切な系100題「繋いだ手・前」

ほんの少しだけど彼に近づけたと思っていた。もしかしたら私の思いは彼に届くかもしれないなんて、淡い期待もしていた。だけど叶うことはなかった。考えてみればそれは有りえないことだったんだ。彼には私なんかじゃ及ばない、彼に似合った素敵な女性が傍に居たのだから。私なんて端からお呼びじゃなかった。思い上がっていた自分が恥ずかしく情けない。仕方ないのだと…もともと私などが相手にしてもらえるはずがないのだと、わかっていたはずなのに、抱いてしまったささやかな期待を裏切られた胸は痛くて苦しくて涙が止まらない。
ぐずぐずと鼻をすすりながら城下の片隅で蹲っていたら足音もなくシロが近づいてきて、慰めるように鼻っ面を摺り寄せてきた。
「…応援してくれたのにね。ごめんねシロ」
私じゃやっぱり駄目みたい。その頭を抱きかかえて、背を撫でながら言う。涙がこぼれてシロの柔らかい毛並みにしみこんだ。

偶然見てしまった。親しげに笑いあう二人の姿を。遠目だったから話していた内容までは聞き取れなかったけど、聞きたくもなかった。居たたまれなくなってその場を駆け出して、途中足がもつれて転んでしまって膝をすりむいた。痛かった。だけど構わず立ち上がってまた駆け出した。赤い血がじわじわと滲んでスカートを汚しても気にしなかった。誰かが驚いたように私の名を呼んでいた気がする。

走って走って、苦しくなって足を止めた。呼吸を整えようとするけれど、上がった息は中々収まってくれない。心臓が痛かった。ズキズキと胸が痛くて苦しいのは、ずっと走っていたから?
…違う。そうじゃない。あの二人のあまりにも親密そうな空気に、私なんかが入り込むことは出来ないと思ったから。
私のような戦う力を持たない非力な女の子じゃなくて、あの人のように一緒に戦えて背中を預けられる…信頼できる人のほうがずっといいに決まってる。どうして気付かなかったんだろう。

膝を抱えて顔を伏せたまま。どれだけそうしていただろう。シロは相変わらず私の隣に座り込んで、傍を離れる様子は無い。良く手入れされた柔らかい毛並み。シロの温もりで心が少しだけじんわりと温かくなる。
「シロ、お前そろそろ帰らないとダメじゃない」
促してもシロは耳をひくひくと動かすだけで、動こうとはしなかった。そのことに私は少し救われる。

しばらくしてシロを探すキニスンの声が聞こえてきた。伏せていた顔を上げたシロはぴくんと耳を動かして声のするほうへ顔を向ける。
「ほら、行きな」
とんと背中を軽く叩いて押すとシロはどことなく不満げな顔をして見せた。どうして行かないといけないの? そういわれてるようで、思わず笑みが浮かんでしまう。
「ありがとう、シロ」
もう一度感謝を込めてシロの首筋にぎゅっと抱きついた。

そうしているうちに声は次第に近づいてきて、キニスンが私とシロを見つけて一瞬立ち止まって目を丸くしていた。こんな隅っこで膝を抱えて蹲っていたら誰だって驚くだろう。加えて転んだ拍子にすりむいた膝から流れた血と泥で私の穿いているスカートは悲惨なことになっている。
? どうしたんですか、こんなところで…」
言いかけて途中言葉を止めたキニスンの視線が私の膝に行く。血と泥で汚れたスカートに気がつくと驚いたように声を上げた。
「怪我をしたんですか? 今手当てを…」
指摘されるまで傷のことなんてすっかり忘れていた。流れていた血は止まり、泥と一緒に固まって傷口が黒く変色している。自分で思っていたよりもずっと傷は深かったようで、思い出すのと同時に痛みも一緒になって蘇ってきた。じくじくと、膝の痛みと心の痛みが一緒になってうずき出す。
私に向かってのばされたキニスンの手を、何を思ったかシロが噛んで止めた。もちろん本気ではなく甘噛み程度でパートナーたる彼が傷を負うことはないけれど。
「シロ、痛いじゃないか。離して」
キニスンが軽くたしなめるが、シロは離さない。それどころか、私とキニスンの間に壁を作るように身を滑り込ませてきた。まるで私が今、キニスンと話したくないことをわかっているようだ。本当にシロは頭がいい。
「シロ?」
困惑したように相棒の名を呼ぶキニスンになんだか申し訳なくなって、私はシロの頭を撫でながら言った。
「シロ、ありがとう。大丈夫だから」
シロは私のほうへ顔を向けて、本当に大丈夫かと尋ねるように深い色合いの瞳で私をじっとみる。答えるように頷けばシロは漸く、渋々と様子ではあったがその場を退いた。

膝の手当てをしてくれるキニスンを見ながら、私は早くその場を立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。さっきみた光景が目の奥に焼きついて離れない。
「…キニスンは、エイダさんと仲が良いんですね」
「え…あぁ。見ていたんですか」
照れたように微笑するキニスンに私はまた胸がずきりと痛くなるのを感じた。どうしてこう、わざわざ傷をえぐるようなマネをしてしまうんだろう。聞かなければ良かったのに。ぎゅうっと喉の奥がふさがる感覚がした。
「ごめんなさい。見るつもりはなかったんですけど、偶然通り……かかっ、て」
声が震えてしまって最後まで上手く喋れなかった。声の変わりに出たのは涙で、キニスンが驚いて私を見ている。話していた相手が突然泣き出したら、驚きもするだろう。慌てて止めようと思っても私の意志に反して涙は次から次へとあふれて止まらない。パタパタと顎先から滴り落ちてスカートを濃く染めていく。
「―――っ、ごめんなさい」
乱暴に涙を拭うと手当ての礼もそこそこに私は駆け出した。膝の痛みなど無視して、少しでも遠く彼から離れたかった。
「あ、?」
走り去った私を途方にくれた様子でキニスンが見ているなど、逃げることに必死だった私はこの時は気づきもしなかった。

「…泣かせてしまったみたいだけど…僕何かしたかな?」
首をかしげるキニスンに、シロはつんとそっぽを向いたまま知らん振りをしている。
まるでお前が悪いとでも言いたげな態度の冷たい相棒に溜息を一つこぼすキニスンに、後ろから呆れを含んだ声がした。振り返れば片手を腰に当て声音どおりの呆れた顔をするエイダが立っている。
「今のはお前が悪いな」
「はい?」
「さっさと追いかけないと、修復不可能なまでにこじれる可能性があると思うけど…」
が走り去った方向を見ながらエイダが言う。
「それはどういう意味ですか?」
「わからない? 鈍い男だな」
なあシロ、と同意を求めるように白狼の頭を撫でるエイダに、キニスンはそれこそ困惑して一人と一匹を見ていた。
「とにもかくもだ、早く追いかけたほうがいい」
「でも…彼女を泣かせたのが僕だったとしても、理由も分からず追いかけるのは…」
「…まあ今回は私にも原因があるようだから一応助言しておく。好きな男が別の女と親しげに話をしていたら誰だって傷つくと思わない?」
「………!?」
エイダの言葉の意味するところに気づかぬほど鈍いキニスンではない。はっとして駆け出していったキニスンの背を見送ると、エイダはやれやれと肩をすくめてシロを撫でた。
「手のかかる相棒だね」
全くだといわんばかりにシロはパタンと尾を振った。







すみません、続きます。
予想以上に長くなってしまった…。

H23.08.25