切な系100題「075:ためらい」

好きだ、と。一言言ってしまえれば。
それをしないのは…出来ないのは、自分が思いを告げたところで彼女を困らせてしまうことが明白だからだ。自分は王子という身分で、彼女はその自分に使える侍女。恋愛の対象となるには立場が違い過ぎた。



彼女が気になり始めたきっかけは、初めて僕と彼女が言葉を交わした日に彼女が見せた笑顔だった。僕よりも年上で、落ち着いた大人の人だと思っていたけれど、ふとした拍子に見せた笑顔がとても幼くて純粋で、きれいだったんだ。

そしていつからか、彼女が気になり初めて。僕は用事もないのに彼女の元を訪れるようになっていた。初めは戸惑っていて王子という立場の僕に遠慮しがちだった彼女もいつしか打ち解けて話してくれるようになって、僕と彼女はとても親しくなった。
彼女はミアキスと仲がいい。歳が近いということもあるだろう。よく話をしているところを見る。ミアキスと話している彼女を見ているということは、必然的にミアキスも見るようになるということで。もともと女王騎士として働いているミアキスは人の気配や視線に敏感だ。僕が彼女を見ていることにミアキスはすぐに気付いてしまった。僕もまだまだ修行が足りない。
「王子ってもしかしてちゃんのことお好きですかぁ?」
何時もどおりののほほんとした口調で問いかけられたのは、僕がたまたま一人で城内を歩いていたときだった。いつもなら傍に護衛のリオンがいるけれど、今日は女王騎士長の父上に呼ばれていて離れていた。この隙を見計らって聞いてきたとしか考えられないくらいのタイミングの良さだ。
このときはまだ彼女のことを好きだとはっきり自覚していたわけじゃなかった。ただ気になる存在。それだけだったんだけど、ミアキスに聞かれた時気付いてしまったんだ。ああ、僕は彼女のことが好きだったんだ。
意識せず顔が真っ赤になってしまった僕を見て、ミアキスはあらあらぁと目を細めて笑っていた。協力しましょうか? 本当なら嬉しい申し出に、だけど僕はすぐに首を振った。ミアキスが不思議そうな顔をしていたのをよく覚えている。
協力してくれ、と。素直に言えたならどんなによかっただろうと思う。それが出来なかったのは、その頃にはもう僕は自分が王子という立場でそれがどういうものか理解していたから。何かも分からない幼い子供じゃない。自分の気持ちに素直に生きることは出来なかったんだ。
自覚してしまってからは、気軽に彼女のもとへ訪れることが出来なくなった。政務が忙しかったというのももちろんあったけど、僕自身が意識して行かないようにしていた。
気になる存在、まではよかった。けれど好きだとはっきり自覚してしまってからというもの、彼女にどんな顔をして会えばいいかわからなかった。正直なところ、今まで恋愛対象として誰かを好きになったことがなかったんだ。

そんなある日、十日ほどの視察から戻ってきた僕は偶然彼女とはちあった。
久々に見た彼女は相変わらずで、僕を見るとふわりと微笑んだ。だけど僕はどうしても笑い返すことが出来なくて、そっけない態度を取ってしまった。彼女が少し傷ついたような、寂しそうな顔をしていたように見えたのは自意識過剰やうぬぼれではないと思う。
立ち去った彼女を追いかけて謝るべきか、悩む僕をあろうことかミアキスが笑顔でどついて(ちょっと怖かった)後押ししてくれた。一瞬躊躇ったけど、僕は走って彼女を追いかけた。 城の中は広いけれど僕はすぐに彼女に追いつくことが出来た。そもそも彼女は逃げたわけじゃないから当たり前だ。僕が追いかけてきたことに気付くと俯いていた顔を上げて、心底驚いた表情をしていた。
「どうなさったんですか、王子。そんなに慌てて」
ポケットから柔らかな布を取り出して額に浮いた汗を拭ってくれるの手を掴んで、僕は彼女の目を真っ直ぐに見つめた。何を言ったらいいだろう。何から言ったら良いだろう。まずはさっきの態度を謝るべきだったんだけど、そもそもそのために追いかけたのに僕の頭からはすっかり抜け落ちてしまっていた。なんて間抜けなんだろう。
あーだのうーだの唸る僕にはくすくすと声を立てて笑った。僕の好きな笑顔だった。
「落ち着いてください、王子。お話があるならちゃんと聞きますから、ね?」
それから彼女は帰ってきたばかりの僕を気遣って、今日はゆっくり休むように。話は明日聞く、ということを言いおいて去って行った。謝罪も出来ず僕は自己嫌悪した。しゃがみこんだ僕の元に様子を伺っていたらしいミアキスが顔を出して、ダメですねぇ、なんて何時もの口調で言っていたけれどそれに対して腹を立てることも、反論することさえ出来やしなかった。なんていってもミアキスの言うとおりだ。
僕は母上の元に視察の報告に行ってから自室に戻った。ベッドに転がって見慣れた天井を眺めているうちに自分でも気付いていなかったらしいけれど相当疲れていたようで、いつの間にか眠ってしまっていた。

