切な系100題「014:横顔

第一印象、冷たい人
第二印象、寂しい人
第三印象、優しい人


その姿は、普段の彼とはまるで正反対で想像も出来ないものだった。
私が知っていたそれまでの彼の姿というものは、話しかけてきた人に対して冷たく接している態度か、あるいは無視をしていたり。言葉を返してもきつい言葉を二言三言。毒舌で、容赦ない言葉を放つ人だった。
寂しい人なんだな、と思ったのは単にいつも一人でいたからだ。決して人とつるもうとはしていなかった。周りと壁を作っている。そんな感じで、もしかしたら他人に対してきつい言葉を放つのは自己防衛のためなのかな、と思ったりもした。他人に関わりたくない、というよりはあえて関わらないようにしている。どこかそんな風にも見えたのだ。

だからその日たまたま目にした彼の姿に絶句した。
迷い込んできた犬に優しく手を差し伸べる姿が、向けたまなざしが、あまりにも普段目にしている彼とはかけ離れていて。驚くのと同時に、何か今までに経験したことのない感情が生まれた。子犬を抱き上げて微笑むその横顔が忘れられなかった。彼のことを冷たい人だと言う人間は多いけれど、彼のことを優しい人だという人もいる。前者は彼をよく知らない人、後者は彼をよく理解している人なんだろう。その姿を見るまで、私は例に漏れず前者だった。傍からみて勝手に判断していただけ。何も知らないまま決め付けていた自分が恥ずかしくなり同時に彼のことを知りたいと思った。はじめはそう、ただの好奇心から。けれど次第にそれは好きな人を知りたいという欲求へと変わった。いつも石版の前にいる彼だから、逢いたいと思えば簡単に逢いに行くことが出来た。ただ私の場合、正確には観察をしに行くであったのだけれど。だって彼は私のことなんて名前はおろか存在すら知らないだろう。そんな相手から突然話しかけられても驚くだろうし、迷惑がると思う。彼はほかでもないルックだ。それに一度冷たい人なのだと認識してしまっていた私は、それまでの先入観を全く持たずに話しかけられるほど人間ができていなかった。つまるところ話しかけて、冷たく返されたらおそらく傷つくだろうことが予想できていたわけで。当たって砕けろがもっとうな人間であれば臆することなく話しかけられただろうけれど、私にはそれが出来なかった。

