君の痛みに気付けなかった。
これは僕の、報いなんだ。
もっと早く気付くべきだった。
こうなる前に……。
グレッグミンスターにある自宅から、デュナンにある同盟軍本拠地までの道のりは近いようで意外と遠い。
僕は手近な荷物だけをまとめると、早々に家を出た。
愛用の棍を手にもって、バナーの森を急ぐ。
この森には山賊やらトラやら凶暴な生き物が多くてなるべくならとおりたくは無いのだけど、デュナンに抜けるには此処を通る以外道は無いので仕方が無い。
襲い掛かってくる命知らずな輩を適当に倒して道を突き進んだ。
その間僕の頭に思い浮んではきえていくのは、恋人のユイラの顔。
今は同盟軍に所属している君に早く会いたかった。
漸く森を抜けて、バナーの村にたどり着く。
そこで宿を一晩借りて、翌朝。まだ日も昇らぬ早いうち、村を出た。
船に乗り、ラダトの町まで行く。そこからはもちろん徒歩だ。
普通の人よりも歩く速度が早い自信があったので、そこからだと三日ほどでたどり着ける予定だ。
適当に買出しを済ませ、早々に町を出た。
かつてノースウィンドゥという小さな街であった、同盟軍本拠地にたどり着いたのは予定通り三日後の昼。
軍主であるや旧知であるルックに適当に挨拶をして、毒舌を浴びせられながらもの居る場所へと向かった。
扉の前に立って、ノックをする。
コンコン。
応答は直ぐにあった。
『どうぞ』
それは聞きなれた彼女の声ではなかったけれど。
なんの違和感を抱くことなく、ノブを回して中に入った。
途端、鼻腔をつく強い薬の臭い。
部屋の中は清潔感溢れる白で統一されていて、少しだけ目にまぶしかった。
部屋の隅にすえつけられている椅子に座っていたホウアンが振り返る。
「さんでしたか」
「はい。彼女の様子は?」
「依然、変わりなく」
「そうですか」
頷いて、カーテンの引かれた一つのベッドの傍に寄った。
静かにカーテンを引く。
白いベッドの上に静かに横たわった彼女の穏やかな寝顔を眺めて、自然と笑みが零れた。
傍らの椅子に座り、彼女の頬に手を伸ばした。
少し冷たいけれど、暖かい。
まだ生きている人の温もりが掌から確かに伝わってくる。
「久しぶり、」
応える声はないと分かっていて、声を掛けた。
シーツから出た彼女の手を取り、開いた手で握り締める。
それでも握り返してくれる事が無い事に、軽い痛みを覚える。
「元気だったって聞くのは可笑しいかな」
自嘲気味に微笑んで、握った手を額に押し当てた。
彼女はただ眠っているだけではなかった。
心が、壊れてしまっているのだ。
彼女の心を壊してしまったのは、ほかでもない僕だった。
三年前。戦争が終わった後、何も言わずに去っていこうとした僕に泣いてすがり付いてきたを振り払った。
涙が止まるほど驚いて、今にも零れ落ちてしまうのではないかと思うほど大きな瞳を見開いて、僕を凝視していた。
けれどすぐに笑顔になって。
見送ってくれた君の心の傷を、痛みを。
その時の僕には気付いてやる余裕なんて少しもなかったから。
その時から少しずつ、箍が外れていくように、君の心が狂ってしまっていることに気付いてやれなかった。
再会したのは本当に偶然で。
その頃にはもう、彼女の限界は訪れていたのだ。
なんの連絡もよこさないまま、三年の間放っておいて。
生死すら知らされないまま、久々にバナーの村で再会したあの日。
後ろめたさと罪悪感も手伝って、一度目が合った彼女からすぐに視線を逸らしてしまった。
それを彼女は拒絶ととったらしい。
そこから張り詰めていた糸がぷつりと切れるように。
彼女の中で何かが壊れた。
それから、数ヶ月。
全ての現実から逃げるように、眠りについた彼女は未だ目覚めない。
訪れるたびにやせ細っていく体。以前より少しとがった頤が、より鮮明に時の流れを知らしめてくれる。
今更後悔しても、遅い。
君を、一度拒絶した。
痛みに気付けなかった、これは僕の報い。
こうなって初めて。
本当に、どれほど君が大切だったか思い知ったよ。
「……」
握った手に力を込めて。少しでも、握り返してはくれないかと僅かな期待を抱くがそれはあっけなく崩される。
「」
少しずつ死が迫っているの顔を見るたびに、胸が塞がれていくような感覚に陥る。
僕の右手に宿るソウルイーターは彼女の魂まで喰らおうというのだろうか。
親友であったテッドの魂を喰らったように。
「お願いだ、。起きてくれ」
もう何度口にしたか分からぬ願いをもう一度。
祈るように。
そうして、ずっと。
僅かな期待を胸に抱いたまま、彼女の穏やかな顔を眺めていた。
彼女が逝く、最期の最後まで。