モノクローム

 色のない世界。
 希望の光すら見出せない未来の片隅で君は言う。
 運命は人の手で変えられる。
 だから諦めるな―――と。
 ならどうして、永きに渡り見つづけるこの夢の世界は、
 紋章が見せる世界の未来は何一つ変化が起きないんだ。




「この世界は、確かに神様が作り出したものかもしれないよ」
 独特の口調と雰囲気を纏った、見かけの年齢さえも超越した何かを持つ少女。
 いっそ鮮やかとさえいえる、闇色の髪は常にふわりふわりと一定のリズムを保て揺れている。
 銀を帯びた黒い瞳は、真っ直ぐに彼方へと向けられていた。
「でもね。住んでいるのは君たち人間だ。そうして意志をもち動いているのもね」
 赤い唇をゆがめて微笑む。
 瞳を眇めて僕を見る。返答を促す彼女のクセ。
「何が、言いたいわけ?」
 小さく訊ね返したはずのその声は自分で思っていたよりも大きく、虚空へと吸い込まれていった。
 どこか遠くで建物が崩れる音がする。けれど慌てる事はない。
 所詮ここは夢の世界でしかないのだから。
 崩れた石垣の上に足を組んで腰掛けていた彼女――は軽やかな動作で飛び降りた。彼女の纏う薄絹の衣がふわりとたなびく。涼やかな鈴の音が鳴る。コツ、と。地面にかかとをつける音がかすかに響いた。
 と名乗った彼女の正体を僕は知らない。いつしか、彼女は僕の夢に現れるようになった。
 は人を食ったような、何もかもを見透かしたような物言いをする。
 けれどそれは不思議と不快ではないのだ。
 何故かしっとりと体に馴染むような、暖かな感覚での言葉は体内に浸透する。
 風がと僕の体を取り巻いた。
 何もない世界なのに。風だけは存在する。
「ルック、考えてごらん?」
「何を・・・」
「もっと明るいことをだよ。運命なんてものはきっと人の手で変えられるんだ。未来は決して定まったものじゃない」
「・・・・・・」
「不満?」
 くすくすと笑うたびに風が踊るように動く。
 スッとが細い腕を前に出した。薄絹を纏う白い腕に幾重にも付けられた銀色の腕輪がシャランと音を奏でる。
 白い指先が僕の頬に触れる寸前で止まった。
「可能性の話さ。けれど覚えておくといい」
 弓張月の形へと赤い唇が笑みを作って、そう告げた。
 は微笑んで僕を見ている。
 その微笑みはどこまでも、きれいでそうして壊れてしまいそうな儚いものだ。
 触れてしまえばもろくも崩れ去ってしまうのではないかと思うほどに、危うい。
 だから、の手を掴みかけた自分の手を制してただ首を振った。
 下らない、と呟くように言う。
 は軽く目を見張って、それから何故? と首を傾げた。
「紋章の記憶が見せる未来。それは避けることが出来ない定められたものだ。やがて訪れるものだから、紋章はそれを記憶している」
「・・・・・・けれど人は道を選び取れる」
「選び取った道が、誤ったものだったらどうする?」
「そこからまた新しい道を作り出し、選ぶまで」
「選んだものが破滅の道だったとしても?」
「ならば創生の道を作り出せばいい。人はそうして間違いを繰り返し、正しながら世界を築いてきたのだから」
 私はそれを、この世界の誕生のときより見つづけてきた。
 はそう言ってまた笑った。
「ルック。貴方が目指す未来の中に、私は存在しないんだよ」
 が僕の頬に手を添えた。
 初めて触れた彼女の手は、人間のものとは思えぬほどに冷たく。
 体温など無いに等しい。そんなものだった。
 温もりはないのに、温かみを覚えるのは何故だろう。
「・・・・・・君は一体誰なんだ」
 強く訊ね返した僕の問いに、は一度口を閉ざしそれから僕の右手を取った。その手の甲。風の紋章を被せた、その下の真の風の紋章に触れる。
 紋章が熱を帯びる。熱くは無い。ただ暖かく、心地よい。
 ああ、そうか。
 絡んだ紐が解けるように、すぐに答えは出た。
「君は・・・・・・」
 人が死に絶えた世界。
 僕の目指す世界の先。
 二つの未来にあるいは存在し、存在しないもの。
 それは。
「そうだよ。私は―――」
 風が、音をさらう。
 全てを奪い、攫うように。
 そうして喜び謳うかのように、踊る風。
 は。
 彼女は。
 真の風の紋章。そのもの、なんだ。
 答えをしった僕には一度。何の前触れもなしに口付けて、姿を消した。
 それが最後。
 いつしか彼女は夢に現れなくなった。
 それから十年以上の歳月が流れた。
 僕はの姿を、声を。二度と見ることも、聞く事もなかった。



* * *



 モノクロの世界の中で。
 彼女だけはいつも、色鮮やかな存在だった。
 周りの景色の色彩は全て白と、黒。それが混ざり合った、灰色であるのに。
 の周りだけは常に色づいて。
 今になって思う。
 彼女の周りだけがそうして見えていたのは。
 彼女が人ではなく、紋章の化身というのも理由の一つではあるかもしれないけれど。
 僕が、少なくともあの頃の僕が。
 に惹かれていたというのも、一つの理由だったのかもしれない。