翌朝目覚めた僕は真っ先にの元に向かった。探しているときほど探し人というのは見つからないもので、城内をぐるぐる巡ってみたけれど目当ての人物を見つけることが出来なかった。可笑しいな、と首をかしげる僕のもとへまたどこから現れたのか、そして見ていたのかミアキスがやってきてニコニコ笑いながら外を指差した。四角い窓から見える外の景色に求めていた人物がいることに気付いて、ミアキスへの礼もそこそこに僕は城を飛び出した。そういえば前に一度協力を申し出てくれたミアキスを断っていたのに、結局は世話になっている。あとでちゃんとお礼を言いに行こう。
は庭園にいた。ついでにの傍に、誰か知らない人も居た。よくよく見てみると僕は名前も知らないけれど服装から城に使える下男だろうことがわかった。
何かいやな予感がした。僕は二人に気づかれない距離まで近寄ると、そっと気配を殺して物陰に隠れ耳を澄ませた。少し距離があったからはっきりとした声を聞き取ることは出来なかったけど、二人の様子と時折聞こえてくる言葉でどんな状況なのか理解することが出来た。
どうやら男はに言い寄っているようだった。は少し眉尻を下げて困ったように首を傾げて、断っているようだったけど彼女の声は小さくて聞き取れない。男はそんなに尚もしつこく言い寄って、あろうことか彼女の腕を掴んだ。僕は咄嗟に物陰から身を顕すと二人が気付くように足音を立てて近づいていった。案の定二人はすぐに僕の存在に気付いた。
「こんなところで何をしてるんだ」
主に男に向けていつもより低く声を放つと男はすくみあがって、の手をぱっと離すと何か言いわけをしながら走り去っていった。その姿が見えなくなるまで男の走っていった方を眺めていた僕は一つ溜息をつくとに向かい合った。彼女は驚いた様子で僕を見上げていたけれど無理もないと思う。まさかこんなところに僕が来るとは思わなかったんだろう。
「王子、どうしたんですか。こんなところで」
を探してたんだ。城の中で見つからなかったから…何をしていたの?」
僕の問いかけに、が一瞬視線をそよがせてまずいという顔をしたのを見逃さなかった。彼女は少し引きつった笑みを見せ、なんでもないのだと答えた。
「王子が気にするほどのことではありません」
気にするほどのことじゃない? それどころか気になって仕方が無いのに。
面白くなかった。
が話してくれないこともそうだけど、何よりあの男の存在が。もしかしてはこういった事がよくあるのだろうか。一度もそんな話をしてくれたことはない。そこまで考えてああでも話す必要はないんだと即座に思う。彼女にとって僕は仕えるべき立場の人間で、恋人でもなんでもない。言う義務も、聞く権利もないんだ。
だけど僕は彼女が好きで、だから気になる。彼女のことを知りたいと思ってしまうのは愚かで幼稚な独占欲。何でもないふりをするにはまだ僕は子供すぎた。
「気にするほどのことじゃない、なんて…気になるんだ」
「え…?」
「僕は…っ、の事が好きなんだ…!」
そのときばかりは今までの躊躇いも迷いもどこかへ吹き飛んでいて、それ以上に思いを告げるつもりなんてなかったんだけど、はっと気付いた時には目を真ん丸くして驚くが目の前に立っていた。我に返って慌て出した僕には頬を染めて笑うと、私も様が好きですよ、と思いもかけない言葉をくれた。