初めは、どうして自分に構ってくるのだろうと不思議に思っていた。彼は王子で、私は侍女。立場も身分も全く違うもの同士。私は沢山いる中の侍女の一人という存在で始まり、そして終わるはずだった。
けれど気付けば彼は私の元をよく訪れて来ては他愛も無い話をして去っていく。その意図が分からず困惑した。何がしたいのだろう。何が目的なのだろうと疑心も警戒心丸も出しだった私だったけれど、そのうちただ彼は何か目的があるわけでも裏があるわけでもなく本当に単に遊びに来ているだけなのだとわかって(それでもどうしてその相手が私であったのか、時々首をかしげたけれど)、彼が王子だということも時々忘れてしまうほど打ち解けられるようになった。彼と過ごす時間は楽しかった。ただその分、周りから嫉妬の目を向けられることもしばしばあった。それを故意に誰かに話したことはない。あるとすればついうっかり、嫌がらせをされた現場を目撃してしまったミアキス様に強制的に話をさせられたというくらいだ。いつもおっとり笑っているミアキス様にしては珍しく憤慨して、仕返しをしに行こうとしてくれたのを止めるのは大変だった。そのあとミアキス様にはきっちり口止めもしておいたから王子は私が、王子と親しくなることで周りの同僚から敬遠されていることを知らないはずだ。多分言えばきっと、彼は私の傍に近づかなくなる。距離を取って私を守ろうとする。どうしてか分からないけれどそれはとても寂しいことに思えて、だから私は一度も王子に告げた事は無かった。
私が彼に対して持っている気持ちを、はっきり形にすることは出来ない。とても不確かで不安定なもの。好きなのか、嫌いなのかととわれれば迷わず好きだと言い切ることが出来るけれど、果たしてその好きとは恋愛対象としての好きなのか。それとも友人や家族に対するものであるのか。自分自身よくわかっていない。それと同様に、王子が私に対してどんな感情を持っているのかも私に知るすべは無かった。自分から進んで知ろうとも思わなかったのは、ただ私が臆病だったからだ。
私は決して若いわけではない。いや、人が生きる時間の長さで言えばまだ若年層に当たるのだろうけどこの歳になるまでいくつも恋をしてきたし、恋愛面で疎いわけじゃないのだ。けれど分からない。王子に対する私の気持ちは、果たして異性に対するものであるのか。別に答えを出す必要なんてなかった。だって私は侍女、彼は王子。例え私が彼を好きでも、その反対があったとしても決してこの恋が実ることは無い。
そんなある日、ミアキス様に聞かれた。突然だったから、酷く驚いたのを覚えている。その日はお天気が良くて外で庭園の手入れをしていたのだ。お天気がいいと花だけでなく、雑草までもすくすく育ってしまうからマメに手入れをしてやらなければならない。ちなみに現在進行形で同僚から敬遠されている私は一人きりでやっていたのだけど、気付けば傍にミアキス様がしゃがみこんでいてそれはそれは驚いた。
「ちゃんは、王子のことが好き?」
驚きすぎて余分な雑草だけじゃなく、残しておくべき肝心の花まで引っこ抜いてしまって慌てて植えなおした。突然何を聞くんだろう、この人は。私を伺うように、大きな目を輝かせて(どうして輝かせていたのか、後になって知ることになるのだが)訊ねてくるミアキス様に視線を合わせるとその問いに答えるべく私は首を傾けた。
「それは、異性としてですか? 友人としてですか? それとも…主として?」
「もちろん、異性としてよぉ」
それは困ったな。今度は反対側に首を傾けて、そうですねぇと呟いた。額に浮かんだ汗を拭うと一度手を休めた。
五つも六つも年下の相手を異性として見るのは可笑しいのだろうか。だけど王子も立派な少年で、男の子で。好きになれる要素は幾つもある。むしろ親しくなって、優しくされて。好きにならないほうが可笑しいんじゃないだろうか。そこまで考えたらすぐに気付いた。ああ私は王子が好きなんだ。一人の男の子として、異性として彼が。認めるのは簡単だった。認めるだけなら、本当に容易い。それを本人の前で口にしなければ良いだけのこと。想いを秘めることなんて今まで幾度だってしてきた。二十数年生きていた中、片思いで終わる恋だってあったんだ。
「好きですよ。とっても」
「あら、本当に? そおぉ」
何がそんなに嬉しいのか。ミアキス様は口元に手を当ててふふっと笑っていた。嬉しそうですね、と試しに聞いてみたら「そうねぇ、でも秘密」と口元に人差し指を立てて、また笑った。
