笑われる


 名を呼ばれて何気なく振り向いた私はその瞬間、手にしていた大量の書簡を床にぶちまけた。ころころと足元を転がっていく筒を見ることもなく、私の名を呼んだ人物の顔を凝視する。
「ふ、ふふふ…」
 字面だけみればまるで怪しい笑いをしているようだが誤解しないでもらいたい。
「フェリド様…」
 呟いてみてはっと我にかえると、その場に頭をたれた。
 現女王騎士長閣下。アルシュタート女王陛下の夫君にして、の父君であるフェリド様がいつの間にか私の背後に立っていたのだ。女王騎士の人たちって足音も立てずに近づいてくることがあるから、声を掛けれるまで気付かないことが多い。とてつもなく、心臓に悪い。
「ああ、いい。楽にしていろ。お前は他の女官たちとは少々事情が違うからな。気にする必要は無いぞ」
「いえ、ですが…」
「ん? なんだ。では女王騎士長命令といえば聞くのか?」
「はぁ、いえ…あの…わかりました」
 頭を下げたまま困惑する私を前に、フェリド様は大声をあげて笑った。
 ゆっくりと折り曲げた体を元に戻し、失礼しますと一言告げてから足元に散らばった書簡を拾い上げていく。手伝うぞ、といわれたが即却下させていただいた。国で二番目にえらい人間に、こんな雑事の中の雑事を働かせてしまっては申し訳なさすぎる。
「全部あったか?」
「はい大丈夫です」
 抱えなおした書簡を眺めるフェリド様。次に言う言葉が安易に想像できてしまって、先手を打たせてもらうことにした。
「手」
「伝っていただかなくても大丈夫です。たいした重さではありませんし、これは私たちの仕事です。はい」
 にっこり笑ってそういえば、フェリド様は一瞬きょとんとした顔をしたがすぐにまた声を立てて笑った。よく笑う人だ。
「そういえば。お前、に名を呼べと強請られたそうだな」
 フェリド様の言葉に一瞬固まる。一体どこからその話題を仕入れてきたんだこの人は!
 というか。何か。あの時やっぱり誰か外に居たのだろうか。それとも王子が自分で話した…?最後が一番可能性としては高いかもしれない。
「え、えと。はい、まあ…」
「そうかそうか。はずいぶんお前を気に入ったようだな。あいつは自分が認めたやつにしか名を呼ばせないからな」
「…そうなのですか?」
 初耳だ。
 名を呼ばせるというのはたぶん敬称を抜きにしてということなんだろうけど。
 驚きに目を丸くする私の肩をバシンと叩いて、
「あいつもまだまだ子供だからな。多少のわがままは許してやってくれ。度が過ぎれば叱り飛ばしてやっても構わんからな」
 そうとんでもないことを言いながら、呆けている私を残してフェリド様は去っていった。