彼に話しかけられたのは本当に突然だった。
もうすでにルックを眺めることが習慣化していた私は、いつものように何時もの場所で座り込んでほかに何をするでもなく彼の動向を観察していた。よくよく考えればそうしてルックを眺めている私の姿はたいそう可笑しな人に見えただろう。変人極まりなかったに違いない。だれもあえて何も言わなかったけど、きっとそう思われていただろう。一応カモフラージュのために図書館から借りてきた本を数冊傍らにおいて、膝の上にも開いた本が一冊ある。ちなみに内容は紋章術に関するうんたらかんたらという読んだところで到底私が理解できそうにも無いものだった。なら何故借りてきたのかととわれれば、以前ルックがこれを読んでいるところを見かけて、どんなものか興味があったからだ。実際目にしてみれば意味不明な言葉の羅列で読む以前の問題だったのだけれど。
眉間に皺を寄せたまま適当に本のページをめくっていた私の視界の隅に茶色いものが入り込んできて、ふと視線を上げると足許に小さな生物がいた。クルンと巻いた小さな尾っぽをぱたぱたと動かして、つぶらな瞳で見上げてくるそれは以前ルックが抱き上げていた子犬だった。後ろにたれた耳がなんとも愛らしい。思わず頬が緩んで、子犬の頭に手を伸ばした。ふわふわとした柔らかな毛並みが気持ちいい。子犬は抵抗する様子も見せずに大人しく私に撫でられていた。
「可愛いねぇ、お前」
小さな身体を抱き上げて本を退けた膝の上に乗せてやると甘えたように鼻を鳴らした。可愛い。
「それ、あんたの犬?」
にんまりしながら子犬の頭を撫でていた私の元へ、聞きなれたようなそうでないような声が聞こえてきて、思わずん? と首をかしげた。犬? あんたの犬? ってもしかして私が聞かれているのだろうか。顔上げてその声の持ち主が誰であるのか知るや否や驚きの余り声を失った。すぐ目の前で翡翠の綺麗な瞳が、私をじっと見ている!
「ちょっと、聞いてる?」
「は……はい、聞いてます」
多少声が裏返った気がするが、気付かれていないことを祈ろう。
「そう。それで?」
「は?」
「だから、その犬。あんたの犬? 最近よく見かけるんだよね」
私は慌てて首を振った。ルックはふぅんと言って、子犬に手を差し伸べる。ルックの手に頭を撫でられて子犬は嬉しそうに鼻を摺り寄せて目を細めていた。その姿はすっかり主に懐く飼い犬のようだ。
「ルック…さんは、犬好きなんですか?」
「別に。嫌いじゃないけどね」
だけど子犬を撫でる手つきも、見つめる瞳も優しい。素直じゃないなぁ、と思ったけど口にすることはしなかった。
ルックの瞳が子犬から逸れて、私の傍らに置かれた本の山に行く。あ、と思ったときには彼はそのうちの一冊を手にとってぱらぱらとめくっていた。紙をいじる指の動きを目で負う。綺麗な指だな。
「あんたさ、名前…だっけ?」
「え、なんで…」
ルックは本を閉じるとほんの少し、口の端を持ち上げて笑った。意地悪げに私を見て、風が教えてくれたんだ、と言う。ああそういえば、彼は風の紋章を宿しているのだと以前誰かが言っていた気がする。詳しく知らないけど、とても珍しい上位の紋章であると。魔法部隊の団長をも務めるほど、彼は魔力が強くてその腕も見事なものだと聞くが戦場に赴くことのない私には、その凄さがどれほどのものか理解することはできない。
「紋章術に興味があるなら、この本はやめといた方がいいよ。初心者に理解できる内容じゃない」
紋章術に関してはエキスパートとも言われるルックが読むくらいのものだから、当たり前なのかもしれない。私は素直に頷いて、ルックから本を受け取った。ところで何で私が紋章術に関して初心者だと分かったのだろう。思ったことが顔に出ていたのか、ルックが手を指差した。
「紋章の一つも宿してない人間が、初心者以外のはずないだろ?」
なるほどそのとおりである。

受け取った本を傍らに置いて膝を見やれば、いつの間にか子犬は小さく丸まって眠ってしまっていた。起こさないようその背中を優しく撫でる私に、ルックがポツリと言う。
「…風が教えてくれたことはもう一つあるよ」
「え、何…?」
「あんた、いつもそこで僕のこと観察してたよね?」
「!!!?」
穴があったら入りたかった。ものすごく恥ずかしい。顔から火が出そうだ。今までこっそりとばれないようにしていた私の努力はなんだったんだろう。いやばれていない保障なんてなかったけど。それ以前に初めから気付かれていたんじゃないか。全く持って意味がない。
これはもうなんというか謝るしかないような気がする。もしかしてルックが話しかけてきたのはそれを私に止めさせるためだったのだろうか。
「ごめんなさい」
「なんで謝るのさ」
「だって迷惑だったでしょう?」
するとルックは意外そうな顔をした。予想していたものと違う反応に、私は首をかしげる。ルックはしばらく私をじっと見てから目をそらして、言った。
「……迷惑だと思ってたら、とっくに声かけてやめさせてるよ」
その時の彼の頬が、耳が、赤く色づいていたのは外から差し込む夕陽のせいだったのだろうか。もしかして、と浅ましくも期待をしてしまった私にルックは二度も言わないからね、とぶっきらぼうに言って背を向けた。



最後に、彼に対する印象をもう一つ追加しよう。
第四印象、素直じゃない人。