それからしばらくして王子の態度が可笑しくなった。今までのように親しげに話しかけてくることも、私の元を用も無く訊ねてくることもなくなった。目が合えば逸らされて、話かけてもそっけない。もしかして王子に私の想いがばれたのだろうかと危惧して背筋が冷たくなることもあったけれど、どうやら違ったようで。まあもともと私なんかが相手にして貰えていたのが不思議なくらいの相手だったのだから、また前に戻っただけだと思うものの、どこか物足りないような物悲しいような気持ちがいつも付きまとっていた。
どこへ行っていたのか詳しく知らされていなかったけれど、十日ほどの視察から帰ってきた王子のあまりにも素っ気無い態度に泣きたくなった自分がいて、それにまた驚いた。笑顔を見せて、笑い返してくれる確証なんてないのに。だって私はたくさんいる侍女の中の一人で、彼はこの国でただ一人の王子。王位継承権を持っていないとはいえ、私とは天と地程に立場の違う相手。私は少し思いあがっていたのかもしれない。いや思いあがっていたのだ。ちょっと優しくされて他の侍女たちより親しくなっていたから、自分でも気付かないうち優位にたったつもりでいた。改めて思い知らされて、恥ずかしくなった。挨拶もそこそこにすぐその場を立ち去った私を何故か王子は追いかけてきてくれて、額には大粒の汗が滲ませていた。視察から帰ってきたばかりで疲れているのだろうに、何故。さっきはあんなにも素っ気無い態度だったのに。私の相手などせず、すぐに女王の下へ向かわなければいけないはずなのに。すぐにでも休みたいだろうに。もしかしてとほんの少し期待してしまった自分が居た。そしてまた自己嫌悪した。ああなんて、身の程知らず。思いあがりも甚だしい。
今すぐにでもこの場を立ち去ってしまいたくて、私は王子を気遣うふりをして明日話を聞くという旨を言い伝えこの場を離れた。歩きながら情けなくて涙が出た。
もし、もしも。許されるなら、また前のような関係に戻りたいと望んでいる自分がいたことに始めて気付いた。片思いで構わない。沢山いる侍女の中の一人でもいいと、思っていたはずなのに。
その日はほとんど仕事が手につかなくて、同僚に沢山厭味を言われてしまった。
翌日の朝、知らない人に呼び出された。私と同じように城で働いている下男のようだったけど、初めて見る顔で始めて聞く名前で。話もしたことのない相手。何の用事だろうかと指定された外庭で待っていた私の元へやってきた男は、何故か突然求婚してきた。思わず目が点になってしまったのは仕方の無いことと思って欲しい。だって今日始めて知ったばかりの相手に求婚されて、喜ぶ人間がどこにいるだろうか。もしもいるならば是非会わせて欲しいものだ。私は困って、だけど受け入れることは出来ないと突っぱねたのだが、彼は中々引いてくれなかった。あろうことか私の腕までつかみ出して本格的に困っていたところへ、王子が現れた。驚いたのは私だけじゃない、相手もだ。
今まで見たことのないほどの冷たい視線で王子に睨まれて、男はすくみ上がるとさっさと逃げ出していった。
どうして王子がここにいるのだろう。不思議に思って王子に聞いてからはたと思い出した。そういえば王子は何か私に話があったのではなかっただろうか。昨日、明日聞くからと言っていたのを忘れていた。案の定王子は、私を探していたのだと答えた。それから何をしていたのかと訊ねられて、どうしてもさっきのことを王子に言いたくない自分がいた。知らない男に求婚されたことを王子に知られたくないのか。それとも他の男と一緒にいたことを、できれば王子に知られたくなかったのか。多分どちらも気持ち的にはある。
咄嗟になんでもない、王子が気にするほどのことではないと答えると、王子の表情が不機嫌そうなものへ変わった。怒らせてしまったようだ。けれど、何故。何が王子の気に障ったのだろう。首を傾ける私に、王子はぽつりと呟いた。
「気にするほどのことじゃない、なんて…気になるんだ」
「え…」
一瞬耳を疑った。聞き違いかと思った。しかし次の瞬間、王子は私のほうを見て叫ぶように言ったのだ。
「僕は…っ、の事が好きなんだ…!」
驚きすぎて声も出なかった。そのときの私はきっとぽかんと口をあけてアホ面をさらしていたに違いない。王子を前にして何たる醜態かと、後々悔やむことになるがそのときばかりはしかたがなかった。それほど驚いていたのか。同時に嬉しさがこみ上げてきて、頬が緩むのを止められなかった。
ああ、なんて。なんて嬉しいのだろう。
私は出来うる限りの笑みを見せて、王子に告げた。
「私も様のことが好きですよ」