強請る

 じっと見つめてくる視線が痛い。
 その視線の主はわかっている。この城の主、アルシュタート陛下とフェリド閣下の第一子にしてファレナ女王国王子という肩書きを持つ、王子殿下。
 ベッドのすみに腰を下ろしたまま手持ち無沙汰な様子で、雑事を働く私を眺めているのだ。もちろん、視線に含まれるのはそれだけじゃなく。
「……あの、殿下? そうじっと見られていると、私としてもやりにくいのですが……」
 振り向けば綺麗な青色の瞳と目が合う。
 にっこりと微笑まれて、嫌な予感を覚えてみればそれは見事的中した。
「じゃあ名前で呼んで?」
 がっくりうなだれる私と反対に、始終笑顔の王子にとにかく脱力。
 何故かな。どうやら私は王子に気に入られたようなのだ。
ちなみに理由は不明である。
 いつからだったかその辺は定かではないが(というか覚えていない)、ことあるごとに名前で呼んで欲しいと強請られるようになった。
 だがしかし。
「……殿下。私、前にも申し上げましたよね?」
 溜息一つ。手に持った花瓶を所定の位置に戻し、王子と向き合った。
「一介の侍女風情が、王子殿下を呼び捨てにしたなどと。もしも陛下のお耳に入ったら……」
 私は間違いなくクビだ。
 クビだけなら良いほうで。へたすりゃ国外追放とか。
 それは勘弁してほしい。せっかく手に入れた職場なのだ。
「誰も居ないから平気だよ?」
 きょとんとクビを傾げて言うさまは可愛らしいが、これは譲れない。
「誰もいなくても駄目です」
「えー」
「すねても駄目ですよ。さ、殿下。退いてください」
 ベッドに座り込む王子をどけて布団のカバーを新しいものと交換する。まだまだやることは沢山あるのだ。王子のわがままに付き合ってはいられない。
 ちらっと動かした視線の先には私にどかされ、相手にされなくなって窓際にちょこんと立つ寂しげな王子。
 ……そんな捨てられた子犬みたいな目で見ないで欲しい。
「……駄目?」
「……名前って、そんなに重要なことでしょうかね」
「うん。僕にとってはね」
「そうですか……」
 確かに王子という位を持つ人間であれば、気安く名前を読んでくれる人間なんて少ないんだろうけど。それがどうして私に求められるのか、は謎であるけれど。
「一度だけですよ?」
 仕方ないと溜息を一つこぼして。
 扉の向こうに人の気配がないかきっちり確認する。とはいえ、私程度の人間が神経を張り巡らせたところで、たとえば女王騎士ほどの人たちが気配を消してたたずんでいたりしたら絶対に気付けるはずもないのだが。
 まあ気休め程度に、一応ね。
 期待を込めて見つめてくる王子を見て……なんだか後ろにびゅんびゅん弧を描く勢いで振りまわる尻尾とぺったりたれた耳が見える気がするのは多分気のせいなんだろうけど。
 こほんと小さく咳払いを一つ。
 初めて敬称なしで口にする名前を、唇に載せた。