よっ……っと、うわっ」
 さっきのルックみたいにバランスを崩した私の体はそのまま倒れ込む。しかも起き上がろうとした体勢から引っ張られたため不自然に傾き、なんとルックの体の上に乗っかってしまった。
「ちょっとー。何すっかなルック」
「さっきの仕返しだけど?」
 ルックの胸に頭を預けたままぶすくれる。
 起き上がろうにもしっかりと、ルックの腕が私の頭を抱き込んでいてそうもいかなかった。
「ちょっとー。そろそろ戻らないと風邪引くってば」
 ねえねえとごそごそともがいてみるが一向に話してくれる気配はなく。
 諦めて私は、ルックが飽きるまで大人しくすることにしたのだが……。それがいけなかった。
 先程の話を思い出して欲しい。
 お日様が暖かでついうっかりうとうとと眠り込んでしまったこの私。もう一度同じ事が起きないとは限らなかった。
 更に人の体温というのは暖かく、この上なく落ち着くものなのだ。加えて好きな人のものとあれば尚更。
 案の上というか、なんというか。
 二人揃ってそのままそこで寝こけてしまって、気がついたら真夜中になっていたというのは。
 私とルックだけが知る話。